で、その五分後程にいつもの花屋のおばさんが喋りに来た。この方は、親子程の年齢差があるが友人だから何もお構いはしないが話せる。今日は、お土産に自作のおでんをくれた。要するに、商売で喫茶を提供する気が無いのである。「趣味会話をしに来ました」ならば、お構いはしないが是非に来て頂きたいっ!マァ、しかし来る方も当方が店を張っているから話だけで来るというのも気が引けるのであろう。でも、何故かオイラはそこにコダワル訳だ。人との縁を広げたい反面、その場での利害は別にしたいのだ。オイラ自身も殻を持っているのだ。
で、早速だがディナーの開け盾に二週間前に一見で来店した詩吟の教授。「コーヒーだけでも良いですか?」と来店。一応、家族経営の中でも規則を造りレストランだから食事でお願いしよう!としてある為に辛くもお断りした。心痛い事だった。きっと、前回の来店で共に音楽使いとして話が合ったのだろう。これで今一度、食事で来店してくれたら本物である。そう期待している。そういう事は沢山在る。もっとざっくばらんに対応したら良いのだが、大体規則を最初に破るのはその規則を決めた経営者である。何故か?そう成りたく無いのである。
音楽なんか正にそうである。手抜きやインチキをしたら曲に成りません。楽器を通しての自己表現に手抜きやインチキが在るという事は、その音色ばかりかその人自体がインチキなのだ。クラシコの如く一音一フレーズ間違い無く奏でるのも偽り無い自己表現、ジャズ・ラテン・ボサノバの如く編曲するのも自分の心に裏切りの無い自己表現である。商売とは、商いを売るー飽きないを売る訳だからインチキは飽きた心を売っている訳だ。つまり、心を売っているんだから誠心誠意でないと駄目でしょ?こんな時代だから、商売屋の心が試される訳だ。
先日にお米の事に触れたが、とうとう出たかっ!である。様々な偽装事件が有ったが、主食である。しかし、内部告発というのも凄い。正義も未々在るし、恐らく恨みも在るであろう。要領悪くコツコツと日々営業している大半の方達は、この時期の急成長が不可思議であったに違いない。金儲けが趣味の方々も多く、その場合は偽装とかインチキなんて目では無いらしい。更に、右から左の商社や物販業はこの傾向が強い。創造的な趣味を持つ方々は、材料の見極めや手間掛けを惜しまないから儲からない代わりにインチキ等考えず日々努力を重ねる。