ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

想像を絶するほどダメな組織に、想像を絶するほど危険な原子力を扱わせるのはもうやめよう!

2013年06月08日 | 日本とわたし
米加州原発、再稼働断念=三菱重工に賠償請求―放射能漏れクリップする
【時事通信・ニューヨーク時事】 2013/6/8

昨年1月に、微量の放射性物質漏れ事故を起こした米サンディエゴ近郊のサンオノフレ原発について、
同原発を所有する電力大手サザン・カリフォルニア・エジソン社(SCE)は7日、運転を停止している原子炉2基の、再稼働を断念したと発表した。
事故の原因となった、蒸気発生器の製造元である三菱重工に対し、損害賠償を求める方針という。
 
この事故では、運転中の3号機で、蒸気発生器内の配管の一部が破損。
放射性物質を含む水漏れが起こったほか、定期点検中だった2号機でも、配管の摩耗が見つかった。
SCEは、まず、2号機の蒸気発生器を修復して再稼働させる計画だったが、
行政手続きにかかる時間や維持費、補修費などを考慮すると、再稼働は経済的ではない、と判断した。
 


もともとアメリカは、原子力発電に見切りをつけてる。
そやし、この事故は、もっけの幸いと言えるもので、これを利用せんのはもったいないとばかりに、
前々からの常識やった、原子力発電は全然経済的とちゃうということを理由に、一儲けしたろと突っ込んできた。

三菱重工も東芝も、それから日立も、ほんまのところは手ぇ引きたいとこなんとちゃうの?
騙せるとこにはまだまだ偉そうに、破廉恥に、原発を売り込んでるみたいやけど。
この蒸気発生器は、2009年以降に設置されたばかりのもんやったらしい。
これが世界に誇る日本の原発技術の水準、ちゅうこと?

原発なんて、地球上に存在したらあかんもんやってん。
原爆と同じように。

それに気づき出した世界。
気づいてへんふりしてトボケてる日本。
気づいてるのに、よそにまでちょっかい出してるフランス。

もうほんまにやめさそう。


で、これはきーこさんが文字起こししてくれはった小出先生のお話。
「"もんじゅ"と"敦賀原発"」小出裕章ジャーナル6/9ラジオフォーラム(内容書き出し)
から、もんじゅについて話してくれてはるとこを抜粋して転載させてもらいます。

ラジオフォーラム
第22回放送 ふたつの震災が残したもの
 放送日:6月8日(土)~15日(金)
 ゲスト:西岡研介さん(ジャーナリスト)
 パーソナリティ:今西憲之(ジャーナリスト)


小出裕章ジャーナル


今西:
せんだってから大きなニュースとして伝えられているなかで、
やはり、福井県敦賀市にある、日本原子力研究開発機構の高速増殖炉もんじゅで、
重要な機器に点検漏れが1万点も見つかった、と言うニュースが伝えられていますけれども、
1万点のそういう機器、部品なんかが、点検時期が過ぎていたにもかかわらず、そのまま放置されていたということが、
原子力規制委員会の調査で分かったという事なんですが、
1万点も期限が切れてたという事で、こんなものを放っておいて、もし運転再開したらエライ事になるなと思うんですが、
小出さん、その辺いかがお感じになりましたでしょうか?

小出:
もちろん私もそう思います。
ただし、なにか日本原子力開発機構だけがサボっていた、というふうに報道されているようですが、
いったいこれまで、国の規制機関は何をしていたのか?と、私はむしろ、そちら側が不安です。

今西:
なるほど。
原発事故が起こって、国民の関心が急に原発に向いてきた。
それで慌てて、きちんと規制する側も見始めた。
そんなふうに捉われかねないですよね。

小出:
もちろんそうですね。
ようするに、「きちんとこれまで規制も何もしてこなかった」ということなんですね。
何か国の方は偉そうに、「原子力研究開発機構が悪い」というふうに言っていますけれども、
悪いのは国も同罪だ、と私は思います。

