梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

自転車

2010-05-25 16:48:45 | 日記
中学を卒業して上京した、重電メーカーのH製作所の臨時工員である、2年ほどで正社員に成ったがその後4年ほどで退社してしまったが此れは又次の機会にしよう、民間アパートを借り上げた寮に住む事になった、17歳の春頃同僚3人でサイクリング自転車を買った、ブリジストンの4段変則でドロップハンドルと言う奴だ、住まいのあった江戸川区から木下街道や未だディズニーランドの無い「青べか物語」の浦安などを休日毎に橋って楽しんでいた。その年の夏休み3人で何処か遠くに行こうと言う話しになった、自分は前から考えていた自転車での帰郷をやってみる事にする、2人は「2泊3日で三浦半島を廻る」事になって江戸川区の小岩を朝の3時に出発する、横浜の駅前で分かれて自分は1号線の標識に従って西に向かう、今考えれば自転車だから246が正解だがそんな知識は無い、保土ヶ谷から戸塚の坂を息を切らせて登り、藤沢でクラッカーを買って先に進む、平塚を過ぎ、小田原近くで白絣と袴、高下駄に角帽の二人連れに合った、東海道を京の五条まで歩いてゆくそうだ、小田急の駅前を過ぎて強羅口まで何とか乗ってゆく、時間は8時過ぎ、此処まで5時間だ。此れからが大変だった、後は兎に角押して上がる、どの辺りだろう、お土産やに寄って水をお願いして頭から被るが直ぐ乾いてい仕舞う、芦ノ湖も殆ど見ないで箱根峠に向かう、芦ノ湖から箱根峠の間で新潟から門司まで向かうという高校生の2人組みと一緒に成った、「長距離なので1日100kmと決めている」そうで「昨日は城ヶ島で泊まった」らしい、もう1人富士フィルムに勤めていると言う痩身の人とも知り合う事が出来た、箱根峠を越えたら2時過ぎで小田原から6時間掛かっている、これからは下りだ、未だ東名高速の無い時代で大型のトラックが連続して居る、きついカーブが連続して居るのとブレーキが焼けるせいだろう、20~25km/h位で走っているので次々と抜いてゆく、スリップ止めの丸い凹みで細かな振動が体を振るわせる、三島の平坦地まで40分程度で降りた、気が付いたら後ろにゴムで止めていた地図は何処かで振り落としたらしい。吉原付近は平坦な道路、清水の街中のT字路を過ぎて静岡市内を抜けて安倍川を渡り鞠子から岡部に向かう所で暗くなってきた、宇津の谷峠は今行ってみると何処を通っていたか思い出せないがこの辺りから真っ暗になり後方から来るトラックに危険を感じるようになる、多い側を越えて日坂峠を越えればそろそろ目的地だが、時間は8時を廻る、さすがに日坂峠を越える体力も気力も無くなった、島田の駅前で自転車の預かり所を見つけて自転車を置いて電車に乗る、9時を廻って姉の家に着いたらもう真っ暗で誰も出て来ない、今考えれば随分無用心だったが玄関は開いていたのでそのまま玄関の板の間に仰向けになったら直ぐ寝てしまったらしい、激しい鼾をかいたらしく姉に起こされた、食事をと言われたが食欲は無い、考えてみると横浜駅前でお結びを何個か食べただけで後は藤沢で買ったレーズンクラッカー(今でも覚えている)しか食べて居ないが腹が減った気がしない、冷蔵庫を見たら西瓜が入っていたので此れを半分平らげて布団に入るが妙に肌に馴染まない、外廊下の板敷に横になったら直ぐに寝てしまった

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