ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

『道義国家』の実現を願う神社本庁と日本会議のシモベの巣窟『安倍政権』

2017年03月08日 | 日本とわたし
平成28年4月25日(月)衆議院議員稲田朋美さんと道義大国を目指す会
http://www.inada-tomomi.com/blog/1023





国家主義的ロビー団体『日本会議』。
この極右ロビー団体『日本会議』と、安倍首相の親密な関係こそが、この森友学園問題の本質です。
安倍首相は、日本会議を支援する超党派の議員によって構成される、議員連盟・日本会議国会議員懇談会の特別顧問です。
この国粋主義的教育機関とも言える森友学園とのつながりが、今の安倍内閣はもちろん、日本会議を支援する議員たちの思想の偏りを物語っています。

「教育に情熱を持っている」
「同じイデオロギーを共有する」
「教育勅語、素晴らしいじゃないか」

森友学園問題は、日本で影響力を増している、右派的な教育運動の暗黒部に光を当てました。
そのことで、平和主義と民主主義を基本原則とする戦後の教育体制を拒絶し、道義国家を悲願に掲げ、粛々と続いてきた日本会議と神社本庁のロビー活動の浸透の深さが、少しずつ世間に知られるようになりました。
なぜ、この森友学園だけが、このような特別扱いを受けたのか。
そのことについてわかりやすく書いてくださった、五十嵐仁さんのブログ『五十嵐仁の転成仁語』の記事を、ここに転載させていただきます。

塚本幼稚園を応援していた「安倍夫妻と不愉快な仲間たち」
【五十嵐仁の転成仁語】2017年3月4日
http://igajin.blog.so-net.ne.jp/2017-03-04
 
共産党の小池書記局長による、鴻池祥肇元防災担当相の事務所の面会記録の暴露は、大きな反響を呼びました。
すかさず、鴻池さんは会見を開き、働きかけを受けた事実を認めながらも、「口利き」については否定していました。
 
しかし、鴻池側と籠池理事長らとのやりとりが記された「陳情整理報告書」によれば、事務所は、籠池さんと国の交渉を仲介し、
籠池さんや国との接触は、2年半で25回に上り、「上から政治力でお願いしたい」「土地評価額を低くしてもらいたい」「高過ぎる。何とか働き掛けて欲しい」などと、要求していた
ことが明らかになりました。
実際に「口利き」があり、その通りになったということです。
 
また、ウェブ上では、「親友が経営、昭恵夫人が名誉園長の学校法人に、特区指定、37億の土地がタダに」という情報が流れており、
「安倍首相に、“第二の森友学園”疑惑! 」と話題になっています。
安倍昭恵夫人が名誉校長を務めている、「御影インターナショナルこども園」という保育施設の運営である、加計学園の件ですが、いずれこれも、国会などで追及されるかもしれません。
http://lite-ra.com/2017/03/post-2957.html


ということで、昨日の続きです。
第5の疑惑は、どうして森友学園だけがこのような特別扱いを受けたのか、という核心に関わる問題です。
 
その答えは、籠池理事長の教育方針が、日本会議などの極右勢力の望む方向と一致し、安倍夫妻をはじめ、これらの勢力が、こぞって協力したり応援したりしていたからです。
塚本幼稚園の異様で特殊な教育を、幼稚園だけにとどめず、小学校以上の学校教育に持ち込もうという計画が、今回の騒動の出発点ですが、
このような時代錯誤でおぞましい教育内容を良しとする勢力が、塚本幼稚園に総結集していました
 
そのことを、明瞭に示している事実があります。
それは、塚本幼稚園で行われていた、「教育講演会」です。
http://www.tukamotoyouchien.ed.jp/lecture/

このホームページには、
「お子さんの教育は、保護者の方々のしつけ、けじめに、非常に影響されます。
塚本幼稚園では、子供たちが、将来立派な人間として成長し、我が国を率先して引っ張って行ける人材を、共に育てるため、
保護者の方々にもご成長していただきたく、著名な先生をお呼びし、講演をしていただいております」と、講演会の目的が書かれていました。
対象は子供たちではなく「保護の方々」であり、「ご成長していただきたく、著名な先生をお呼びし」ているというわけです。
 
