朝、中央区新川二丁目の得意先に行こうと、国立駅で電車を待っていた。
そのとき、30歳くらいのサラリーマンに話しかけられた。
「バイク事故で、顔をつぶしたのは、明石家さんまですか、ビートたけしですか」と聞かれた。
ああ、タケシでしょうかね、と答えた。
「あーーーー、タケシだったか!」と国立駅のホームで叫ばれた。
これって、新しいホラーですかね。
ホラーついでに、ブログを復活させます。
友人から「なんで削除したんだよ。バカかおまえ」と罵られたからだ。
・・・ということで
フッカーーーツ!
昨日、夜の2時半まで仕事をしていたんだよ。
そのあと、湯船に浸かって、湯上りにクリアアサヒを飲みながら亀田の柿ピーを食ったんだな。6個の小袋が入っている柿ピーだ。
俺は、これが好きでね、ついつい指が動いて、口に放り込んじまうんだ。6個なんて、あっという間さ。
そして、2杯目のクリアアサヒを飲んでいたとき、追加の柿ピーが欲しくなったんだな。
いつもは3個以上ストックしてあるから、安心していたんだが、いつもストックしてある竹カゴに柿ピーがなかったんだ。
え? ウソだろ? と慌てるよな。
人間ってさ、ないと思うと無性に食いたくなる生き物じゃん!
ちょっと寒かったけど、24時間営業の西友に行ったわさ。棚にあった8個の柿ピーを買い占めたわさ。
家に帰って、クリアアサヒを飲みながら、柿ピーを貪り食ったわさ。
まるで中毒だよな。
オレ、「ピラルク朱鷺」って名前で、音楽活動もしてるだろ。
マトリに、目をつけられていないかな。バレたらやばいよな。
どうしたらいい?
大学時代の同級生・オノが眉間にしわを寄せた。
完全に、バカにしたよな。
バッカじゃねえの! って目つきだった。
しかし、こんな話でとっかかりを作らないと、今回は話が進まないと思ったのだ。
オノに子どもが生まれた。
生まれたのは、昨年の10月だったが、出産祝いを送っただけでオノの家族に会うのを私はためらった。
会ったら、友として言わねばならないことがあったからだ。
それが憂鬱だった。
しかし、桜も咲こうかという時期、無視するわけにもいかず、オノ家族が住む葛飾の都営住宅に行ってきた。
昨年の10月に生まれたオノのガキは、カズキと名付けられた。
可愛いか可愛くないかと言ったら、きっと可愛い。
だいたい5ヶ月くらいのガキは、可愛いものだ。
そして、両親の幸せな顔。
まぶしすぎるよ。
だが、オレは余計なことを言わなければならない。
そのために来たのだ。
なあ、オノ、カズキはどうしようもなく可愛いよな。
オノが、幸せを100パーセント凝縮した笑顔で私の目を見た。
だが、笑顔の奥に、確固たる意思が見えた。
おまえの言いたいことは、わかっているよ。
簡単に言えば、そんな当たり前の笑顔だ。
「カズキが成人したとき、俺は80を過ぎてるんだよな」
そして、奥さんが話をつなげた。
「私は60ですよね。還暦です」
そうだ。現実を見たら、時は残酷だ。
カズキは、成長するのだ。
そして、オノたちは、確実に老いる。
おまえたちは、老いた両親として、カズキに責任が持てるのか。
余計なお世話だと自分でも思っている。
しかし、一つの尊い命なのだ。
カズキは、おまえたちが老いたとき、確実に何かを背負わされるのだ。
生まれたから、おめでとう、というのは綺麗事だ。
俺も一度は「おめでとう」と言うが、それは一度きりだ。
純粋な気持ちで、カズキの未来に、おめでとう、とは言えないんだよな。
悪いな、小言ジジイで。
「わかっているんだ、おまえの気持ちは」
オノの横で、オノの奥さんが大きくうなずいていた。
幸せな家族が、ここにいた。
新しい命を授かった幸せ絶頂の家族だ。
それをぶち壊すオレは、最低の男だ。
それは、わかっている。