今西:
なるほど。
そういう中でですね、監督官庁は文部科学省だそうなのですが、
その文部科学省が毎年、日本原子力研究開発機構、昔は「動燃」と呼んだところなんですが、
「安全確保の徹底」ですとか、「もんじゅの研究開発について」という評価基準がいろいろとあって、
その中で、「A評価、順調である、という評価をずっと下していた」という報道もあるんですが、
なんかもう小出さん、マンガみたいな話なんですけれどもね。

小出:
はい、本当にマンガのような話ですね。
もともと、いま今西さんがおっしゃってくれたように、動燃という組織ですけれども、
正式名称で言えば、"動力炉核燃料開発事業団"と言いました。
新しい形の原子力発電所をつくったり、あるいは、核燃料をどうやって調達するかという事を考える研究所の筈だったのですけれども、

今西:
一種の国営の研究所みたいなものですよね?実質的に。

小出:
そうです。
もともとは科学技術庁傘下でしたし、今は文部科学省の傘下にあるのですが、言ってみれば国営のものです。
で、その動力炉核燃料開発事業団が手がけた、いわゆる発電用の原子炉というのは、
"ふげん"という原子炉と、"もんじゅ"という原子炉の二つなのですが、
"ふげん"はもう、とうの昔に「こんなものは役に立たない」と言って、廃炉になって無くしてしまいましたし、
"もんじゅ"はつくってはみたけれども、未だに1kwhの発電も出来ないまま、1兆円を超えるお金を捨ててしまったという、
本当にどうしようもないものなのです。

それで、核燃料に関しても、人形峠でウラン鉱山を掘ってみたりしたわけですが、
そこも結局何の役にも立たないまま、「放射能のゴミを周辺にまき散らせて知らん顔している」という、そういう組織ですし、
海外でウラン鉱石を調達しようとしてきたのですけれども、全くそれも出来ないという……、
想像を絶するほどダメな組織なのであって、A評価なんていうものは、どれを考えてもあり得ない組織です。

今西:
おまけにあれですよね、
ナトリウム事故という重大な事故を起こし、その上その事故の詳細を隠し、地元の方々に大変迷惑をかけ、恐怖を与えたという、とんでもない組織ですもんね。

小出:
そうです。



いやもう、話が痛すぎて、読んでるだけで目がしょぼしょぼしてくる。
マンガとしか言いようのないほどに、呆れたバカ組織と、それを見過ごしてるバカ大臣たち。
なんにもまともなことできてへんのに、金だけはしっかり自分らのとこに流れ込んでくるように、勝手に法律作ってからに、
こんなもん、破棄せなあかんやんか、まずはじめに。

結局なんの役にも立たんまま、重大な事故起こして、その事故の詳細を隠しまくって、迷惑と恐怖を与えまくって、ほんでもまだのうのうと責任から逃れてる。
こんなんアリか?

想像を絶するほどダメな組織が、想像を絶するほど危ない原子力を扱うてる国に住んでるってこと、マジで今一度、真剣に実感した方がええんちゃうんやろか……。

来年の4月に、日本へのわたしの想いを、音に託して演奏します!

2013年06月08日 | 音楽とわたし
カーネギーホールで行われる定期演奏会の、出場権をめぐってのオーディション。
今回は40のパフォーマンスから20、そやし50%の確率。

ソロ部門では、16人から8人が選ばれ、12月と4月の2回に分けて、4人ずつ演奏する。
アンサンブル部門では、22グループから12グループが選ばれ、それぞれ6グループずつ演奏する。

今回も、昨年同様、使用料がバカ高い中ホールのザンケルホールをやめて、室内楽ホール(客席300弱)を2回借りて、出演者をより多く出せるようにした。
演奏会は、12月と来年の4月に行われる。

今日はその、オーディションの採点を集計する日。
なんとまあ、わたしの作品が、アンサンブル部門で一番の点数で通過した。
これはもう、どんな曲なんだかようわからんけど、なんとなく良さそうであるという、前向きの票をいただいた結果としか言えない。
ありがたいやら、ラッキーやら……。

