母が亡くなった年齢になり、母を想うことが多くなっているのかもしれません。
寝たきりの生活を足掛け9年、私の母は亡くなりました。
寝たきりになる4~5年前から、すでに体調を崩していましたので、
ずいぶん若いうちから不安な日々を過ごしていたのではないかと思うのですが、
私がそんなことに気付いたのは、母が寝たきりになってからでした。
遠く離れて暮らしていたから…という言い訳を申し訳なく思うばかりでした。
今、生きていたなら、ああもしてあげたい、こうもしてあげたい…。
そんなことを想うことも度々ありました。
義母もまた、長い闘病生活の末に亡くなりました。
生前は、長男の嫁として…というよりも、
娘のようにして接してもらいました。
既に母を亡くしていた私は、実の母のように思うこともしばしばでした。
お台所に並んで立ち、お買い物に一緒に行き、お風呂で体を流し合い…、
今では懐かしい思い出です。
母…とは、偉大ですね。
おかあさん、そして、お義母さん、
もっとたくさん、お話をしたかったです…
イチリンソウが咲いていました。
花言葉は、『追憶』です。
寝たきりの生活を足掛け9年、私の母は亡くなりました。
寝たきりになる4~5年前から、すでに体調を崩していましたので、
ずいぶん若いうちから不安な日々を過ごしていたのではないかと思うのですが、
私がそんなことに気付いたのは、母が寝たきりになってからでした。
遠く離れて暮らしていたから…という言い訳を申し訳なく思うばかりでした。
今、生きていたなら、ああもしてあげたい、こうもしてあげたい…。
そんなことを想うことも度々ありました。
義母もまた、長い闘病生活の末に亡くなりました。
生前は、長男の嫁として…というよりも、
娘のようにして接してもらいました。
既に母を亡くしていた私は、実の母のように思うこともしばしばでした。
お台所に並んで立ち、お買い物に一緒に行き、お風呂で体を流し合い…、
今では懐かしい思い出です。
母…とは、偉大ですね。
おかあさん、そして、お義母さん、
もっとたくさん、お話をしたかったです…
イチリンソウが咲いていました。
花言葉は、『追憶』です。
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