鳥取から城崎温泉で一泊して小田原に帰ることにした。朝、5時過ぎに目が覚めて外を眺めていたら山陰本線の始発電車なのか2両編成で走ってきた。
鳥取から城崎温泉への直通本数が少ない。6時台の電車を除くと直通は午前中2本しか走っていない。鳥取から城崎温泉までは鈍行で2時間。混んでいたら嫌なので早めに駅に行った。9時過ぎだったが人は疎らで閑散としていた。人の気のない駅を写そうかと思ったが、そんなに駅が珍しいのかと思われても癪なのでホームまで写真を撮るのを我慢した。
県庁所在地の鳥取駅前にはホテルやビルが在るものの、この街はひと気のない、あまり城下町の歴史を感じさせない街で、どこが町の中心で繁華街になっているのか分からなかった。9時30分、8名の乗客を乗せて出発。
最初に停まったのが福部駅。ボッ~と外を見ていたら駅舎がプレハブ、駐車場のような広場の横に停車したのでビックリする。
いくつか駅に停まると日本海に出る。きれいなリアス式の東浜海岸沿いを走って東浜駅に到着。
この駅の所在地は岩美町陸上(くがみ)、いつの間にか「りくがみ」の「り」が無音になってしまったのだろうか。ここの駅舎は山陰本線の駅舎に似ず斬新な総ガラス張りみたいな超近代的な駅舎で、驚く。夏は暑く、冬は寒そうで大丈夫なのだろうかと余計な心配をする。
お隣の駅が無人駅で木造駅舎が残る居組駅。
このような古い駅舎が残っているのは嬉しくなる。停車時間が短く、ホームに降りて写真を写すことが出来なかった。ここまで一人降り、一人乗りと車内はガラガラで電車は走っていく。次は「夢千代日記」のロケ地、湯村温泉の入口にあたる浜坂駅。
ホームに人が二、三人いるだけで何だか嬉しくなる。えらく長いホームのある久谷駅に着いた。
ここで一人のお婆さんが降りた。トボトボとゆっくり歩いてホームの端から草むらに消えた。対面式ホームの駅かと思ったら、駅舎のある1番線側にはレールが取り外してなかった。防空壕みたいなコンクリートの駅舎があるのが餘部駅だった。
「餘部鉄橋 空の駅」と碑があるわりにはガックリする駅舎だった。夢千代日記が始まり、強風により列車が転落する前だったから、今から3・40年前に餘部鉄橋を見上げた事がある。明治に凄い所に鉄橋を通したものだと思う。鉄橋を渡って綺麗な海岸線を通り着いたのが鎧駅。
平家の落人伝説かと思ったら、香住海岸にある「鎧の袖」と呼ばれる鎧のような柱状節理と板状節理の断崖、が地名になったらしい。この駅の所在地が「香美町香住区鎧字タルビ」だという。タルビという地名も珍しい。ツララ(氷柱)の古語、タルヒ(垂氷)の音転訛したものだろうか。車窓から構内にある「天然記念物釣鐘洞門 西北海上三十町」とある石柱が見えた。釣鐘洞門は鋸岬と伊笹岬の中間、香美町香住区余部にある世界最大級の洞門だという。海上三十町で舟でしか行けないとすると、北西と云わないのかな。西北と北西の区別が解らなくなる。
冬のカニシーズンを除くと香住駅も寂しい。
佐津駅を過ぎると岬の先に穴ぼこがある切浜海岸が見えてきた。
ここが鬼伝説の残る「淀の洞門」と呼ばれる海食洞みたいだ。竹野駅を過ぎると城崎温泉駅。
ほとんどの乗客は特急「こうのとり14号」に乗り換えてしまい、城崎温泉駅に降りたのは10人もいなかった。この時点ではまだ、城崎温泉は温泉巡りのできる名湯の温泉場と思い込んでいた。
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