ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

『ガメ・オベールの日本語練習帳v_大庭亀夫の休日』より

2014年07月07日 | 日本とわたし
とても共感する、そしてまだ掴み切れなかった世界の仕組みを、分かりやすい言葉で話して下さっているブログ、
ガメ・オベールの日本語練習帳v_大庭亀夫の休日』に出会いました。

日本から一緒にこちらに渡り、長年一緒に暮らしてきた家族猫を亡くし、胸にポッカリ空いた穴に、ひゅうひゅうと薄ら淋しい風が吹き通っているのを感じながら、
ガメさんの文章を、ぼんやりと、まるで絵画を眺めているかのように読みふけっているうちに、
だんだんと、自分が戻ってきたような気がしました。

そういう、うまく言えないけれども、自分が生きている現実を、いろいろな角度から、とんでもない博識でもって、それを分かりやすく話してくれるガメさんの言葉は、
ほとんど薄れかけていた、まあ多分、いざという場に放り込まれたら、ほぼ役に立たないであろう危機感みたいなもんを、呼び起こしてくれました。

ぜひみなさんにも、その全文を読んでいただきたいので、紫色の文字をクリックして、彼の世界を覗いてみてください。
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たくさん泣くことも悪くない

2014年07月07日 | 家族とわたし
看病中もよく泣いた。
看取った後はさらに泣いた。
だからまぶたは、今だにボテボテ。
少し押すと水が出てきそうなくらい。

けれども、それでも少しずつ、感情の起伏がなだらかになってきた。
彼女の苦し気な姿より、満足そうに、旦那やわたしのすぐ横で座っていた姿を、たくさん思い出せるようになってきた。
彼女の15年と8ヵ月の生涯のうち、14年と3ヵ月は、ここアメリカでの暮らしだった。
外に出たい時は、「出たいねんけど~」と鳴けばドアが開き、入りたい時は、「入りたいねんけど~」と鳴けばドアが開く。
視神経が故障してたから、野良猫や野生動物に攻撃されても防ぎ切れず、同じ場所(右耳)によく怪我をした。
室内飼いに転向しようかと、何度も何度も思案して、けれども結局、外遊びを禁止できなかった。

安全な場所にとどめておいて、長生きさせる。
怪我や命に関わる事故や感染の可能性を承知で、外遊びを許す。

一日でも長く一緒にいたいのなら、一日でも長く良い状態で生きられるようにしてあげたいなら、当然室内飼いでしょう?
何度もそう言われたし、自分たちもそう思っていた。
けれどもやはり、旦那もわたしも、外の世界を享受する自由を、彼女から奪うことはできなかった。

彼女はとても健康で、高級で健康に良いネコ缶とカリカリ、そして刺身が嫌いだった。
焼き魚なら、少しだけ食べた。
焼き海苔が好きだった。
かつお節も好きだった。
安いカリカリ餌が好きだったけれども、同じ種類のが3日続くとすぐに飽きて、文句を言った。
だから、安いけれども、少なくとも5種類の違うカリカリを毎日交代で与えると、文句を言わずに食べた。
けれども、少しでも古くなると、また文句を言った。
一度にしっかり食べなくて、朝と晩に与えたカリカリを、適当に、好きな時に、ダラダラと食べた。
そういう食べ方が、餌の品質が、晩年の彼女の体にたくさんの支障をもたらしたことを、本当に後悔している。
あれだけの強い生命力を持っていた猫なのだから、わたしたちがよく学び、きちんと接していれば、きっともっともっと長生きできただろうに。

彼女の体に変調が起きたのは、もうかれこれ半年以上も前になる。
水をガブガブ飲み、大量のおしっこをした。
それで、猫砂の種類をいろいろ変えたり、容器自体を変えたりしたけれど、床に点々とつく汚れがだんだんと酷くなる一方で、
さらに、尿を含んだ塊の重さといったらハンパじゃなくて、ゴミの収集日のたびに、係の人たちに文句を言われはしないかと、ビクビクと様子を伺ったりした。
そしてとうとう行き着いたのが、猫用のおしっこシート。
これで一気に、地獄から天国に舞い上がった。
一匹だと、3日で交換すればよいと書かれてあるシートが、彼女の場合、丸1日でボテボテになった。
だから、少し割高になるけれども、それまでのように、一日のうちに何度も何度も、床に這いつくばって拭き掃除をしなくてもよくなったし、
なによりも、あの悲惨な臭いを嗅がされなくなったし、ゴミ収集日にビクビクしなくても良くなったのは、とても大きな贈り物だった。