それでは、どのような「著名な先生」が呼ばれ、どのような話をしていたのでしょうか。
「過去の講演」として紹介されている主なものは、以下のようになっています。

平成28年11月19日
百田尚樹先生講演会
「日本危うし。将来を担う子供達の時代を見据えて〜現代日本にとって危うく足りないものとは〜」


平成26年4月26日
曽野綾子先生講演会
「人間を造るもの」

平成25年9月21日
平沼赳夫先生講演会
「私の人生、生き方、心の持ち方」

平成25年6月22日
青山繁晴先生講演会
「日本の出番をつくる」

平成25年5月25日
竹田恒泰先生講演会
「私の憲法論」

平成24年10月27日
渡部昇一先生講演会
「修身について」

平成24年5月12日
中西輝政先生講演会
「どうすれば、日本を良い国にできるのか」

平成23年11月3日
櫻井よしこ先生講演会
「日本よ、勁(つよ)き国となれ」

平成23年5月7日
武(ママ)田恒泰先生講演会
「日本はなぜ世界で一番人気があるのか」

平成21年5月9日
田母神俊雄先生講演会
「国防理念なき日本民族の将来」

平成20年11月15日
中山成彬先生講演会
「日教組の影と功罪」

平成20年6月22日
米長邦雄先生講演会
「歴史と伝統、そして幸せの原点は家庭にあり」

このように、百田尚樹、曽野綾子、平沼赳夫、青山繁晴、竹田恒泰、渡部昇一、中西輝政、櫻井よしこ、田母神俊雄、中山成彬、米長邦雄などの名前がずらりと並んでいます。
これに安倍昭恵さんが加わり、安倍晋三さんも、このラインナップに仲間入りするはずでした。
 
実は、森友学園からの陳情要請を暴露して、渦中の人となった鴻池祥肇さんも、
2008年7月12日に、塚本幼稚園で開かれた「教育再生地方議員百人と市民の会」第10回定期総会で、基調講演をしていました。
まさに「右派論客」の総登場、という豪華さであり、「安倍夫妻と不愉快な仲間たち」の勢ぞろい、といったところでしょうか。
 
一幼稚園の講演会というには、「立派」すぎるメンバーであり、森友学園の「総裁・理事長」である籠池さんの、人脈と影響力のすごさをうかがい知ることできます。

注目されるのは、この講演会に、元NHK経営委員だった作家の百田尚樹さんが、名を連ねていることです。
NHKの関係者が関わっていたのは、百田さんだけではありません。
 
今もNHKの経営委員を務めている、長谷川三千子埼玉大学名誉教授、日本会議代表委員も顔を出しています。
長谷川さんは、昨年4月29日の『第11回「昭和の日」記念式典』で、基調講演を引き受けています。
 
そのテーマは、「神やぶれたまはず―昭和精神史を考える」というもので、パネルディスカッションのパネラーには百田尚樹、曾野綾子、青山繁晴、竹田恒泰など、右派の論客がズラリと並んでいました。
http://www.tukamotoyouchien.ed.jp/lecture/


塚本幼稚園は、ネトウヨ的な右派論客の巣窟だったのです。
その組織的な結びつきは日本会議であり、精神的な紐帯は教育勅語であり、掲げられたシンボルは安倍昭恵総理大臣夫人でした。
 
この幼稚園の何が支持され、評価されていたのかは、推薦の言葉を見れば一目瞭然です。
ホームページに掲載されていた、「推薦の声」を紹介しておきましょう。

中山成彬先生 衆議院議員(元文部科学大臣)
「私も、塚本幼稚園を訪問したときのことを、鮮明に覚えています。
園児の成長に合わせた、いろいろ画期的な取組に、感銘をうけました。
子供たちが暗唱した教育勅語や、その他の名文は、子供たちの成長につれ、人生の祈り節に、子供たちの良き同伴者として、励まし続けていくことでしょう。
幼児の頃の頭の柔らかい時に、人生の道案内になるような漢詩、美しい詩歌等を覚えさせることは、とても良いことだと考えます。
(中略)
子供たちの一生が幸せなものでありますように、持って生まれた可能性を、十分に開花させられる人生でありますように、心からお祈り致します」

田母神俊雄先生 軍事評論家 元航空自衛官 第29代航空幕僚長
「私は昨年、塚本幼稚園の父兄参観日に、幼稚園の教育の様子を見せていただきました。
教育勅語の暗唱や論語の授業、そろばん、ラグビーの練習などを見て、塚本幼稚園では、真に、日本人づくりの教育が実施されていることを、実感いたしました。
「三つ子の魂百まで」の諺があるとおり、幼児教育は、人格形成上極めて重要です。
籠池園長の明確な教育方針のもと、伸び伸びと育った園児の皆さんは、今後大きく成長してくれるでしょう。
国際化の時代にあって、日本人のアイデンティティーを持っておくことは、必要不可欠です。
ご父兄の皆様は、今後とも、誇りある日本人を育てることを目指し、子供たちの無限の可能性を、伸ばしてやって頂きたいと思います」

