オイラなんてセイゼイ、これはどうやって造るのだろう?とか、この経緯はどうか?位の「壺」探しであって、それはそれで楽しいのですが、壮大差には程遠い。只、その「壺」探しに一説では解決しませんで、色々と見聞し調べ「壺」の極点に近付ける。また、その見聞・調査の過程が楽しいのであり、決して結論を急がないし結論着けなくても良いとも思っています。例えば、音楽での楽器演奏で毎日弾きますがその日の完成には至るが明日はまた違う。毎日変化を楽しみ同じ演奏ではない。それは、楽器のコンディションや気持ちは毎日違うから。
そうなると、様々な意味で「壺」というのが問題に成る。嫌っ、オイラが問題にするのだが、極点という解釈を取っても「壺」は奥深い。実物の壺は、確に狭い口から奥深い底を覗く。覗かなくてもイインですが、やはり穴は覗きたいっ!節穴だって望遠鏡だって、知人の秘密の穴だって、物造りのコツだって覗きたいっ!それが、「壺」だし極点だから。探検家なんて凄いなっー!なんの用事か理解出来ないが、喜んで極地へ莫大な費用と命を賭けて出かける。正に、「壺中の壺」ですなっ!好奇心の成せる行いだと思うが、それにしたって凄いなっー!