ということで、まだ作曲が完成してないということもあって、後半の、来年の4月のコンサートに出演することになった。

この曲は、もともと作り終えてたものやけど、初めての作品であり、たった3日で仕上げなあかんかった状況で慌てて作ったものやから、いつか、できたらもういっぺん、きちっと作曲し直したいと思てた。
けれども、それからずっと、気がついたら20年以上も経ってしもてて、ほとんど忘れてた。

それがなんでかしらんけど、あの震災と津波が起こってから、日本のことをこれまで以上に真剣に考えるようになったわたしの心の中に、あのメロディーが蘇ってきた。

これはもう、自分に与えられた使命やと思うしかないと思い、恐々、古ぼけた楽譜を探し出し、開いてみた。
これをもういっぺん練り直して、日本への想いの限りを音に託してみよか。

夏の間に、なんとしても仕上げなあかん。

題名は『いのり』

日本の再生を心から祈りながら、音符をひとつひとつ書いていこうと思う。

ありがとうまなつちゃん!

2013年06月08日 | 家族とわたし
恭平のガールフレンドまなつちゃん。
この5月に、無事に、こちらの大学を卒業したがんばり屋さん。
就職が決まるまでの間、うちの3階に下宿中。

一昨日の木曜日のお昼過ぎ、居間に降りてきて、
「もし、今夜の予定がなにもなかったら、わたしが夕飯作ってもいいですか?」
なんて、涙がチョチョぎれるような嬉しいことを言う。

おぉ~、なんというしゃ~わせよ。
木曜日は、仕事が7時過ぎまである。
そやし、もちろんわたしは作りとうないし、旦那もできたら作らんで済ませたいから、めちゃありがたい申し出なんである。

「もちろんもう、大大歓迎やし!ありがとう!」

ということで、まなつちゃんは夕方から台所に入り、コンコンとまな板の音を立てて作り始めた。

仕事が終わり、台所に行くと、ふぇ~ええ匂いじゃ……。
旦那はというと、のんびりとギター弾きながら、フェイスブックなんぞを覗いてる。
ううう……もしうちに娘がいたら、もしかしてこんな感じやったんかも……。
胸が熱うなる。

まなつちゃん♪色白で、かわいくて、ちっこくて、優しくて、賢くて、しっかりしてて、ちょっと天然ボケしてて、見てるだけで気持ちの良い子。


手作りの豆腐と鶏肉ミンチのつくね、


カレー味の野菜スープと、豆とほうれん草のサラダ、


ほんでもって、グレープフルーツジェリーのデザートを、と思たのやけど、時間切れであきらめたそうな……。
一食一品の我が家では、奇跡のようなメニューなんである。

もちろん、恭平も早めに帰宅。
みんなで感謝しまくりながらいただいた。
美味しいな~美味しいな~と言いながらパクパク。
恭平は、まことに幸せそう。
そんな息子を見てるこの母も、もちろん超~幸せ!
大事にしなはれや~。

まなつちゃん……就職までと言わず、長いこと居てくれてええよ、などと、コソッと心の中で思う調子ノリなわたしなのであった。

韓国旅行記・その5

2013年06月08日 | 家族とわたし
韓国のソウル空港を出たのが、6月2日の夕方で、こちらに着いたのが、同日2日の夜9時半。
まあ、時差が成せる技なんやけど、いっつもこれでまごついてしまう。

帰りもまたサンフランシスコ経由やったんやけど、今回はただ乗り継ぐだけで、しかもその乗り継ぎ時間が短いってんで、例のごとく、父が「さっさとするように」とうるそう言うてた。
で、なんやしらんけど、入国手続きにめちゃくちゃ時間がかかり、セキュリティ検査にもまたまた時間がかかり、旦那とわたしは両親にちょいとだけ遅れをとった。
彼らに追いつこうと、脱いだ靴、外した携帯用のカバンのベルト、リュックから出したiPadなんかをあたふたと身につけたり詰め込んだりして、ダダッと走ったのやけど……、