西村眞悟先生 衆議院議員 元防衛政務次官
「ここで過ごした三年間は、皆さんの生涯にとってまことに貴重です。
何故なら、幼い頃の思い出こそ、一生を貫く「力」だからです。
皆さんが、大きな声で読んだ論語の教え、また、教育勅語の尊い精神は、これから、楽しい時も、苦しい時も、悲しい時も、いつも生涯にわたって皆さんを支える、ありがたい「心の力」です。
この尊い教えを身につけた皆さんは、ご家族の宝であると同時に、日本の宝です。
皆さん、祖国日本への愛と、ご恩ある先生への感謝、友達への友情を忘れず頑張ってください」

竹田恒泰先生 慶應義塾大学 大学院法学研究科講師
「塚本幼稚園は、日本で最も素晴らしい幼稚園の一つです。
そのような素敵な幼稚園で、学ぶことができた卒園生の皆様、きっと立派な日本人になられるでしょう。
小学生になっても、これまで学んできた事を忘れず、しっかりと勉強してください。
勉強すれば何かが変わるはずです。
皆さまが、将来の日本を支える、強くて優しい大人に成長するよう、期待します」


 
このような思想的な背景があったからこそ、森友学園は評価され応援されていたのです。
これらの人々をはじめ、安倍夫妻のシンパシーを忖度する形で、様々な便宜が図られたのではないでしょうか。
 
もちろん、「安倍晋三記念小学校」という幻の命名や、「安倍昭恵名誉校長」という肩書は、このような配慮や便宜が求められる際には、最大限利用されたにちがいありません。
そのことによって、小学校設立の認可が容易になり、格安での用地取得が可能になり、戦前型軍国主義教育が是認されたとすれば、安倍夫妻の道義的責任は免れません

それでは、「画期的な取組に感銘をうけ」(中山成彬)、「真に日本人づくりの教育が実施」(田母神俊雄)、「教育勅語の尊い精神」(西村眞悟)、「日本で最も素晴らしい幼稚園の一つ」(竹田恒泰)などと絶賛されている塚本幼稚園の実態は、どのようなものだったのでしょうか。
次回は、この幼稚園での教育の実態に、迫ってみることにしましょう。


↑以上、転載おわり

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というわけで、森友学園に対する国有地払い下げについては、国会議員が関わっていることが明らかになってきました。
国会では、財務省や国交省はもちろんのこと、まともな日本語が話せないでんでん首相の、意味不明の答弁が飛び交うだけで、説明としては成り立っていません。
何より、隠さなければならないものの存在を誤魔化そうとするから、答にならないのです。
 
初めから、森友学園に国有地を売却することが決まっていた。
あるいは、森友学園に、安価で国有地を売却しなければならない、何らかの事情が生じた。

という疑念について、元ゼネコン土木技術者の立場から、わかりやすく書いてくださった記事があります。
理解しておきたい事柄ばかりですので、ぜひお読み下さい!

安倍政権の命取りに?
森友学園小学校の地下に眠る「最大のタブー」
=近藤駿介

【MONEY WOICE】2017年2月26日
http://www.mag2.com/p/money/34692/2

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さてここで、籠池理事長の長男・佳茂氏の証言の中に、自民党の先生方の名前が次々に出てきた、という記事を紹介します。

森友学園理事長長男「関係が深い自民党の先生の名前明かす」
【NEWS ポストセブン】2017年3月6日
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20170306-00000002-pseven-soci&p=1

鴻池祥肇・元防災相が緊急会見で、「無礼者!とカネは突き返した」と言えば、安倍晋三・首相は国会で、「会ったこともない」と繰り返す。
国有地払下げ問題の疑惑拡大とともに、森友学園と“親交”があった政治家たちが、一斉に手の平を返すなか、
「あんなに応援したのに、政治家の先生方の物言いには納得がいきません」と怒る、新たな証言者が現われた。

森友学園が幼稚園児に教えている、君が代や軍歌の斉唱も、教育勅語の朗読も、「安倍首相ガンバレ」の激励を含めて、安倍首相の教育観と親和性が高い
だからこそ首相は、国会で、同学園の籠池泰典・理事長について、最初はこう激賞してみせたはずだ。

「いわば、私の考え方に、非常に共鳴している方でですね」
「妻から、森友学園の先生(籠池氏)の教育に対する熱意は素晴らしい、という話を聞いている」


ところが、森友学園批判が強まると、発言を一変させた。

「学校がやってることの詳細は、まったく承知していない」
「個人的には、一回もお会いした記憶はない」


さらには森友学園が、「安倍晋三記念小学校」の名称で新設する、小学校の寄付集めをしていたことについて、首相は、何度も断わったと説明したうえで、
「教育者の姿勢としていかがなものか」「この方は簡単に引き下がらない。非常にしつこい」と酷評した。
こうした首相の“豹変”に怒っているのが、籠池氏の長男・佳茂氏だ。

