大佗坊の在目在口

見たり、聞いたり、食べたり、つれづれなるままに!!

小月・長府城下の旅

2011-12-05 | 

下関から小月駅までは山陽本線でわずか20分程度。朝、小月駅にいた女学生に近くのコンビニの場所を訪ねたが、キョトッとして埒があかず、コンビニという言葉を知らないのかと思うほどだった。駅の南側は日清食品やシマノの大きな工場がポツン、ポツンとあるだけの広々とした原野で、小月の町外れに駅を作ったのが分かる。

 

 この付近はサンデン交通のバスが走っている。タクシーの運転手も言っていたが、電車とバスの連携も悪く、高杉晋作の墓までの交通の便が非常に悪い。駅から東行庵前までのバス便は午前中僅か3便のみ。駅から東北方向4Kの東行墓がある吉田清水山まで歩いて行く凄い子が沢山いるとのことだった。何の予備知識もなく東行庵に行った。この庵は高杉晋作の菩提を弔うため、又、おうの(初代庵主 梅処尼)の為に建てられた庵で、晋作の号にちなんで「東行庵」と名づけられたという。東行墓の南側に奇兵隊士墓地があった。なんでも三代目庵主の谷玉仙尼が、昭和四十六年から各地を訪ね歩いて、忘れ去られた諸隊士の墓を持ち帰り、東行庵に安置して供養したものだという。

 

 

 

 

 

庵の横に高杉晋作と奇兵隊及び下関市吉田地区の資料などを収蔵し、幕末・維新期を中心に展示活動をしている下関市立東行記念館がある。晋作の遺品二百数十点について晋作子孫、萩市、下関市、東行記念館との間で激しい所有権争いがあったと聞く。バタバタと小月駅から長府駅に戻り、一路、道玄堂山にある旧会津藩士神戸岩蔵綱衛のお墓を探しにいく。やっとの思いで神戸岩蔵の墓を見つけ一息ついて功山寺に向かう。

 

ここは長府毛利家の菩提寺、仏殿のうしろに長府毛利家の墓域が残っている。もう1つの長府毛利家の菩提寺、笑山寺にも行った。このお寺が大正八年、神戸岩蔵の位牌を作り同寺の位牌堂に安置し、其の霊を弔った旧長府藩士桂弥一の菩提寺であることを知ったのは、その後で行った長府図書館でのことだった。

 

 

 

笑山寺

 

 

昼食で寄ったのが壇具川沿いの「祥」というお店、このお店が桂弥一の旧宅だとしってビックリする。侍医兼侍講職だった管家長屋門のある古江小路をブラブラする。

  

 

 

長府の旅 会津藩士神戸岩蔵綱衛

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