蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

時代遅れケータイを持つ人間は、時代遅れ?

2012-09-11 | 暮らし

時代の流れについて行けないのは、年がいった証拠だ。

「わたしのケータイ、スマートフォンじゃないから恥ずかしいわ」
電車内で、そうおっしゃる女性がいた。

わたしも、ぱかっと折りたたみ式のケータイだ。
でも、わたしは、自分のケータイに、愛情と、愛着と、誇りと、自信を持っている。
(そこまで、確信を持つ必要も根拠も、ないにしても・・・だ)
自分自身にも、それぐらいの確固たる自信が必要だが、残念ながら、・・・イマイチだ。。。

なんてったって、わたしの、ぱかっと折りたためるケータイは、写真がキレイ。
カメラをいちいち携帯しなくても、どうにか、どこでも、なんでも、写真は撮れる。
デジカメに比べると、そりゃあ画素数もだんぜん少ないが、まあ、わたしとしては、気に入っている。
購入時に掛けたまんま、いまだに、落としたり壊れたりした時の保険を毎月300円、掛け捨てで掛けている。
(それもどうかと。もう、そろそろ見直しが必要かも)

「動画サイトで、競技ダンスやデモも見ることができるから、見るていると、おもしろいですよね」
と、ダンス仲間の人に言うと、
機械ものはキライ、という理由で、パソコンは一切さわらないと、おっしゃる。

えっ・・・と息をのんだ。
(わたしとそう年齢は、変わらないようにお見受けする)
わたしの世代なら、パソコンはスタンダードだと思っていた。
というか、ほんの少しだけ年齢が上がると、パソコンに触れない生活を送ることができるのだ。
それのほうが、驚いた。
(娘によると、「世の中、お母さんのような人ばかりではない」、とのことだが)

居酒屋で注文するのも、端末機をタッチして入力し、お会計や、ワリカンにした金額まで出してくれる。
そのタッチパネルに、「わたし、そういうの、苦手だから」と、手を出さない人がいる。
そうなんや~・・・けっこう、新鮮な驚き。

スーパーでは、レジの人員削減のため、
自分で、バーコードで商品を読み取り、専用のカードで支払うシステムを導入している店がある。
病院での支払いも、モニターにタッチし、その機械で、その場で精算し、支払うことができるようになっている。
機械が代わりにできる内容の仕事は、どんどん機械化されている。

もたもたしていても、スタッフがやってくれる窓口も、併設されて残っているので、機械が苦手な人も、OK。
スタッフが笑顔で(かどうかは、知らないが)、やってくれるので、安心だ。

わたしの年代は、まだコンピューターが苦手、という人もいるようだ。
我々は、ファミコン世代ではないことは、明らか。
娘たちの世代なら、物心ついた頃から、パソコンが日常の1シーンに組み込まれ、溶け込んでいるので、
なんの抵抗もないだろう。

飛行機のチケットも、旅館の予約も、映画の予約も、なんでもかんでも、自宅やオフィスからパソコンで出来る。
ネットで、世界中のモノ、人をつなぐと、新しい物流や交流、ビジネスが生まれる。
田舎には仕事がない、という発想は、もはや時代遅れ。

そう考えると、自分のこれからの道、あれこれ、模索範囲がまた広がってくる。
ちょっとワクワクするような、ちょっと、めんどくさいような、ちょっとリスキーで不安なような、・・・
でも、切り拓いていかなければ、時代の流れだ・・・と、あきらめ、
ただただ指をくわえて、時代の波に押しつぶされてしまうのは、不甲斐ない。

そう思うと、何かしら、やる気のような、エネルギーのようなものが湧き出て、
背中から、目に見えないものに、ぐぐっと押されている気がする。

 

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