「父は、安倍先生の熱狂的な支持者なんです。
安倍政権ができた時には、日本という国が本当によくなると、本当に喜んでいた。
父の気持ちは、安倍先生にも伝わっていたと思います。
だから、父のことを、『立派な教育者だと聞いている』と仰った。

それがいまや、安倍先生から、『しつこい』とか、『教育者としていかがなものか』とまで言われ、
あれだけ一所懸命応援していた父が、どんなにショックを受けているかと思うと、黙っていられません」


佳茂氏は本誌のインタビューに応じ、安倍首相との面会から、日本会議との接点、稲田朋美・防衛相や山谷えり子・元拉致担当相との奇しき縁まで語った。


◆安倍先生とお会いしました

──安倍首相は、国会で、籠池理事長と会ったことがない、と説明している。

「父の代理で、私が安倍先生とお会いしました。
2012年9月の自民党総裁選の時に、安倍先生は、大阪で街頭演説をしたあと、リーガロイヤルホテルに向かいました。
私はホテルのロビーで待っていて、『籠池です。父の名代としてきました。くれぐれもよろしく伝えてくれと言われています。応援しています』と挨拶して、父の名刺を差し出したのです。

安倍先生は、父の名刺を、隣にいた秘書の方に渡されていました。
私は確かに、父の名代として、ご挨拶をしました。
安倍先生が、『会ったこともない』と言われるのはどういうことかと。
心にぶれがあるからなのでしょうか」


佳茂氏が、「これを見てください」と差し出した名刺には、〈衆議院議員 安倍晋三〉とある。
当時は総理退任後で、自民党も下野しており、安倍氏は、無役の“ヒラ議員”だった時期だ。

──会ったのは1度だけ?

「実は、その前に直接、電話をもらったことがあります。
父が、安倍先生を、幼稚園の講演会にお呼びしていたのが、安倍先生から急に、キャンセルになると、私の携帯電話にお詫びの連絡が入ったのです。
間に入ってくれた人が、父と間違えて、私の番号を教えたのではないでしょうか? 
『すみません。私は息子です。父のほうに電話をしてください』と、父の番号を伝えました」


──仲介者は誰か。

「よくわからないんです」

佳茂氏は、森友学園と安倍首相をつないだ「仲介者」については、頑なに口をつぐんだ。


◆山谷、稲田、中山との関係

──他の議員との関係はどうか。

「大学を卒業して、山谷えり子先生(第2次安倍内閣の拉致問題担当相)の事務所で、半年ほどカバン持ちをしました。
(落選中だった)山谷先生が、自民党から参院選の比例代表に出馬する頃です。
日本会議が、初めて選挙で推薦したのが山谷先生でしたから、椛島有三・日本会議事務総長に連れられて、東京の事務所で紹介されたのがきっかけです。

私が事務所に出入りしていたのは半年で、次に、東京で、連合系の労働組合の職員になりました。
父の名代で、安倍先生にお会いしたのはその後、大阪に戻って事業を始めた頃です」


山谷事務所に、佳茂氏がスタッフとして関わっていたのか確認すると、「事実ではございません」と回答。
双方の言い分は食い違っている。

──森友学園の園児が、自衛隊員に手作りの品を贈ったことに対して、籠池理事長は、稲田朋美・防衛相から、感謝状を受けている。

「稲田先生が、初めて政界に出馬されたときから、父は応援していました。
それなのに、今になって、稲田先生が感謝状取り消しも検討すると仰るなんて、ハシゴを外されたという思いはあります」


稲田事務所は、籠池理事長との関わりについて、
「どういった機会に会ったかは定かではありませんが、面識はありました。
が、とんでもないことをしつこく言ってくることなどがあり、無視をしていたら、稲田の私邸にFAXや電話を入れるようになったので、お付き合いは10年前に一切やめています」
と回答した。

──中山成彬・元文科相は、森友学園について、
〈園児に教育勅語を斉唱させている幼稚園ということで、視察したことがあるが、経営者自身が勅語の精神を理解していないようだ〉と、ツイッターで批判したが。

「中山成彬さんも講演にいらしたことがあり、その時には、参観して朝礼からみてもらって、どんな教育をしているのか、知っていたはず。
応援してくれていた一人だと思っていました。それが、いまでは手のひら返しですから」


