梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

自殺と殺人と命の重さ

2013-01-12 08:43:26 | 雑記
スポーツ部の教師による体罰で自殺者が出たと言う、体罰という言い方が出てきたのはいつ頃からだろうか、我々の世代は先生に頭の一つ二つはたいてい叩かれているが問題になることはなかった、
教師も親も怒るのではなく叱るのだから子供に怪我をさせる様な叩き方など論外であった、
中には本気で殴ると言う教師も居たことは居たかもしれないがあまり聞いていない
手が痛いからとスリッパで頭を叩く教師もいたがそれは「いい加減にしろ!叩きすぎてこっちの手が痛い」と言う冗談付きである、
しかし今回の報道だと青痣や腫れが出来る様な殴り方のようだ、此れは指導と言う言い訳の出来ない行為であることは間違いないと思う
元来自分は「体育会系」と言う方々の言動は嫌いである、それが少年野球でも偶々近くを通っている時に聞こえる「指導」の言葉はあまりに汚く聞いていて怖気がする、それでも少年たちは「ハイッ」と元気に答えているのだからそれはそれで良いのだろうが一般社会ではとても聞いていられない言葉遣いで中には「罵詈雑言」とも言える者すらある、
しかし卒業して一般社会に出ればあの世界は閉鎖した社会でその中だけの特殊な状況だということは十分に判断できる、しかしこの教師(顧問だったかな)は恐らくその世界だけをずっと生きてきた人なんだろう、それが優勝出来たということで確信になりエスカレートしたという事だと思う、なべて教師という方々を散見するとこう言う人が多いように見受けられる、私の長男が中学の時に担当した女性教師が針路の事で話した時に「私は教職に30年以上付いている、お父さんよりずっと子共の事は解っているから口出しをするな」という趣旨の事を言われた、がこの教師は自分の子供どころか結婚すらしていない、
教師という職業で見る子供と親が見る子供の違いを理解できない筈でそれでも自信満々である、大学を卒業し教師になってずっと子供との世界に居る、回りの大人といえば同じ教師だけである、この状況は社会的には特異で社会性としては幼稚であるといっても過言ではあるまい、世間の中の自分のスタンスを把握できず学校という世界の中で権力者として生徒に対している、無論通常の教師は時間もなく理不尽な要求をするモンスターとの軋轢もあり退職したり精神を犯されるという事も聞く、
しかし一般社会では学校を降りた時からこの試練に晒される、出て行った社会では自分より年下の人間などほとんどいない、大卒なら多少高卒等の若年者も居るが社会ではこの年齢差は無視される、営業職なら客の理不尽な要求を受けることなど当たり前で会社の責務を一身に受けてその上「若僧では話にならん、責任者を呼べ!」などは当然で此処で上役を読んでしまえば評価は「役たたず」になる、父兄の理不尽な要求など驚くに当たらない、
今回の事件でもう一つ思うのは何故そう簡単に命を絶ったのだろうかという点である、
事はクラブである、強制されてやっている訳ではない、なぜ退部すると言う選択が出来なかったのだろうか?バスケットボールだったと思うが退部するなら死んでしまおうと言う程のものなのか?この顧問が要求するものに答えられないから変えて欲しいと言ったら「二軍落ちでもいいんだな」と言われたという、二軍に耐えられないから死を選んだというのか?どうも最近の自殺や殺人の報道を見聞きするとあまりに命を軽々しく扱っている様に思えてならない、命は自分の物であっても自分だけのものではない、古来日本では命は神から預かっている物で精一杯生きたらまた神にお返しするものと言う
そう言う宗教的な話ではなく本人の死は多くの関係する人に悲しみを与える、自分は死をもって終局するだろうが親兄弟、友人、事件を知った他人にも深い悲しみを与えてしまう、
殺人となれば尚更である、一人を殺すという事はその数十倍の人達に深い傷と悲しみを与えてしまう事を理解しなければならない、それは知識以前の問題で自分の行為が他の人達にどう言う影響を与えてゆくのか常に考えそれが行動の基盤にならなければならない、
人間社会の知恵として確立してきた事が最近どんどん壊れているように思える