何処へ行くかと 聞かれたら
風の中ゆく 答えはひとつ
何を求めて いるのかと
問わず語りに 西東
人は旅なり ・・・風の中ゆく
瞼とじれば 走馬灯
遥か 去(こ)し方 戻る術なし
友よ 愛しの 彼(か)の人よ
いずれ我が身も 籍をおく
思い届けよ ・・・遥か 去し方
守り通すは 礼と節
風の中ゆく 終りなき道
何をしたかを 問うよりも
如何に生きたか 人らしく
人は旅なり ・・・風の中ゆく
ひとこと:11月10日、高倉健さんが亡くなった。1956年の映画デビューから半世紀にわたる
長い映画人生。健さんの映画はもちろん何本か見てきたが、一本を挙げるとするなら
1972年東映の『望郷子守唄』に尽きる。なぜこの映画を、と言えば私が親交をいただいた
名バイプレーヤーだった女優の故・浪花千栄子さんとの共演だったから。
健さんと浪花さんの共演映画は『べらんめえ芸者』や『宮本武蔵』などいくつかあるが
母子のなんともいえぬ情愛を描いたこの映画は、二人の名演技もあって、胸を打つ、泣かせる
映画だった。(軍隊を特別除隊になった正一(高倉健)が、母たね(浪花千栄子)には
軍隊で頑張っていると嘘の手紙を二度三度出す。たねが上京してきてその嘘をなじり
正一の頬を殴る前後のシーン。大木戸兄弟を倒した正一が怪我がなかったかと心配する
母を背負って警察に向かう最後のシーン。この2箇所のシーンには泣いた泣いた。
オロロン、オロロン、オロロンばい・・・と健さんが唄う主題歌も耳に残っている。
健さんが亡くなって新聞各紙に評伝がいくつか掲載された。
その中のひとつに、後年、映画の仕事や人生を「旅」にたとえることが多かったとある。
また漂白の俳人、種田山頭火の『何を求める 風の中ゆく』が好きだとも語っている。
この書き下ろ詞は、風の中ゆく、この一句に健さんの晩年が色濃く見えたような気がして
そこからインスピレーションが湧き上がった。
礼節を重んじ、いつも背筋を伸ばしキリッとした立ち居振る舞いだった
高倉健さんを偲びつつ、哀悼の詞としたい。
画像をお借りしました
いよいよ今日から12月、今年も残り1ヶ月。最後の月は、ここ数ヶ月における
『私の中の話題』をテーマに書き下ろ詞を進めていく予定です。
ひと、モノ、社会、どんなテーマとイメージが膨らんで詞心を奮い立たせてくれますことやら
どうぞお楽しみに。