中山氏が語る。

「10年ほど前、1度だけ、森友学園の幼稚園に視察に行った。
園児がワーワー言っているので、何を言っているのか分からなかったんだけど、それが教育勅語だったと。
講演した記憶はないが、理事長が、『自分は一生懸命に(こういう教育を)やっているんだけれど、ここは大阪だから、日教組の小学校に入ると、全然無駄になってしまうんだ』と、そういうことを仰っていたことは記憶しています」


いくら切り捨てようとも、過去の関係までは“なかったこと”にはできない、ということだ。
※週刊ポスト2017年3月17日号


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上の記事にも登場した稲田防衛相。

稲田防衛相「教育勅語の核の部分は取り戻すべき」
【NHK NEWS WEB】2017年3月8日
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170308/k10010903641000.html

稲田防衛大臣は参議院予算委員会で、大阪の学校法人「森友学園」が運営する、幼稚園の教育内容に関連して、
「教育勅語の精神である親孝行など、核の部分は取り戻すべきだと考えており、道義国家を目指すべきだという考えに変わりはない」と述べました。

この中で、社民党の福島副党首は、大阪の学校法人、森友学園が運営する幼稚園で、園児に教育勅語を朗読させていたことに関連し、
「稲田防衛大臣は、過去に、月刊誌で、『教育勅語の精神を取り戻すべきだ』という趣旨の発言をしているが、その考え方に変わりはないか」と、ただしました。

これに対し、稲田防衛大臣は、
「10年以上前の、政治家個人としての意見を述べたもので、全く同じ意見を持っているわけでもない」と述べました。

一方で、稲田大臣は、
「教育勅語の精神である親孝行や、友だちを大切にすることなど、核の部分は今も大切なものとして維持しており、そこは取り戻すべきだと考えている」と述べました。

そして、
「教育勅語の精神である、日本が高い倫理観で、世界中から尊敬される道義国家を目指すべきだ、という考えは、今も変わっていない」と述べました。

また、稲田大臣は、
「教育勅語が戦前、戦争への道につながるなど、問題を起こしたという意識はあるか」と問われたのに対し、
「そういうような一面的な考え方はしていない」と述べました。

このほか、稲田大臣は、過去に大阪で開催した、みずからのパーティーに、学園の籠池理事長が出席していたものの、それ以降、籠池氏との接触はないと説明しました。


過去に教育勅語に賛同するコメントも

稲田防衛大臣は過去に、雑誌で、教育勅語に賛同するコメントを寄せていました。

平成18年に、月刊誌が企画した、自民党の国会議員の座談会で、「教育勅語の素読をしている幼稚園が大阪にある」と述べたうえで、
当時、文部科学省が、教育勅語を幼稚園で教えるのは不適当、としたことに対して、
文部科学省の担当者に、「教育勅語のどこがいけないのか」と、みずから問い合わせた
としています。

さらに占領政策で、日本の道徳や価値観が失われたとしたうえで、「教育勅語の精神は取り戻すべき」と発言しています。

また、平成23年には、別の月刊誌の中で、「いま国民が、日本の伝統的精神が集約された『教育勅語』を、求める機運にある」とコメントしていました。


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この道義国家こそが、日本会議や神社本庁が、一貫して目指しているものです。
この道義国家というのは何か。

日吉神社の宮司を務めておられる三輪隆裕さんが書かれた記事を、ここに転載させていただきます。
少し長いのですが、ぜひ時間を見つけて読んでください。

道義国家批判
【宮司のブログ】2016年7月31日
http://hiyoshikami.jp/hiyoshiblog/?p=333

今年(2016年)、7月13日、外国特派員協会での記者会見の席上、
日本会議会長の田久保忠衛氏は、「これからの日本は、道義国家を目指す」という発言をしている。
外国人記者も驚いたようだが、その理由は後述するとして、最近、各所で、道義国家という言葉を聞くようになった
安倍首相を礼賛する人々は、異口同音に、「『道義国家』日本の建設を目指すべき」と言う
もちろん、神社本庁が一貫して、「道義国家」を目指していることはご承知のとおりである。
 
この「道義国家」を、ネットで検索してみると、たくさん出てくるが、全て肯定的な賛成論ばかり。
ちなみに、「道義国家批判」を検索してみても、批判論はほとんど見られない。
日本の政治学者や法学者は、何をしているのかと言いたい。
巷間、「道義国家」が良いものであるかのように、世論が定着したら、責任は、学者たちにあると言いたい。
これほど、否定や批判が容易であるものを、どうして知らぬ顔をして見過ごしているのか?
 
そこで、今回は、この「道義国家」を詳細に吟味し、これがいかに危ない考えであるかを論証しておく。

■「道義」とは何か?
 