間違うて、行ったらあかんとこに降りてしもて……そこは下りのエスカレーターしか無く、階段を上がることは許可されず、
そこにいたセキュリティのおねえさんに何回頼んでも、どう事情を説明しても、「あかんっちゅうたらあかん、もっぺんここから出てセキュリティ検査のやり直し」と冷たい返事……。
仕方のう、また元のセキュリティ検査のとこに戻り、一からやり直しせなあかんかった……ドドドッと疲れが出る瞬間……。
旦那の携帯に父から連絡が入り、とりあえず飛行機は飛ばんと待っててくれるらしいっちゅうことで、安心してええのか悪いのか……。

幸運なことに?、またまた飛行機のどっかに故障が生じてたらしく、旦那とわたしが機内にやっとこさ入ってった時、満員の乗客から白~い目で見られんで済んだ。
やれやれ……。

という感じの、最後までドタバタな旅やったけど、戻ってから今日で丸1週間。
月曜日から土曜日まで、とりあえず無事に、いつものように仕事を済ませることができた。
ただ、時差ボケがちょっと、いつもよりひどい。
木曜日の夜なんか、まるで一睡もできず(ぜ~んぜん眠くならんかった)、朝の6時半まで目がらんらん♪
その反動か、昨日の金曜日の夜は、ようやくしっかり眠ることができた、初めての夜になった。

では、最後の旅日記をここに。

6月1日またまた曇り空

今日のガイドさんはキムさん。
あんまり慣れてないこと、英語があまり堪能ではないことを何回も謝らはる。
大丈夫。アメリカ人はそんなこと全然気にしまっしぇん。
最初は、旦那とわたしが昨日見っけた散歩コースから。

自然のまんまの海岸。緑の切れたとこらへんにあるのが遊歩道。そこをずっと歩いた。


めちゃ揺れる吊り橋。旦那がわざわざ戻ってきて、やったらあかんて書かれてあることをする。ガキか、あんたは!


右上の方で立ってるおっちゃんは、なんでか知らんけど、両手で木の幹をパンパン叩いてはった。


こんなふうに、ちょっと怖い顔して。そやし、内緒で激写!


ここは2004年やったかに開かれたAPECの会議場。


中を見学。


長寿のシンボルが描かれた壁画。真珠貝で作られてる。


会議場。母はカーペットにぞっこん。


ハングル語は、第4代国王の世宗さんが作らはったのやけど、あんまり当時は歓迎されんかったらしい。
けども、当時読み書きができん人があまりにも多いことに気づいた◯◯(←ここが聞き取れんかった)さんが、皆ができるようにと普及しはったもんらしい。
そのハングルも、さらに簡易化が進んでる。


今日はなんと、例年より1ヶ月も早い海開きの日。



さて、韓国のお寺のほとんどは、山に向こうて建てられてる。そやしその中にあってとても珍しい、海に向かって建てられてるお寺を訪問。
寺までの道沿いに、露天がずらりと並んでた。

露店のマネキンさんがワイルドな趣。


名前が思い出せへん根っこ。


真っ黒の海藻。


韓国のたい焼き!


蚕さん!なにやら、奥のワッフルみたいなんに挟んで食べるらしい……げげっ♪


お守り。牛の鼻輪。


韓国風お惣菜。


野菜各種。


これまたお惣菜。おばちゃん、ちょっと疲れ気味。


海草を千切ってはる。


108の煩悩からの開放を願う寺。


安全運転の塔。タクシーの運転手さんがぎょうさんお参りに来はるらしい。


男の子が欲しい人は、このお方のまぁるいお腹をなでなでしたらええのやそうな。


生首な仏さん。


ひたすら降りる。帰りの登りがちょいと恐ろしい……。


小銭を奥の像が抱えてる丸い入れ物に入れた人には幸運が……こういうのってどこにでもあるような……。


自然のまんまの海岸。


やっとこさ、お寺の本堂に到着。


ここで108回のお辞儀をする。
よほどシリアスな問題の時には、3千回もお辞儀をするのやそうな。
韓国式のお辞儀は、どことなくイスラム教のそれとよく似てる。そやし、わたしのようなヘタレには多分無理……。


シッダールタの生い立ちが描かれた壁。


扉がきれい!