よっしゃ~、コレでこれからうまいこといくぞ~!
と思ったわたしは、どの大型ペットショップよりも安い値段で買える、しかも送料無料の会社から、おしっこシートを定期的に配達してもらうようにした。

ショーティの体調が悪化し始めた時、そろそろ配達の期日がきましたが、続けますか、どうしますか、というメールが送られてきた。
断ることができなかった。
断ったら、それはもう、彼女の命をあきらめた、ということになる。
あきらめなくてはならないのかもしれないけれども、まだあきらめきれないでいたので、配達してくださいと返事した。


新鮮な水をいつでも飲めるよう、水の容器も変えた。
彼女はそれを、とても気に入っていた。
餌は、好きではなかったけれども、糖尿病を患った猫用の餌を細かく砕き、そこにかつお節と白湯を足して与えると、それなりによく食べてくれた。
とても良いウンチが出るようになり、それを処理するのに、サランラップを利用した良い方法を見つけた。
インシュリンの注射を、一日に2回も打たれるのは、彼女にとっては苦痛だったかもしれないけれども、
その注射器も、最近発売された、最短の、6ミリメートルの極細の針のついたものに替えたら、それほど嫌がらなくなった。
それが嬉しくて、半年分購入した。

なにもかもが、これからの彼女の暮らしを、これまでよりも良い方に、導いてくれるような気がした。


でも、彼女は死んでしまった。
あっという間の20日間だった。
けれども、とてもすばらしい20日間だった。
家に戻って玄関のドアを開ける時、今でもまだ彼女が、ドアのむこうにいるような気がする。
家を出る時、留守番をする彼女のためにすること、例えば室内の温度調整や、餌やトイレの状態のチェックなど、ついつい考えてしまう。
外遊びに飽きると、入れて~とアピールするために座っていた窓枠に、彼女の姿をふと見たような気になる。

こちらに引っ越してきた当初、自信を持って英語で話せなかったわたしを、幼児扱いする意地悪な人もいた。
日本だったら簡単にできたことが、何一つまともにできず、細かなミスをくり返し、どんどん落ち込んでいった。
そんな時、普段は愛想のないショーティが、なぜかそばに寄り添って、優しくしてくれた。
頑張れでもなく、しっかりしろでもなく、まあええやんでもなく、言葉や感情を伴わないけれども、それはとても温かかった。
わたしはだから、いつも、「あんたも新しいとこで大変やなあ」と言いながら、彼女の丸い背中を撫でた。

たまに、この仔がおらんようになったらと、考えたことはあった。
でもそのたびに、そんなことは考えられへんし、まだまだそんなことにはならへんと、即打ち消した。
なんの根拠もない、単なる希望であったことを、今つくづくと思い知らされている。


お墓を作った。
白い紫陽花を見つけたので、それを植えた。


そして、旦那とわたしが見守っている。


お墓を作った後、少し気持ちが強くなった。
よし、片をつけよう。

「僕を待たんと埋めてあげて」と言ってた長男が、お墓参りに帰ってきた。
もうかなり危ないと思ってメールをしたら、「苦しんでへん?」と聞いてきた。
ショーティは、彼は甘えられるだけ甘えさせてもらえると知っていて、それで興奮し過ぎたあまりに、彼のスネに大怪我を負わせたことがあった。
家族の中で一番、一緒に暮らした時間は短かったけど、その時間の中に流れる愛着は、他の人より濃かったかもしれない。


彼女が使っていた物を、洗濯したり洗ったりして、少しずつ、部屋の中から消していこう。




そして、それといっしょに、泣いたり後悔したりする気持ちも、少しずつ、心の中から減らしていこう。