でもな・・・オノ、二十歳のカズキは、確実に訪れるんだよ。
そして、おまえたちは残酷にも老いるんだ。
おまえたちに、その覚悟はあっても、カズキに、その現実はわかるかな。
まわりを見渡したら、明らかに若い両親だらけなんだ。
だが、自分の両親は・・・。
「それは、わかっている。子どもができたと知ったときから、俺はそのことをずっと心の奥に溜め込んでいたんだ。だけどな、マツ」
オノが私を見る目には、覚悟を背負った男の熱いほどのほとばしる怖さがあった。
「俺は、この子を守りたい。俺の一生は、この子と出会うためにあったと思えるほど、俺はいま充実しているんだよ」
「私も守ります」とオノの奥さんが圧の強い顔で言った。
「それにな」とオノ。
「俺には、29歳の娘と27歳の息子がいるよな」
前の奥さんとの間にできた子どもたちだ。
「意外だったんだが、その子どもたちが、弟の誕生をとても喜んでくれたんだよ。『こんなに年の離れた弟ができるなんて、最高のギフトだよね』って言ってくれたんだ」
オノの子どもたちは、「こんな宝物が貰えるなんて、夢みたいだよ」と喜んだという。
そして、「何かあったとき、父さんや義母さんのサポートは私たちがするから、カズキには苦労をさせないから」とまで言った。
オノ、おまえの子育ては、間違っていなかったようだな。
50歳前に、大病を患い、退院後に離婚したオノ。
東京錦糸町はずれの古びた四畳半のアパートに訪れたとき、驚いた。
生活必需品が乏しかったからだ。布団と電熱器、雪平鍋しかなかった。
それを見たとき、私は「ごめんな」と言って席を立った。
錦糸町駅近くのデスカウントストアで扇風機とホットカーペットを買って、オノの部屋に届けてもらった。
あとで、「相変わらず、カッコをつける男だよな、マツは」といわれた。
大学時代の友人で、オノと共通の友人がいた。
「フジ」という。
フジは、たまにオノの情報を私に教えてくれた。
大病を患ったあととか、オノの暮らしぶりを教えてくれたありがたい存在だった。
「オノがさあ・・・マツに会いたいなって言ってるんだよな」
10年以上前のことだった。
大学時代、オノと私の接点は、まったくなかった。
オノは、テニス部やテニス同好会に入っていたわけでもないのに、毎日ラケットを持って大学に来たのだ。
バカじゃねえか。
オノはオノで、「二十歳にもならない若造が落ち着きはらって、みんなに指図してるこいつは何者だ」と私のことを嫌っていたらしいのだ。
しかし、共通の友だちのフジから昔の詳しい真実を聞いた。
大分から出てきたオノは、都会に馴染まなかった。
馴染もうとして考えたことが、何かを触ることだった。
大分に暮らしていたころ、弟がテニスをしていた。だから、テニスラケットが身近にあった。東京のスポーツショップでテニスラケットを見たとき、オノは、これだ! と思ったらしい。
これがあれば、俺は都会で生きていける。
その結果、毎日テニスラケットを持って、大学に通うようになった。
ラケットを握っていれば、俺には居場所がある。
オノはそう思った。
それは、わからなくもない。
私は、と言えば決して落ち着いていたわけではない。
子どものときから、イタズラ好きだった
絶えず誰かをイタズラしようと思っていた。
そのターゲットを探していただけなのだ。
それが、オノには落ち着いているように見えたようなのだ。
「なあ、マツ」とオノが言った。「宝物が目に前にあるって、幸せだよな」
「俺の子どもが目の前にいて、俺の子どもの誕生を喜ぶ子どももいる。
それが幸せって言うんだよな」
そして、親の笑顔がある。
うん? いま・・・カズキが笑った?
君も幸せなんだよね。
カズキ。
生まれてきてくれて、ありがとう。
君を守るのが、俺たち大人の使命なんだよな。
俺も・・・君を守りたい。