見るからに未成年だと見える男女が深夜に町を徘徊していても我関せずと言うのは余りに情けない.川崎の少年殺人もそうだったが我子が帰って来ないのに行先の確認もしない親も一昔前なら考えられ無いが今回の様な最悪な結果になってしまえば深い後悔に苛まされて居るだろう、改めて親の責任を責めるのも酷だ、当然事件で責めを負うのは犯人である事は言うまでもないがそれ以上に責めを負わなければならないのは社会全体の大人でもある、
川崎も今回の事件も社会が人問同士の繋がりに無関心になり社会全体が相互関係である事を失ってしまった事に有る、親の目の届かない処では他人と言うより社会全体で見守る事で子供を守り社会のルールを維持して来た、「世間の目」と言う事は見栄では無く法律以前に守らなければならないルール、多くの人間が平穏に社会組織を維持する為の「知恵」である。
考え方も立場も違う多くの人間が暮らす為の言わば最大公約数的な物でありそれは一家族では無く多くの眼と声が重要な事は昭和の時代まで十分に機能して居た、異常な犯罪者も若気の至りも昔から有る、それらから守ってくれるのは「お節介と世間の目」ではないか、もう一度自分の子供で無くともお節介をするべきだと思う