今日は、私の父方の祖父の命日です。
でも、私が生まれるよりもずっと前に亡くなっているのです。
ですから、祖父のことで知っているのは、父から聞いたことだけ。
祖父は、私が生まれた田舎町で医者をしていました。
私が生まれたのは、その離れです。
「どんなお医者さんだったの?」と父に尋ねたことがありますが、
何と答えてくれたのかの記憶はありません。
ただ、大きなシェパードを飼っていたらしく、きちんと躾てあり、
お散歩に連れて行っても、祖父よりも前にでることなく歩いたと言っていました。
そんな、どうでもいいことだけを覚えていて、笑ってしまいそうです。
ただ、ご近所の人などが、祖父のことを「怖いけれど、優しい人だった。」と
言っておられました。
子供の私は、怖いけれど優しい…とはどんな人だったの?
と思うばかりでした。
また、「なかなかお薬を出してもらえなかった。」と聞くこともありました。
「それくらいのことは、自分の気持ちで治すものだ。」と言う医者だったとか。
それでも、「体の具合が悪いことの他にも、どんな悩み事でも聞いてもらえたし、
とても優しくていい人だったよ。」と聞くこともありました。
ともあれ、私は父方、母方のどちらの祖父母とも暮らしたことがありません。
母の実家に行った時に、母方の祖父には2度会いましたが、
まだ小さい頃だったため、祖父に呼ばれて祖父の部屋に行くと
「ここへ座れ。」と膝に座らせてもらい、お菓子をいただいたことを覚えています。
母は9人兄弟の末っ子でした。
ですから、祖父からしますと年齢を重ねてから生まれた娘(母)の娘(私)ですから
孫の中でも一番小さい孫だったのです。
伯父や伯母に聞きますと、祖父は「怖くて話掛けられない人だった」そうですが、
私の記憶では、優しいおじいちゃんでした。
伯母たちは、「お父さんは私たちの子供を抱いてくれたことはなかったわ。」と言っておられました。
そして、「末っ子の子供は、やっぱり可愛いのかしらね。」とも。
「孫は子供と違って可愛いよ。」といろいろな人から聞きますが、
子供を育てる時は、親としては1年生ですから子育て経験がなくて必死ですが、
その経験が、孫を見るときに生かされて、ゆとりができている…のかもしれません。
一緒に暮らしたことがない祖父ですが、今日の日だから思い出してみました。
遠く南アルプスを望めるこの場所は、我が家を出てすぐ…。
でも、私が生まれるよりもずっと前に亡くなっているのです。
ですから、祖父のことで知っているのは、父から聞いたことだけ。
祖父は、私が生まれた田舎町で医者をしていました。
私が生まれたのは、その離れです。
「どんなお医者さんだったの?」と父に尋ねたことがありますが、
何と答えてくれたのかの記憶はありません。
ただ、大きなシェパードを飼っていたらしく、きちんと躾てあり、
お散歩に連れて行っても、祖父よりも前にでることなく歩いたと言っていました。
そんな、どうでもいいことだけを覚えていて、笑ってしまいそうです。
ただ、ご近所の人などが、祖父のことを「怖いけれど、優しい人だった。」と
言っておられました。
子供の私は、怖いけれど優しい…とはどんな人だったの?
と思うばかりでした。
また、「なかなかお薬を出してもらえなかった。」と聞くこともありました。
「それくらいのことは、自分の気持ちで治すものだ。」と言う医者だったとか。
それでも、「体の具合が悪いことの他にも、どんな悩み事でも聞いてもらえたし、
とても優しくていい人だったよ。」と聞くこともありました。
ともあれ、私は父方、母方のどちらの祖父母とも暮らしたことがありません。
母の実家に行った時に、母方の祖父には2度会いましたが、
まだ小さい頃だったため、祖父に呼ばれて祖父の部屋に行くと
「ここへ座れ。」と膝に座らせてもらい、お菓子をいただいたことを覚えています。
母は9人兄弟の末っ子でした。
ですから、祖父からしますと年齢を重ねてから生まれた娘(母)の娘(私)ですから
孫の中でも一番小さい孫だったのです。
伯父や伯母に聞きますと、祖父は「怖くて話掛けられない人だった」そうですが、
私の記憶では、優しいおじいちゃんでした。
伯母たちは、「お父さんは私たちの子供を抱いてくれたことはなかったわ。」と言っておられました。
そして、「末っ子の子供は、やっぱり可愛いのかしらね。」とも。
「孫は子供と違って可愛いよ。」といろいろな人から聞きますが、
子供を育てる時は、親としては1年生ですから子育て経験がなくて必死ですが、
その経験が、孫を見るときに生かされて、ゆとりができている…のかもしれません。
一緒に暮らしたことがない祖父ですが、今日の日だから思い出してみました。
遠く南アルプスを望めるこの場所は、我が家を出てすぐ…。