梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

カルトと宗教、救いは心

2018-07-09 08:37:55 | 雑記
オウム真理教をカルト集団と表現する報道が多い、「カルト」の意義はWikiでは下記の様に書かれている、
“悪しき集団であることを明確にするために用いられる通俗用語である。良い意味ではなく、反社会的な団体を指す世俗的な異常めいたイメージがほぼ定着し、犯罪行為を犯すような反社会的な集団を指して使用される。元来は、「儀礼・祭祀」の意味を表す、否定的・批判的なニュアンスを持たない宗教用語であった”
つまり宗教用語だった様だが現在では「中身が分からないが良くない集団」と言う事だろう、
オウム真理教はあらためて「カルト宗教」と言う怪しい団体が危険であると言う意識を定着させた、
死刑になった教団幹部の大半は高学歴のエリート(だった)連中だ、
改めて「知識と知恵は比例しない」と言う事を確認した、
安倍政権下の高級官僚、次官級と言えば相当の高学歴で且つ高知識の集団だが次々起きる逮捕劇は正しく「知識が世間の良識と乖離している」と言う事だろう、
多くの知識を蓄えた彼らがオウム真理教と言う処に何を見て何を求めたのか、
事件は宗教とはかなりかけ離れた行動だと言える、
原始宗教は恐らく抗えない自然や共同社会の中で他人と擦り合わせるストレス等に祈りとして発生し、社会の接着剤としての役割、法律、警察、裁判、医療、などを統括する形で発達し、他の社会を併呑するにつれて大きくなってきたのだろう、
それがやがて精神的な救い、慈悲の部分が分離されて国や人種を超えて広がっていったのが大宗教になったのだろうと思う、
キリスト教も仏教も根本的な経典は現生利益ではなく生きて死ぬことまでの苦を如何に受け入れ、他の悲しみを自らの悲しみに置き換えて穏やかに生き、穏やかに死ぬと言う事が主になっている、
イスラム教のコーランは良く解らないが内容は近いものらしい、
そのストイックな生活経典はその世界に納得して生きているならそれで問題は無いのだがそこに生まれた女性達には納得の出来ない所があるのだろうし世界的にも問題視され寛容になりつつある様だがそこに「原理主義者」と言う過激な宗派が現れて国家の問題と絡み紛争が繰り返されているのだが宗教と言うのは寛容と慈悲が根本にあるおうな気がする。
しかしオウム真理教と言う団体は反論する者に容赦なく攻撃を加え、兵器を集め更に一般社会にまで牙をむいた、
宗教として認定されているのだから教義はある筈だがいったいどういう教義が書かれているのだろうか、
あの知識人たちが教化され妄信したと言うオウム真理教の教義と言うものを白日の下に表してもらいたい、
名前を変えた「アレフ」もいまだに麻原彰晃を神格化していると言う、
Wikiに出ている協議ではその様な事は当然ながら書かれていない、しかし神格化した麻原影晃と幹部たちはマスコミに一般人に危害を加えた、
何のために?そうする事でどうなると考えたのか、
今の日本社会構造は望ましいとは全く思えないが救いは他の考えを消去すると言う方法では何の解決にもならない
過去の歴史で宗教は為政者の道具として利用され続けてきたが今では分離独立して人一人づつの精神を救う役割を担っている、
エスタブリュッシュメント達の心は救いようがない様だ、心から思う「地獄に落ちろ!」