福田の雑記帖

www.mfukuda.com 徒然日記の抜粋です。

還暦後3年の実感  童謡、童話、昔話などへの興味が高まった

2009年03月04日 07時42分08秒 | コラム、エッセイ
 数え61歳が還暦と言うことになっている。
 私も2005年5月に思いがけず還暦を迎えることが出来て祝福を受けた。あれから間もなく4年近くになる。その会では記念にえんじ色のアスコットタイと同色のベストをいただいたが、一度も使うことなくどっかに仕舞い込んで存在すら忘れてしまった。

 還暦の数年ほど前は、「もしも、自分が無事還暦を迎えるなら、その年が勤務医としての定年」と勝手に設定していたことが思い出され、決断不足だったと思えてならない。当時の決断不足が今の境遇のルーツの一つで、お陰で思ってもいなかった体験、幸と不幸の両面を重ねていて「人間万事塞翁が馬」と言う言葉の意味を一部ながら実感として感じている。時間は元に戻れない、二者を採ることは出来なかったから、今は、マア、良いか、次の機会は間もなく来るし、と思っている。

 還暦とは人生の折り返し点と考えられている。年を重ねていることの実感もいろいろ感じ取れるが、一方では自分の内的一面は確かに加齢とは逆な方向にターンしたような気がしてならない。

 ここ数年、私は自分の興味の範囲がむしろ広がってきているような妙な充実感と、幼児返りなのか、民話や童話、昔話、童謡や唱歌に対する興味、歴史、人間に対する興味などが明らかに深まってきたと言う実感がある。
 自分自身にある面で幼児性が残っていて、いろんな面でその感覚を楽しんでいたが、何か最近それも高じて来ている様な、なかなか良い感じである。

 最近特に感心するのは童謡や唱歌を創る方々、童話を書く方々の感受性についてである。じっくりと聴き、読むと、本当に真から驚いてしまう。世の中がこんなに変わってしまったのに、それらの方々はずいぶんと感性が豊かなままである。

 そんな様に考えた時、童謡や唱歌、童話がどれだけ子供達に受け入れられているのだろうか、と思ってしまう。これらの作品を子供達に提供できるのは身近にいる大人だろうが、その大人が興味や感受性を失ってしまっているように思えてならない。イヤ、存在さえ知っていないのではないかと思ってしまう事象もある。

 今はむしろ、これらの童謡や唱歌、童話等は年寄りのために、私のためにあるのだ、とも思っている。

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