大佗坊の在目在口

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田名部から大間へ(斗南の風景4)

2012-05-28 | 會津

斗南領内への旧会津藩士とその家族の移住総員数については資料によって差がありハッキリしないが、青森県史記載資料によれば移住者総数一万七千三百二十人、戸数四千三百三十二戸(推定)とあり、斗南藩史記載若松県の上申によれば、若松にて帰農した者約二千人、東京にて職業に就いた者約千二百人、斗南藩に引移した者一万四千八百人、不明者約二千人、旧会人員数を二万人としている。むつ市は市制施行30周年記念事業として平成2年3月、当地における斗南藩120周年にちなみ、大平浦に到着した斗南藩移住の経路を史跡として後世に伝えるため「斗南藩士上陸之地」の碑を建立した(揮毫会津松平家十三代当主松平保定氏)。

 
説明板によると、この碑は慶山石で造られ、会津若松を望む方角に設置されたという。周りは、むつ市の花「ハマナス」と会津若松市の木「アカマツ」で囲まれている。
 
この海岸から見える山がここに移住した会津の人たちが斗南磐梯山と呼んだ釜臥山、この山の向こう側にあるのが恐山。恐山という山があるのかと思ったら、宇曽利湖を中心とした外輪山の総称で南側の山が釜臥山、湖の北側が賽の河原といわれ菩提寺がある。日本三大霊山、日本三大霊場、日本三大霊地、恐山はいずれにも含まれている凄そうな所、ここの「イタコの口寄せ」には興味ないが、この場所は一度、訪ねてみたい場所だが、今回は外輪山のふちを眺めて我慢する。ここから車で5,6分のところにあるむつ運動公園の東端(テニスコート横、森林のなか)、落野沢に柴五郎住居跡を訪ねた。国道から脇道に200mも入った鬱蒼とした何か獣でも出てきそうな林が開けた所に「風雪の落の沢」という説明板があった。

 
「寒気肌をさし、夜を徹して狐の遠吠えを聞き五郎の厳父佐多蔵は「ここは戦場なるぞ会津の国辱雪(そそ)ぐまでは戦場なるぞ」(「会津人柴五郎の遺書」より)と言ったという。 明治四年廃藩置県により、忽然と士族授産は消え失せ士族は四散せざるを得なかった。斗南士族の胸中には「まこと流罪に他ならず、挙藩流罪という史上かってなき極刑にあらざるか」という憎悪と怨念が残るのみであったという。そこから50m位戻った所に五郎が兄と共に仮住まいしたという呑香稲荷神社への鳥居がある。
 
薄暗い神社の裏側にまわってビックリした。そこには綺麗なテニスコートがある広々としたむつ運動公園だった。県道6号に入り、斗南ヶ丘市街地跡に向かう。
 
 
「斗南藩が市街地を設置し、領内開拓の拠点となることを夢見たこの地は、藩名をとって「斗南ヶ丘」と名づけられました」とあった。「夢見たこの地」という悲惨な言葉が、この斗南ヶ丘の歴史の運命を物語っていた。この跡地に下北地域で一番大きい碑がある。


秩父宮両殿下が昭和十一年、下北地方を巡遊され、ここ斗南ヶ丘に立ち寄られたことを記念し、秩父宮両殿下御成記念碑を昭和十八年に子爵松平保男謹題、旧斗南藩士荘田三平謹撰、従七位近藤賢三にて建立した。昭和四十六年、斗南藩百年祭に斗南ヶ丘記念碑に秩父宮妃勢津子殿下(旧斗南藩主松平容大令姪)をお迎えしている。ここから車で二,三分のところに斗南ヶ丘で唯一生き残った島影家や斗南会津会の人々が建立した「斗南藩追悼之碑」と旧藩士の墓域があります。
 
 
本州最北端の岬、大間崎に寄った。会津鶴ヶ城落城後、明治新政府によりこの下北と三戸・五戸地方へ会津藩士とその家族1万7千300人が挙藩移封された。その血と涙の歴史を、斗南藩史生を務めた木村重孝の御子孫が展示している歴史資料館「向陽處」にお邪魔した。
 

ここにあるカラーの城下絵図の話を聞いてから3年目にようやく訪ねることができた。色が鮮やかに残っていたのに驚く。この絵図の制作年代が不明なのは残念だったが、絵図の中に沼澤小八郎と記載があった。高木盛之輔誌「沼澤道子之傳」(道子の夫は十代沼澤九郎兵衛)によると、十一代沼澤六郎(後、左馬助)は元治元年に病死、その後を継いだのが二男の小八郎(十二代出雲、のち七郎)で、そうすると、この絵図は元治元年以降に作成 されたものと考えてもよさそうである。夕方、田名部に戻る。夜は斗南会津会の方々に懇親会の場を設けて頂いた。挨拶のあと、会津藩士流亡の歌「下北哀史」を聴かせてもらった。お隣の斗南会津会の会長さんが「この歌を聴くと涙が止まらないのです」と大粒の涙を流されていた姿が今でも強く心に残っている。

(下北哀史歌詞)
涙こらえて 鍬とれば 下北哀し 火山灰 緑の山河 夢とおく 
すぎし戦争(いくさ)を ふりかえる 故郷の唄に 風も哭く 

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