一般的には、道義とは、人としてふみ行うべき正しい道、道徳、道理、と解される。
 
明治の思想は、儒家神道と呼ばれる神儒一致思想に、深く影響された。
道義という言葉は、儒教に淵源を求めることができよう。
孔子は、「仁」を徳目の最上位に置き、孟子は、「仁と義」を最上とした。
2500年前の思想である。
孟子はまた、王覇の別を唱え、王道論の道筋をつけた。
日本人には、この「義」と「王道」が、殊の外好まれた。
「道義」とは義を行う生き方、「義」とは正しいこと、「正義」という意味である。
薩摩義士、赤穂義士、という風に使われた
 
一方、生活の場での大切な生き方として、道徳がある。
日本人が好む道徳の例として、教育勅語を参照してみる。
そこで謳われている徳目は、「孝」、「助」、「信」、「和」、「謹」、「慈」、「忠」、「智」、「学」、「尽」「遵」である。
これを、南総里見八犬伝に記された、儒教の八徳と比べてみる。
それは、「仁」、「義」、「礼」、「智」「信」、「忠」、「孝」、「悌」である。

共通しているのは、「孝」、「信」、「忠」、「智」である。
この他に、「助」は「悌」と同じ、と考えて良い。
 
極めて注目すべきは、教育勅語には、「義」が欠けていることだ。

当時は、国民が、国内で生きるための指針として、勅語が作られたので、敢えてこれを外したと思われる。
「義勇公に奉じ」という部分があるが、これは「忠義」の範疇であって、「正義を行え」という意味ではない。
「義」とは、正しいことを行う、という意味であり、何が正義であるか、ということは、人によって異なる
それを吟味しようとすれば、価値妥当性の議論につながる。
例えば、幕藩体制が悪である、と考える人々にとっては、その打倒が「義」となる。
明治体制が悪である、と考える人々にとっては、その打倒が「義」となる。
これではまずいので、「義」を外して「遵」(法)を入れた、と考えられる。
 
例えば、大川周明は、1925年、「道義国家の原理」を発表した。
ここでは、個人の自我と国家が対立する場合を想定し、
「今日の国家が、最早、国民道徳の客観的実現として是認せらるべき」と説いた。(帝国日本の「道義国家」論と「公共性」—姜海守より引用)
すなわち、国民意識と国家が、共通の道徳によって秩序づけられるべきだ、と説いたのだ。
これは、国民意識に基づく、政府の打倒を是認する思想である。
 
従って、政府は、「義」という徳目の扱いには、慎重であった。
1937年発行の「國體の本義」の中にも、「道義」という単語は見当たらない。
そして、1941年発行の「臣民の道」の中に初めて、「道義国家」という単語が、大日本帝國が正義を行う国である、とする文脈の中で使われた
そこでは、
「世界史の転換は、旧秩序世界の崩壊を、必然の帰趨たらしむるに至った。
ここに我が国は、道義による世界新秩序の、建設の端を開いたのである」
と記されている。

これは、当時の法哲学者である尾高朝雄の
「道義は国家の理念であり、国家は道義の実現を使命とする人間共同体である」という主張が、大きな影響を与えていたと思われる。(帝国日本の「道義国家」論と「公共性」—姜海守を参照)
 
すなわち、「道義国家」とは、国家を内的に秩序立てるロジックではなく、国家の行動の正当性を表明するためのロジック、として使用された
 
しかし、現在、一般に流布している教育勅語の、現代語訳を見ると、
「朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ德ヲ樹ツルコト深厚ナリ」という冒頭の部分が、
「私は、私達の祖先が、遠大な理想のもとに、道義国家の実現をめざして、日本の国をおはじめになったものと信じます」となっている。
ここでは、「道義国家」という概念が、国家の内的な枠組みを示すもの、として使用されている。
 
ネットの中での「道義国家」も、田久保氏の「道義国家」も同じである。
まさか、日本が、世界を道義によって新しく秩序立てる使命を持つ、などと主張されたつもりはないであろう。
ここで、誰がどのようにして、そのような戦前と異なる用法を導いたのかは、知る由もない。
 
しかし、ここでは、現実に使用されている「道義国家」という意味合いにおいて、批判的考察をしてみよう。
 
この場合、「道義」とは、単に正義を行うという意味にとどまらず、教育勅語に記されたような、道徳の徳目を全て実践するという意味に捉えることが、適切と思われる。

「道義国家」とは、そのような道徳的な国民で満たされた国家であり、対外的にも、そのような徳目に沿って振る舞う国家である、とするのが適切であろう。
 
道徳で人の行動を律するというのは、古代から存在する考え方だ。
孔子や孟子が説いた徳治主義というのは、国民を徳によって治める、つまり、国民を一定の道徳に従わせることによって秩序を得よう、とする社会システムだ。
 
では、どのようにして、道徳を守らせるか?
法律で罰則を定めるか?

