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リスタートのブログ

住宅関連の文章を載せていましたが、メーカーとの付き合いがなくなったのでオヤジのひとり言に内容を変えました。

幸せな子どもたち

2019-03-26 08:22:01 | オヤジの日記

 

朝、中央区新川二丁目の得意先に行こうと、国立駅で電車を待っていた。

そのとき、30歳くらいのサラリーマンに話しかけられた。

「バイク事故で、顔をつぶしたのは、明石家さんまですか、ビートたけしですか」と聞かれた。

 

ああ、タケシでしょうかね、と答えた。

「あーーーー、タケシだったか!」と国立駅のホームで叫ばれた。

 

これって、新しいホラーですかね。

 

ホラーついでに、ブログを復活させます。

 

友人から「なんで削除したんだよ。バカかおまえ」と罵られたからだ。

 

・・・ということで

フッカーーーツ!

 

 

昨日、夜の2時半まで仕事をしていたんだよ。

そのあと、湯船に浸かって、湯上りにクリアアサヒを飲みながら亀田の柿ピーを食ったんだな。6個の小袋が入っている柿ピーだ。

俺は、これが好きでね、ついつい指が動いて、口に放り込んじまうんだ。6個なんて、あっという間さ。

そして、2杯目のクリアアサヒを飲んでいたとき、追加の柿ピーが欲しくなったんだな。

いつもは3個以上ストックしてあるから、安心していたんだが、いつもストックしてある竹カゴに柿ピーがなかったんだ。

え? ウソだろ? と慌てるよな。

人間ってさ、ないと思うと無性に食いたくなる生き物じゃん!

ちょっと寒かったけど、24時間営業の西友に行ったわさ。棚にあった8個の柿ピーを買い占めたわさ。

家に帰って、クリアアサヒを飲みながら、柿ピーを貪り食ったわさ。

まるで中毒だよな。

オレ、「ピラルク朱鷺」って名前で、音楽活動もしてるだろ。

マトリに、目をつけられていないかな。バレたらやばいよな。

どうしたらいい?

 

大学時代の同級生・オノが眉間にしわを寄せた。

完全に、バカにしたよな。

バッカじゃねえの! って目つきだった。

 

しかし、こんな話でとっかかりを作らないと、今回は話が進まないと思ったのだ。

オノに子どもが生まれた。

生まれたのは、昨年の10月だったが、出産祝いを送っただけでオノの家族に会うのを私はためらった。

会ったら、友として言わねばならないことがあったからだ。

それが憂鬱だった。

しかし、桜も咲こうかという時期、無視するわけにもいかず、オノ家族が住む葛飾の都営住宅に行ってきた。

 

昨年の10月に生まれたオノのガキは、カズキと名付けられた。

可愛いか可愛くないかと言ったら、きっと可愛い。

だいたい5ヶ月くらいのガキは、可愛いものだ。

そして、両親の幸せな顔。

まぶしすぎるよ。

 

だが、オレは余計なことを言わなければならない。

そのために来たのだ。

なあ、オノ、カズキはどうしようもなく可愛いよな。

 

オノが、幸せを100パーセント凝縮した笑顔で私の目を見た。

だが、笑顔の奥に、確固たる意思が見えた。

おまえの言いたいことは、わかっているよ。

簡単に言えば、そんな当たり前の笑顔だ。

 

「カズキが成人したとき、俺は80を過ぎてるんだよな」

そして、奥さんが話をつなげた。

「私は60ですよね。還暦です」

そうだ。現実を見たら、時は残酷だ。

カズキは、成長するのだ。

そして、オノたちは、確実に老いる。

おまえたちは、老いた両親として、カズキに責任が持てるのか。

 

余計なお世話だと自分でも思っている。

しかし、一つの尊い命なのだ。

カズキは、おまえたちが老いたとき、確実に何かを背負わされるのだ。

生まれたから、おめでとう、というのは綺麗事だ。

俺も一度は「おめでとう」と言うが、それは一度きりだ。

純粋な気持ちで、カズキの未来に、おめでとう、とは言えないんだよな。

悪いな、小言ジジイで。

 

「わかっているんだ、おまえの気持ちは」

オノの横で、オノの奥さんが大きくうなずいていた。

 

