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蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

明と暗・ぶーたれまくり

2012-09-18 | 日々のこと

せっかくわたしの文章の先生に、素直になって幸せそうでよかったね、と誉めていただき、
「嬉しいです」と、顔を赤くして言ったばかりなのに、
その舌の根も乾かないうちに、また、なんなんですが・・・。
(と書くと、また、べつの人には、「こら! なんなん?!」と、お叱りを受けそうですが)

娘夫婦が無事、東京に帰り、快い疲労感?に身を任せていたところ、
昨夜、ゴルフから帰ってきた夫、早速、エアコンをがんがん、
テレビをがんがん(しかも大っ嫌いな番組)、音量すごい、
食べる時の音、べちゃぺちゃ、犬よりすごい、・・・ああ・・・もう・・・だめ・・・

ほのぼの、うっとり・・・も現実なら、がんがん、ぺちゃぺちゃも現実。
昨夜ばかりは、本当に、キーンと鳴るアタマを抱えて、夕食の後片付け後は、早めに二階の自室に退散した。
(そう書くと、「ほんとうに、キーンと鳴ったのか? そうなら、一刻もはやく受診せよ」と助言されそうだが。
→この、いちいち注釈・展開、そろそろ、やめようと思っている・・・)

ご近所ブロガーさんのご主人さんも、同じようにエアコン依存症のようす。
うちだけじゃ、なかったんだ。
そのブロガーさんは、ご主人の身体のどこかがおかしいのでは?とおっしゃっている。
なるほど、それも考えられる。

今朝も、汗を噴出し、暑い暑いと言っていた夫。
「ヒマラヤ生まれと、ハワイ生まれの、違いやねえ」、と、肌寒いわたしは言ったのだが。
お互い、自分が正しくて、相手がおかしい、と思い込んで、相手を責めている、相手を理解しない。
別のなんらかの原因で、暑いと感じるのであれば、仕方のないことだ。
なら、相手も、「俺は、病気だから、人より暑がるんだ」と自覚すればいいものを、
「おまえが、おかしいんだ」と、自己肯定オンリーに回るのは、いかがなるものか。

テレビも、そう。

父の晩年、かつて、ボリュームを大きくしてテレビを観ていた時期があった。
老化により、聴力が低下しているためだったということは、今はよくわかる。
当時、そんなことはわからない、若いわたしが、実家に帰ったときに、「テレビの音が大きい」と言うと、
なんの文句も言わず、音量を下げていた父。
今、思えば気の毒なことをした。

夫も老化か?
いや、違う。お酒を飲んで、酔っ払うと、聞こえにくくなるのだと思う。
しかも、今より若い、ずっと以前から、ボリュームは大きい。
「老化で耳が聞こえにくい」と自分で正当性を主張し、聞く耳を持たず言い切る。
「老化」ではなく、「酔っ払って」だろう。
あくる朝に連ドラを観ようとテレビをつけると、いきなり大音量で、
32ぐらいまで音量が上がっているのを、慌てて、わたしは20ぐらいに下げて、テレビを観る。

そして、テレビ番組の好みがまったく違う。
昨夜は、特に、昔の時代劇の再放映で、女性蔑視、甚だしいシーンが続き、むかむか、オエオエきていた。
延々、そんなシーンを大音量で見せられ、エアコンはガンガン、とどめは、あの食事中のぺチャぺチャ犬音。
わたしは、「ムンクの叫び」そのままの顔、手ぶり。
しっかりアタマに、ムンクのあの絵画がはっきり見えた。
(さっきも書いたのに、何度も繰り返し書いている。
これまた、文章の達人に指摘されそうだ)

少し前までの、楽しい時間が、吹っ飛ぶ、というよりは、否定され、消滅。
この現実なくしては、わたしにとって幸せな楽しい気分を味わうことはできないんだ、という、絶望感を
いまさらながら味わった。


生きるとは、
毒と薬が同時に作用するかのごとく、
好ましいことと、好ましくないことが、同時進行する。
それらは、一体化していて、霜降り肉の肉と脂が分離しにくいように、ぴたっと張り付いていて、離すことができない。

嫌なことだけを、自分の人生からは隔離させることは出来ない。
良いこととセットになっている。
世の中の出来事もそう。
裏と表、明と暗、光と影、陰と陽、必ずセットになっている。
急激な発展の裏には、取り残された陰の暗部がある。
栄光の歴史の陰には、悲惨な事実が隠されている。
発展した超大国は、侵略行為なくして語れない。

なので、日常の、やれ、テレビだの、エアコンだの、ぺチャぺチャ音だのは、
じつに、かわいいものなのである。
(と、自分に言い聞かせる・・・)

自分が大事にしていること、重きを置いていること、本筋はなにか。
枝葉に気をとられて、くだらない、つまらないことから離れられないのは、時間の浪費だ。

小さなことには目をつぶり、大きな目標に向かって、邁進しよう。
大きな目標って、いったい、なんだ?
それは、つつがなく、毎日を送れること・・・そのためには、多少嫌なこともガマンすること、
そして、できれば、ちょっぴり、目標を立てて、それに向かって着々と努力し続けること。

そのためには、基本的には、まずは感謝のこころ。
そして、ぶーたれる。(→注釈:ぶつくさ文句をいう)

そうすると、ひとしきり、ぶーたれても、赦(ゆる)されるような気がするのは、自分に都合が良すぎる解釈?

 
ということで、さて、今日も、楽しい一日が過ごせ、
未来にほんの少しでも希望が持てることを祈って。

 

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