銅版画制作の日々

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ヒマラヤ 運命の山(2009)▲▽NANGA PARBAT

2011-11-02 | 映画:ミニシアター

 地上8,000メートルの真実

評価:+5点=75点

京都シネマにて最終日に鑑賞。何とか間に合った!

それにしても驚いたのは、酸素もなく、装備も無しという無謀な下山だ。肝を抜くような話である。これには本当に驚いたわ。

メスナーは登山愛好家にとってカリスマ的な存在。山登りをちょっとかじっている私でさえも彼の名前は以前から知っていた。そんな彼が、こんな凄い経験をしていたとは、ちょっとびっくり!

まあ目指す山の高さは、普通じゃないしもちろん様々なアクシデントはあったと思うけど、それにしても無茶な話。8000m級の山をまったく装備なしで下山したなんて、まさに奇跡的なことである。

メスナーだからこそ!ではありませんよ。どんなに素晴らしい登山家でも、これは考えられない事です。そりゃ高山病にもなりますし、凍死もする事も・・・・。

メスナーに弟がいたとは知りませんでした。


右が兄のラインホルト・メスナー。左が弟ギュンター・メスナー

2人は幼い頃から、ヒマラヤ山脈にある標高8,125mのナンガ・パルバート登攀を夢見ていた。


ナンガ・パルバートはヒマラヤ山脈西側のパキスタンにある峰。高さは世界第9位だが世界最大の標高差4500mのルパール壁があり、多くの登山家たちを魅了してきた。

8000mという高さはまったく想像つかない。私が登った一番高い山は富士山です。5合目から登り始めて、9合目付近で足が前に進まなくなった記憶があります。頂上はもうそこなのに、何故か歩けず・・・・。

やっとの思いで頂上に着いた時は、乗り物酔い状態、頭痛と吐き気。まあ大変でした。3776mでこんな状態(笑)
だから8000mの世界なんて、もうもう想像を絶する世界です。酸素不足になると頭にも酸素はいかず、、、、。命に関わるようなことが起こるわけです。

一般的には酸素ボンベを持って挑むのが普通、だからメスナーは只者ではないなんて思いましたよ。とはいうものの、映像の中で2人の葛藤はやはり息を呑むような凄まじいさがありました。

以下あらすじです(goo映画より)

 

幼い頃からヒマラヤ山脈にある標高8,125mのナンガ・パルバート登攀を夢見ていたラインホルト(フロリアン・シュテッター)とギュンター(アンドレアス・トビアス)のメスナー兄弟。成長してドイツの登山界で名を知られるようになった2人に、ナンガ・パルバートにあるルパール壁登攀のチャンスが訪れる。

1970年のことだった。ラインホルトが遠征隊に招待されたのだ。兄の影に隠れることに苛立ちを覚えたギュンターだったが、欠員の生じた遠征隊に、兄の推薦を受けて参加が決まる。

 
                                    カール・マリア・ヘルリヒコッファー博士にはカール・マルコヴィクス
                                                                ヒトラーの贋札のサリ―役で一躍有名になった方

カール・マリア・ヘルリヒコッファー博士(マール・マルコヴィス)のもと、パキスタンへ向かう遠征隊。ルパール壁への何度もの挑戦と失敗を経験したヘルリヒコッファーはエリート登山家たちを集結させた今回こそ、難壁の制覇に燃えていた。ラインホルトのチームと、彼に対抗心を燃やすオーストリア軍隊出身のフェリックス・クーエン(シュテファン・シュローダー)の2チームを競うかのように登頂させるヘルリヒコッファー。

 


雪山を登るというのは至難の業です。劇中でザイルが無いことでえらく困っていましたが、、、、。氷をよじ登るには杭を射してそこへザイルを結び、そのザイルをつたいながらルートを確保しなければいけないんですよね。ザイルが無ければ登れないし下ることさえ難しい。雪は硬いし、ほんまに大変ですわ。

苦難の連続の登頂にチームが分裂していく中、ラインホルトとギュンターは苦難を乗り越え、ルパール壁初登攀に成功する。

 

だがその喜びもつかの間、ギュンターが高山病にかかり、予定の下山ルートを辿ることができなくなってしまう。

 

 

やがて、弟の姿を見失うラインホルト。最後の連絡から8日後、カール・マリア・ヘルリヒコッファーは、メスナー兄弟の帰還を断念する。フェリックスたちの成功を持って帰国途中だった遠征隊と運よく遭遇したラインホルト。しかし、そこに弟の姿はなかった。帰国したラインホルトを待っていたのは、”ヘルリヒコッファー遠征隊の初登攀の成功”と”ギュンターの死はラインホルトの責任”と糾弾する新聞記事だった。


ラインホルトはでたらめな記事に憤慨!真実を語るために、この場所に。

身も心も深く傷ついた彼は、退院後故郷に戻り、遺体のない葬式を執り行った。そして8年後、彼は2度目の登攀に成功する。装備もなく、酸素もなく、弟の姿もなく、たったひとりで・・・・。

 

 撮影記録

2008年8月、撮影開始。ヨゼフ・フィルスマイアー監督率いる制作チームの52日間に及ぶ撮影期間はまさに登頂を目指す大冒険のようだったらしい。撮影のためにチームはナンガ・パルバートに3度訪れた。撮影場所は、本作の企画者ラインホルト・メスナーにアドバイスを受けながら探すことになった。

高所での撮影と天候との闘い。体調管理、高地医学専門医たちも同行。また7100mの高さまで飛行して撮影に臨んだ。

解説(goo映画より)

1970年6月にヒマラヤ山脈のナンガ・パルバート初登攀を成功させたドイツの遠征隊が、遭難者の救助などを巡ってメンバーと隊長が対立する事件が起きた。弟を失い、事件の当事者となったラインホルト・メスナーが参加して事件の全貌を映画化。出演は「白バラの祈り ゾフィー・ショル、最期の日々」のフロリアン・シュテッター。

 

メディア 映画
上映時間 104分
製作国 ドイツ
公開情報 劇場公開(フェイス・トゥ・フェイス)
初公開年月 2011/08/06
ジャンル ドラマ/アドベンチャー
映倫 G

 

オフィシャル・サイト
http://www.himalaya-unmei.com/
Comments (2)
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