幸せな家族が、ここにいた。

新しい命を授かった幸せ絶頂の家族だ。

それをぶち壊すオレは、最低の男だ。

それは、わかっている。

でもな・・・オノ、二十歳のカズキは、確実に訪れるんだよ。

そして、おまえたちは残酷にも老いるんだ。

おまえたちに、その覚悟はあっても、カズキに、その現実はわかるかな。

まわりを見渡したら、明らかに若い両親だらけなんだ。

だが、自分の両親は・・・。

 

「それは、わかっている。子どもができたと知ったときから、俺はそのことをずっと心の奥に溜め込んでいたんだ。だけどな、マツ」

オノが私を見る目には、覚悟を背負った男の熱いほどのほとばしる怖さがあった。

「俺は、この子を守りたい。俺の一生は、この子と出会うためにあったと思えるほど、俺はいま充実しているんだよ」

「私も守ります」とオノの奥さんが圧の強い顔で言った。

 

「それにな」とオノ。

「俺には、29歳の娘と27歳の息子がいるよな」

前の奥さんとの間にできた子どもたちだ。

「意外だったんだが、その子どもたちが、弟の誕生をとても喜んでくれたんだよ。『こんなに年の離れた弟ができるなんて、最高のギフトだよね』って言ってくれたんだ」

オノの子どもたちは、「こんな宝物が貰えるなんて、夢みたいだよ」と喜んだという。

そして、「何かあったとき、父さんや義母さんのサポートは私たちがするから、カズキには苦労をさせないから」とまで言った。

 

オノ、おまえの子育ては、間違っていなかったようだな。

 

50歳前に、大病を患い、退院後に離婚したオノ。

東京錦糸町はずれの古びた四畳半のアパートに訪れたとき、驚いた。

生活必需品が乏しかったからだ。布団と電熱器、雪平鍋しかなかった。

それを見たとき、私は「ごめんな」と言って席を立った。

錦糸町駅近くのデスカウントストアで扇風機とホットカーペットを買って、オノの部屋に届けてもらった。

 

あとで、「相変わらず、カッコをつける男だよな、マツは」といわれた。

 

大学時代の友人で、オノと共通の友人がいた。

「フジ」という。

フジは、たまにオノの情報を私に教えてくれた。

大病を患ったあととか、オノの暮らしぶりを教えてくれたありがたい存在だった。

 

「オノがさあ・・・マツに会いたいなって言ってるんだよな」

10年以上前のことだった。

大学時代、オノと私の接点は、まったくなかった。

オノは、テニス部やテニス同好会に入っていたわけでもないのに、毎日ラケットを持って大学に来たのだ。

バカじゃねえか。

オノはオノで、「二十歳にもならない若造が落ち着きはらって、みんなに指図してるこいつは何者だ」と私のことを嫌っていたらしいのだ。

 

しかし、共通の友だちのフジから昔の詳しい真実を聞いた。

大分から出てきたオノは、都会に馴染まなかった。

馴染もうとして考えたことが、何かを触ることだった。

大分に暮らしていたころ、弟がテニスをしていた。だから、テニスラケットが身近にあった。東京のスポーツショップでテニスラケットを見たとき、オノは、これだ! と思ったらしい。

これがあれば、俺は都会で生きていける。

その結果、毎日テニスラケットを持って、大学に通うようになった。

ラケットを握っていれば、俺には居場所がある。

オノはそう思った。

それは、わからなくもない。

 

私は、と言えば決して落ち着いていたわけではない。

子どものときから、イタズラ好きだった

絶えず誰かをイタズラしようと思っていた。

そのターゲットを探していただけなのだ。

それが、オノには落ち着いているように見えたようなのだ。

 

「なあ、マツ」とオノが言った。「宝物が目に前にあるって、幸せだよな」

「俺の子どもが目の前にいて、俺の子どもの誕生を喜ぶ子どももいる。

それが幸せって言うんだよな」

 

そして、親の笑顔がある。

うん? いま・・・カズキが笑った?

 

君も幸せなんだよね。

 

 

カズキ。

生まれてきてくれて、ありがとう。

 

君を守るのが、俺たち大人の使命なんだよな。

 

俺も・・・君を守りたい。