大佗坊の在目在口

見たり、聞いたり、食べたり、つれづれなるままに!!

苔寺 大仏次郎文学碑

2015-07-06 | その他

四十数年も前に西芳寺を訪ねたことがある。残念ながら苔が一面びっしりとあった事しか記憶にない。よくお寺の庭を、周りから見られる事を意識しながら眺めてボ~っとしている若い人がいる。何を考えているのだろうと思う。人の出入りを気にしないで「一炷」程度、座禅をしたほうがよっぽど身の為になるとおもうのだが、ここにもそんな人が何人かいた。日本の美という特別の感激もあまり無く西芳寺庭園から庫裏の横を通って苔寺の一般拝観者の出入門である衆妙門に向った。この門の手前に大仏次郎文学碑があった。
 
大仏次郎文学碑文
   苔寺にて
お互いの祖先の日本人がその時々に築き上げて遺したものを今の若い人たちがどんな風に
見ているのか尋ねたいことである亡びたものをただ美的な興味で眺めているのかそれとも
こう乱雑になった世の中にも自分たちの生活や血につながりのあるものとしてなつかしみ
受け取ろうとする心が残っているのか確かめてみたい  帰郷 過去の章より
             大仏次郎作   川端康成書

もう若くはないが「祖先の日本人がその時々に築き上げて遺したものを今の若い人たちがどんな風に見ているのか」「世の中にも自分たちの生活や血につながりのあるものとしてなつかしみ受け取ろうとする心が残っている」と、問われても答えに困る。
大仏次郎は鞍馬天狗の作者としてしか記憶に残らないが、この碑文は小説「帰郷」の文中の一節だという。日本庭園史上重要な位置を占めるという西芳寺庭園を観た後だけに、どんな場面でこの一節が書かれたのか気になって、小説「帰郷」を読んだ。この「帰郷」は戦後、間もない昭和23年、新聞連載小説として発表され、昭和25年に松竹で映画化された。小説では主人公が娘と会う場面は金閣寺で描かれているが、この映画では妻子を捨て国外に逃亡した元軍人の主人公が戦後、娘と会う場面をこの西芳寺で撮影し、その関係で西芳寺境内に文学碑が建てられたのだろうか。この大仏次郎文学碑の裏側に廻れなかったのでいつ建立されたのかハッキリしなかった。

「外国の古い寺院は、現代でも庶民の生活と共に生きてきた。薄暗い堂内に跪いて附近の男女が、祈っている姿はいくらでも眺められたし、信仰に冷淡な観光客でもその人たちを煩わせぬように心をつかって、帽子も入口で脱ぎ、靴の音を立てない用意があった。拝観と名だけ物々しくて、国宝となっている仏像を保存し陳列してあるだけの場所ではない」と作者は主人公に語らせている。戦後直後の物質的精神的な荒廃からまだ立ち直れていない世の中への作者の苛立ちだったのだろうか。

注:いっしゅ(一 火篇に主)線香一本が燃える時間


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