そう考えると「壺」は、そこいら中に存在している。勿論、存在と言っても本人の意識次第なんですが、「気付き」を得れば場所・時を問わず発見出来る。しかし、人間・企業の欲は凄まじく、実際には完成されているモノに更に装飾や機能を付け足して結局台無しにしてしまう。快適・便利を追求する余り本来のシンプルな機能美を崩し、デザインという名の元に足し算のモノを造り消費させる。「壺」を押さえた品物は、今や探すのに苦労します。「壺を押さえる」と言いますねッー!「壺」って逃げないように身に付く迄、押さえ込むもんなんだっ!
その「壺中の壺」を昨日観てきた。昭和30年代の横浜の有り様を撮った写真家の展示会、御年91歳。知り合いです。その時代に高級カメラを手に、50年間もの保存状態、そして長命ーその全てが「壺」でした。どれ一つも無ければ残らない歴史的な遺産です。本人の弁「マサカこの歳で世に出るとはっ!」座右の名「継続は、力成り」。居るなッー凄い人。そこそこの方等は、ゴロゴロいますがこの位の方になると探してもナカナカお目に掛れない。恐らく、「壺中の極点」を見たんだろう。元気カクシャクの91歳自体が人生の「壺中の壺」ですなっ!