「話せば判る」という事があった。先日の経理の件で、先生と本音で話した。本音というのは、真実「ふさわしき」を話した。無言で頷き、新提案、思わず感激した。経理のプロで十五年も診て頂いているから全て判っている。現況にふさわしき経営と顧問料の提示でした。即答して継続をお願いした。話せば判るも、真実を話さなくては無意味です。逆に話した途端に信頼が生まれ「ふさわしき」に近付く思いが募った。見栄や体裁を繕い会話をしたところで何にも近付く事が出来ないどころか遠退くのが理解できた。有り体にぶつけられるか否かだっ!
宮崎県知事ではないが、人生どう転がるか本当に不可思議です。だから、日々を諦めず少しでも歩みを続けて前に進めば必ず何か開ける。同じ事の連続の様で少しづつ毎回異なる毎日だから、一万回目に開ける場合だって有る。9999回では、開かない扉。山の頂までの道のりは苦しく雑木林以外何も見えない。だから、頂まで歩いてみるしかない。しかも、その山は自らの自由意思で選んだ筈。ただねっー降りる潔断だって必要な場合もあります。「ふさわしきの頂」ってそんな感じではないでしょうか。皆、まだまだ登れる時間も力も有る筈なんだから。
見つめ直せば、それぞれの生活に必要か否かが存在し、頭を巡らせるが潔断にはナカナカ至らない。オイラも無駄を熟考し潔断して実行に達成するまで、一年半掛りました。思えば、断腸の思いなんて無かった。それは、「ふさわしき」という信念の元に働いた心の動きのおかげです。飽きたからとか、古臭いから、使いこなせない等という物の消費ではなかった。そして今迄、足らなくなったモノを買い求めた記憶が有りません。結局、必要でなかった、という事。それでも、未々有る品じな。シンプルライフまで今暫く潔断と整理の日々ですなっ!