屋根もやっぱりきれい!


猫ちゃんっ!


亀さんっ!


ツツジに埋れそうな仏像さん達。


この金色の仏さんは、ある日町に出てみたら、あまりにも貧しい人が多いことに胸を痛め、
目の前にいた裸の人に、自分の上着を着せてあげ、また次の貧しい人に服を分け与えているうちに、とうとう自分は裸になってしもたという、ひじょ~に優しい気持ちの仏さんやったんやそうな。




右側の石を積んだ塔の近くには寄れんかった。相当でかい。


海苔を作ってる。


上っては下り、また上っては下り。韓国のガイドさん(というか、韓国の人たち)は、足腰が強い!普段からよう歩いてますから、とガイドさん。


これぞまことのドラゴンボール!


そしてその下に、なんでかわからんけど、ちび仏さんがぎょうさん♪


お寺の全景。



母が、釜山に着いた時から絶賛してるこのフェンス。魚の形をしてる。



さて次は、釜山の町を一望できるタワーに。入り口にも仏さん。そしてやっぱり提灯も。


エスカレーターを乗り継いでぐんぐんぐんぐん上がる。


キムさん、がんばる!


あんさん、ちょっと胴長すぎちゃいまんのん?


釜山の山側。旦那がよう来てた20年前の釜山とは、まったく様変わりしたそうな。


途中の広場でやってはった伝統音楽と舞踊。


めちゃ真剣勝負!


緑が濃い!



さて、この旅行最後は、釜山のマーケット巡り。


昭和のかほりがするスプーン。


韓国風おでん♪


ぎょぎょぎょ!!


夫婦?!だれや!!わたしがブタやって言うてんのは!!


コリアンマーケットに行ったら絶対に買う、大のお気に入りおやつ。本場もん♪


わおっ!


にんにくのサイズが違た。デカかった。


やたらと美味そうなスープ。


げげっ!シナモン焼き~!苦手じゃ~!


揚げお好み焼き?


干物が半端ちゃう。


これまたおでん!


もちろんこれは必須!


なぜか「いらっしゃいませ」と書かれてた喫茶店。


いっぺんこんなん着てみたい♪


延々と続く市場。


韓国では干し柿もめっちゃポピュラー。


すいかとよう似た味らしい。


昔は手袋なんかつけてはらへんかったやろなあ……。


ネクタイかと思いきや……。


なるほど、魚の匂いがしてきた。
ここは、韓国で一番でっかい魚市場。


入った途端に圧倒されまくり!水槽には、隣の海からの水がじゃあじゃあ注がれる。そやし、水槽からもじゃあじゃああふれて、通路は水浸し。


あんさんはどなた?


お客さんも従業員も、ここで超~新鮮な魚料理をパクパク食べる。


なんと美しい身。ほんでもって渋い出刃。


うなぎぃ~!


さざえぇ~!


旦那とわたしはもう、食べとうて食べとうてたまらんかったのやけど、若干3名のアメリカンの気がすすまず、涙を飲んであきらめた……絶対にまた来るし……と心に誓う。

市場の外も魚、魚、魚!


作りたて、揚げたてのさつま揚げ!!


ワイルドな干し魚屋さん。


たこぉ~!


するめぇ~!


揚げ魚ぁ~!


すっぽんさんっ!


釜山に住みたい!と思た瞬間。


釜山版かに道楽♪動いてへんかったけど……。


市場近くの地下鉄。晩ご飯の魚を買うて、地下鉄に乗って帰る自分を妄想する……。


おぉ~貝っ!


おばちゃんはどこのおばちゃんでもたくましい。



というわけで、長々とおつきあい、ありがとうさんでした。