しかし、道徳とは漠然としたもので、刑罰を定めて強制する対象としては、極めて不適切なものだ。

例えば、「親孝行」という道徳を守らなかった人に、刑罰を加えるとして、どのように、具体的に、罪の定義をするのか?
子が親にたてついた場合、禁固刑を定めるのか?
程度に応じて量刑を定めるのか?
全ての徳目に対して、そのように定めることは、現実的に不可能だ。

せいぜい出来ることは、尊属殺人を重罪とするようなことだ。
 
では、実際は、不道徳な行いに対して、どのように規制を加えるのか?

一例をあげよう。
前東京都知事の舛添氏は、政治資金の私的流用の不道徳性を追求されて、知事を辞職した。
しかし、彼は、法律に違反したわけではない。
その不道徳性を、あらゆる世論によって断罪されて、辞任に追い込まれたのだ。
民主的に言えば、これはあってはならないことだ。
問題とすべきは政治資金規正法の不備であり、その改正が求められるべきだ。
そして、次の知事選挙で落選して、失職するのが適切であった。
しかし、世論は、彼の不道徳性を非難し、彼を辞任に追い込んだ。
このように、不道徳を規制するものは、人々の非難であり、世論の非難である。
 
従って、道徳で規律を守ろうとする社会は、必然的に、同じような価値観を持つ国民を作り上げ、異論の人物を世論によって排除しようとする

そこには、思想、表現の自由など存在しない
個性は世間に埋没し、右へ倣えの国民性となる
例えば、国家経済が破綻に瀕したとしても、国民は皆で我慢し、この困難を乗り越えるべきだと説かれる
国家に対する批判は、不道徳なものとして排除される
もちろん戦争には、国家総動員で、これに当たらなければならないとされる
そして、道徳は、本来、国政を司る人々も、共通に守らなければならないものであるが、彼らは道徳にとらわれない。
なぜなら、世論を誘導するメディアは、権力に媚びるので、真の政治支配層を非難することはできないからだ。
さらに、道徳は、法的に定められるものではないので、権力者たちを道徳に従わせる術はない
このような国民に対する一方的な倫理の強制は、まさしくかっての共産国家と同じだ。
 
指導層は道徳を守らない、ということは、現在、「道義国家」を実現しようとしている人々の言動を観察すれば、十分に理解できる。
例えば、
櫻井よしこ氏や百地章氏は、緊急事態法の成立を促すために、
人々に、東日本大震災の折は、ガソリンが緊急車両に行き渡らなかったために、救える人も救えなかった、という嘘をつき続けている

憲法改正をPRする映画を作っている百田尚樹氏は、映画の中で、白州次郎の「今に見ていろ」という気持ちを抑えきれずに云々というくだりを、
日本国憲法は米国に押しつけられた憲法で、白州は悔しい気持ちでそれを受け止めた、とする証拠として挙げている

しかし、当の白洲次郎は、その著書「プリンシプルのない日本」の中で、以下のように記している。
「戦争放棄の条項など、その圧巻である。
押しつけられようが、そうでなかろうが、いいものはいいと率直に受け入れるべきではないだろうか」
彼は、日本国憲法を喜んだ
のである。
何故か?
あの時代状況にあって、戦争放棄条項は、アメリカからの軍事力の拠出の要請を断り、経済発展に資本を集中するために、実に便利な条項であったからだ。
 
このように、「道義国家」の実現を主導する人々は、「信」を持っていない
彼らは、「道義国家」を実現することによって、唯々諾々と、為政者の命令に従う国民を得ることを、真の目的としている
 
本来、「道徳」とは、古代から近代化が始まるまでの、前近代社会において、人々の秩序を維持する装置の一つとして、人類が持っていたものだ。
社会が大規模になるにつれ、法律が道徳や慣習に代わって、人々の秩序を守る最善の手段となった
近代化以降、人間は自由である、という思想が発達し、慣習や道徳で、一つの方向へ人々をまとめていく考えは、影を潜め、
代わって、自由な人々を規制する装置としての、近代法が整備された

人々は平等であり、法は平等に適用されなければならないので、為政者をも法で縛る、立憲主義が成立したのだ。
 
これに対し、道徳は、為政者が、国民を柔らかく拘束する装置として働く。
しかし、時に、特定の項目が、法律によって厳しく国民に適用された時には、世論と相俟って、猛威を振るう
戦前の治安維持法が、その良い例である。

