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常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

大高根山

2015年03月14日 | 登山


村山市にある大高根山に登る。登山道が深い雪に覆われていたため、大高根山を目指したつもりが、目指した山を大きくそれて、反対方角の別のピークに立つ。このピークも名はないが、大高根山と同じか、それ以上の高度であった。そのピークから、大高根山を望む。

この山の山麓には、かって米軍の実弾射撃場である大高根射撃場があった。敗戦の年、昭和20年9月、米軍は神町に進駐した。翌年12月には、大高根、戸沢、西郷などの村の山麓が米軍の射撃演習場として接収され、大高根射撃場が設けられた。接収された田地、山林などには住民の立ち入りが禁止され、木材の伐採、炭焼き、山菜などの現金収入の道が閉ざされた。

農民詩人真壁仁は、「弾道下の村」でその射撃演習の生々しい実態を詩に書いている。

戸沢の村は
毛をむしられた羊のように裸になった。
右岸砲座から黒い虹が
河をこえてそこにとどく。
虹は火を噴く。
山が燃える、身をよじる、うめく。
どっこい、どっこい、しぬもんか、仆れるもんか。
山は闇のなかで歯ぎしりする。
山は新しい芽をふく。
焼かれても焼かれても芽をふく。(一部分)

現金収入の道を絶たれた農家の子供たちは、立ち入り禁止の山へ砲弾を拾いに入った。それを売ることによって学校の教科書代や衣服を買うことができた。不発弾が爆発して、小さな生命を失う悲惨な出来事も起きた。朝鮮戦争が始まると、演習場の役割はさらに大きいものになった。この接収が解除されるのは、昭和31年米軍の神町駐留撤退の時である。この山には、その痕跡を示すものもう目に付かなくなった。

コメント
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