大佗坊の在目在口

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愛宕山警部巡査戦死之碑

2008-05-09 | 會津
東京芝にある愛宕山にいった。
ここはれっきとした国土地理院発行の
2万5千分の1の地形図に認められた山。
もっとも標高50m未満の山で超低山といわれている。

ここに西南の役で戦死した東京警視第二方面第一分署
警部巡査の「表忠□功」の碑が残っている。
(3文字目の□は、古い書には旌の文字を当てているが、判読できず)

この警部巡査戦死之碑は、明治十年、西南の役で死事した、
東京警視第二方面第一分署員30名の氏名が刻まれている。

この碑は西南の役鹿児島県逆徒征討総督、有栖川熾仁親王題額、
鷲津宣光撰文、巌谷修書で明治十二年六月に建てられたが、
碑文の端に再建之記と追刻がある。

此碑ハ元南方広場中央ニアリシモノナルカ大正十二年九月一日大震災ノ
為倒壊セリ今回社殿造営ニ際シ碑中ニ記セル忠勇無双ナル警官諸氏ノ功
績ヲ後世ニ傳ヘント企画セル建設者ノ芳志ヲ継承セント欲シ上司ノ許ヲ
得テ再建シタルモノナリ
                 昭和九年五月
                 愛宕神社社掌松岡□□

この碑で会津関係戦死者と判別出来たのは5名
巡査  栗城瀧三郎   熊本城戦死    北会津郡上荒井村
警部補 田原重文    二重嶺戦死    北会津郡御山村
巡査  宇月平作    木留戦死      耶麻郡猪苗代町
巡査  佐藤左久次郎  宮原戦死     青森県旧藩士
巡査  吉川七郎    木留戦死      若松栄町

碑面の破損をコンクリートで固めてあり、裏面に
愛宕山建碑損貨姓名記と数百名の姓名を刻んだとあるが、
補修で今はまったく見ることは出来ない。
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