一方、道徳は、為政者には決して適用されない
なぜなら、適用する法的な強制力がないからだ。
もちろん、為政者を縛る法律を、為政者自身が作るわけがない
そして、為政者はいつも、自分たちが道徳的であるという嘘を主張する
 
国民は、為政者が、道徳的に完成された人格であると思い込まされ、国家の指導に、盲目的に追随するように馴らされていく
 
かえりみれば、戦中に、道徳、道徳と騒いだ人達の中に、どれだけ道徳的にまともな人々がいたか、甚だ疑問だ。
彼らの作り出すのは、「道徳」によって、国民を一定の価値観の中に押し込め、自分たちは不道徳な行いを自由に行い、好き勝手に国家を弄ぶ社会システムである。
最も、自分たちが不道徳であるという自覚が、あったかどうかは定かではない。
現代の櫻井氏も百地氏も百田氏も、自分が不道徳であるとは自覚していまい
 
儒者は、まつりごとの要諦として、「民はよらしむべし、知らしむべからず」と説いた
国民は従わせることが大事で、余分な情報を与えてはならない、ということである。

今、日本で起きようとしているのは、そのような、2500年前に主張された体制への変化だ。
常識では考えにくいことだが、本当である。
 
日本は、成熟した民主主義と市場経済を持ち、基本的人権を尊重する国である、と信じられていたが、
どうも、昨今の日本国民の意思は、そうではないようである。
外国特派員が心配するわけだ。
 
最後に、「道義国家」が外国特派員に驚かれた理由を記す。
「道義国家」をそのまま英語に訳すと、「MORAL COUNTRY」となる。
英語のこの概念は、民主主義と基本的人権の尊重が、最も発達している国、といった意味だ。
日本において、現在、国民主権や基本的人権の尊重や、民主主義が危機に瀕していると理解して、田久保氏の質問に当たった外国特派員が驚いたのは、当前であった。
 
今一度いうが、「MORAL」とは、人類が得た共通価値、基本的人権の尊重、民主主義の成熟、社会的弱者に対するケア、こういったものがMORALだ。
 
教育勅語に記された道徳は、前近代の道徳であり、それ自体は、決して否定されるものではない。
しかし、肯定されるためには、
第一に、
それが権力者、為政者を含む全国民に、遵守されるものでなければならないが、それを保証する合理的な方策はない
第二に、
道徳というものは、「義」の例でも示したように、多義性、相対性があることが多い
常にそれを意識し、総合的な視野に立って、道徳性の有無を判断すべきである。
そして最後に、
最も重要なことは、旧来の道徳は、現代の新しいMORALの下位に置かれるものであることが必要である。
すなわち、国民主権と基本的人権の尊重を柱とする、民主主義に基づく法体系によって、社会システムが成立していることが、必須の要件となる。


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このように、「道義国家」の実現を主導する人々は、「信」を持っていない
彼らは、「道義国家」を実現することによって、唯々諾々と、為政者の命令に従う国民を得ることを、真の目的としている

神社本庁や日本会議が目指す『道義国家』の実現を、ここで食い止めなければいけません。
森友学園問題の発覚は、日本社会が直面している危機を知らしめてくれた、絶好のチャンスなのですから。

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2 コメント

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初めまして ()
2017-03-13 20:22:16
私は、日教組が反日教育を植え込んだものですが、成長してから色々と疑問点が沸き上がりました
だからこそ歴史を色々と調べました
教師が、何故反日になるのかその気持ちも分かります。
でも今の日本は、嫌いです
結局、偏った教育をしたせいでしょうね
だから結構私みたいな人は、かなりの人数いると思います。
男女は、それぞれの役割があるし
夫婦別姓なんて気持ち悪いです
日教組の反日教育を徹底的に植え付けられても成長して物事を飛躍的に考えたら自然に考えが湧いてきます
誰にも教えられなくとも思考が働きます
古代から続く日本人の子孫だからかな
自分でも不思議です。
昔に戻るのではなく
日本人の子孫は、日本人の生活を取り戻したいのだと思います。
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海さんへ (まうみ)
2017-03-22 13:49:51
初めまして。返事が遅れてすみませんでした。

海さんのご意見、読ませていただきました。
調べること、そして知ったことを自分なりに受け止め、考えていく。
この行為はとても大切だと思います。

日本人とは?ということを、偶然ではありますが、最近友人と話したことがあります。最近では、日本人の定義というのはかなり流動的で、いろいろな説が語られています。
こちらのような、人種のるつぼである土地で暮らしていると、何人であるか、ということよりも、地球人であることを強く感じるようになりました。

多様な文化や思想が、それぞれに活き活きと存在する成熟した社会を、日本も持てたらいいですね。
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