梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

馬込の辛夷

2017-04-02 14:34:30 | 雑記
国道一号線を下り新幹線と交差する処の交差点を左に曲がる道は馬込台地の尾根道である、
馬込は古い地名で範囲も広く東西南北に中まである、大正から昭和初期に多くの文人墨客が住んでいたので馬込文士村の愛称も付けらている、曲がってすぐの信号角が馬込八幡でその先を左に降りると梶原景時と愛馬磨墨の墓のある万福寺、更に先の交番前後の路地を右に降りると急な坂で馬込に幾つもあった谷戸になる、
この辺りから南西の谷地に当たる所に3月頃になると一際目を引く背の高い辛夷の木が有った、この辺りは一種住専のせいで高度制限があるうえバス通りから少し距離が有るのであまりマンションが無い、大抵古い2階建ての家である、その中に周りの家々の倍くらいの背の高い辛夷が真っ白な花をつけているので馬込の坂の上からだと一際眼に留まる、
十数年前カメラをもって写真を撮らせてもらおうと花を頼りにそのお屋敷に行ってみた、





三本の背の高い辛夷の木が冬枯れの庭から空を覆う様に白い花を咲かせていた、前の道路は4m程度か、そこから枝を見上げる様に何枚か写して居たら年配の上品な女性が顔を出した、眼が有ったので「素敵な辛夷ですね、失礼かと思いましたが写真を撮らせていただきました」と挨拶をしたら「有難うございます、死んだ主人が大事にしていました、御気に入って頂いたのでしたらどうぞお入りになって」と言う言葉に甘えさせていただいて何枚かうつしたのだが話を聞いたら子供達は別に所帯を作り今は彼女一人で住んでいると言う、「年寄りが居てはと家を建てたのですけど」と言う通り真新しい2階屋が建っていたが無住の様だった、「一緒に住もうと言ってくれますがその後はここを処分したいと言うので主人との思い出のあるこの庭を無くしたくなく一人で住んでいます、私が死んだらこの木も無くなってしまうんでしょうね」と言う話だった、
今年になってふと気になってバスで行ってみたら未だあの辛夷は白い花を咲かせていたがあの十数年前とは花の勢いが大分違う、花の季節を外したのか樹勢が衰えたのか、



あの時朽ち果てた感じの門扉が洒落た物に変わり庭は見えなくなっていたが未だ辛夷は残っていた、あの女性はもう居ないんだろうか?通りすがりの暇人だから改めて聞くような事でもないが少し後ろ髪を引かれる様な思いで後にした、
辛夷の木は自分の田舎である遠州にはない、基本的に寒い処の木の様だ、初めて見たのは東北だったか甲州だったか、千昌夫の北国の春の歌詞で覚えたのが先か、枯れ木の山の中に咲いているのを見たのが先か、最近は都内でも随分見掛けるが背があまり高くなく近くに行かないと白木蓮と区別がつかない事が多い、都内であれだけ背の高い辛夷はあの馬込の木が一番ではないだろうか、