梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

歌丸師匠が亡くなった

2018-07-03 10:07:13 | 雑記
歌丸師匠が亡くなったね、
前のブログで触ったんだがその日に亡くなったとは本当にシャレにならない、
笑点を何度も休んでも病を押しての出演だったが本当にお疲れさまでした、
一昨年高座を見に行って居たのは本当に良かった、
昭和の落語家が次々と世を去った、歌丸師匠が最後の昭和の噺家になった、
残念だが今残っている落語家には高座を見てみようと言う噺家は居ないな
もっとも全て聞いたわけではないので偉そうな事は言えないのだがラジオやテレビを聞く限りそういう気持ちになれる噺家は居ない、
しかし最近テレビでは殆ど落語は見られないな、「お笑い」と言う名前のタレント番組がほとんどでその内容は再三書いたが小学生以下の笑いが主で大人と言うより歳をくった小学生みたいな連中しか見ていないんじゃないかとしか思えない、
確かにMCとか称される人達の司会の妙は認めるのだがその他大勢のひな壇を廻すと言う芸で自らの話術や話の妙は見られない、
「落語」には話の内容が全て解っていてそれでも何度も笑えると言う話だけではない「噺家」の芸が有った、
今笑点に出ている落語屋さんの高座を見たいと言う気持ちは殆ど無いが一度は画面でなくて高座を聞きに行ってみようかとも今考えている、
家庭に沁み込んだテレビと言う媒体はどうしても子供中心の内容になるのは仕方ないが
大人の笑いを脇で見聞きしその内容を徐々に理解するのは学校の勉強以上の教育になるんじゃないかと思う、
人情噺の理屈ではない心の動きを、涙を理屈で説明する教科書ではなく沁みとおる様に見につけて貰いたいものだ、
他人の心の動きを自分のものとして悲しむ、慈悲と言う言葉の「慈しんで悲しむ」と言う事を家庭と言う基本的社会で自然に身に着けて貰えば今の様な苛めも、金の為なら同じ人間をも情け容赦ない鬼畜の心情もこんなに広く広がらなかったんじゃないのかと思うな
落語から随分大げさな話になって来たがニュースを見ていると「日本人の心はどうなったんだ」とつくづく情けなくなっているのでつい愚痴ってしまうな