以前このブログで「ノムラ嫌い」というのをエントリーしたことがあった。
野村克也氏の存在があるから、私はプロ野球に興味がないのだ、という内容だった。
それに対して、「ずいぶんと心が狭い」というコメントをいただいた。
心が狭い、という件に関して、反論するつもりはない。
自分でも、そう思っているからだ。
ただ、私は自分の心が狭いことがわかっているが、意外と人は自分のことをわかっていないことが多いという話を。
同業者に、野菜嫌いの男がいる。
特にピーマンとニンジン、椎茸は天敵だと言っている。
まるで子どもではないか。
彼の家族とたまにバーベキューパーティをする。
彼と彼の子ども二人は、肉ばかり食う。
野菜は、焼きそばに入っているキャベツだけだ。
それに対して、私は肉も食うが魚も野菜もバランスよく食う。
しかし、サトウは言うのだ。
「おまえ、肉食わないから、太れないんだぞ」
サトウは、176センチ、80キロ。
私は、180センチ、56キロ。
体型のイメージから、最初から私が肉を食わないと決めつけているのである。
サトウは、「肉を食うのがバーベキューだ」と断言する。
彼の二人の子どもも、親の真似をして、肉だけに食らいついている。
私の息子は、肉が大好きだ。
しかし、野菜も食う。
娘は肉が苦手だが、食わないことはない。
だが、野菜はもっと苦手だ。
その娘を見て、サトウは「Kちゃんは、野菜が嫌いか。そうだよな。こんなものより肉の方がいいよな」と得意げだ。
肉を食っていない娘を指さして、私に「おまえの子どもにしては、まともに育ったな」と言う。
おそらく頭が悪いのだろう。
大学時代の友人に、納豆が食えない男がいる。
「あんな臭いもの食えるかよ。俺は関西人だから、生まれたときから納豆には縁がないんだ。あんな臭いものを平気で食う関東のやつらはおかしい」と威張っている。
関西人とは言うが、シノヅカは福井県の生まれだ。
家の所在は、福井県の南の方で、京都に近いらしい。
「車なら京都まで10分だ。だから、俺は関西人だ」と言う。
さらに、「関西では、納豆は食べないし、コンビニにも売っていない」と強弁する。
しかし、得意先の、大阪生まれ大阪育ちの若い子は、子どもの頃から納豆を食べていたらしい。
「俺、一日に平均3パック食べますから」と言っている。
私が、それを教えると、シノヅカは「親が関東なんだろう」と抵抗する。
いや、両親も関西人らしいぞ。
「まあ、関西人にも色々いるからな」
当たり前だ。
頭が悪すぎる。
同業者の友人は、「俺は絶対に邦画は見ない。ジブリも見ない」と言っている。
「邦画には華がない。いい役者がいない。安っぽい」とも言っている。
そして、「テレビドラマも日本のは見ない。アメリカのものだけだ」と威張っている。
そんな極端な趣味を持つオオキが、私がプロ野球を見ずに、メジャーリーグばかり見ているのを非難するのだ。
「アメリカはメジャーリーグより、バスケットの方が面白い。俺はメジャーリーグには興味がないね。メジャーリーグを見るくらいなら日本の野球を見る。日本の方が戦術がきめ細かくて、俺に向いている」
そして、最後に、こんなことを言うのだ。
「おまえも、偏った見方ばかりしないで、広く世間に目を向けた方がいいぞ」
おそらく、頭が悪いのだろう。
ところで、ここからが本題なのだが、日本テレビ系の「世界の果てまでイッテQ」という番組で、タレントのイモトさんが、マナスル登頂に成功した。
そのことに関して、「ある業界人」が「イモトのマナスル登頂は、一流のシェルパや医師が同行し、費用も数千万円以上かかった。この番組のせいで、登頂に失敗した登山家が『イモトでも登れたのに』と言われたら立つ瀬がない」と語っているという記事を読んだ。
他の「登山関係者」は、「登山家たちは、命をかけてやっているのに、テレビ局がお遊びで大金を注ぎ込むのは、フェアではない」とも言っているらしい。
(いつも思うのですが、この「ある業界人」とか「~~関係者」というのは、本当にいるのでしょうか。想像上の生き物ではないでしょうかね。ネッシーと同じような)
この記事が本当だとして、その登山家たちが、もし同じ条件の登山企画があって、「あなたに是非のぼっていただきたい」と、テレビ局に頭を下げられたら、彼らは、それを断れるだろうか。
彼らは、「ねたみ」という「狭い心」で、文句を言っているのではないか。
だが、こんな仮定の話をしても意味がないことは、私にもわかっている。
山に篭める思いや願いは、人それぞれだからだ。
そして、その「それぞれ」の中に、たまたまイモトさんが入っていたというだけのことである。
(金額がかかるかからないは、テレビ局側の事情だ)
異論があるのは当たり前だと思う。
登山家としてのプライドもあるだろう。
それは、わかる。
だが、「普通の人ができないことをやった」場合は、素直に讃えることも必要だと私は思うのだが。
どうでしょうか。
今回は、「心の狭い」内容ではなかったのでは?
いや、こんなことを書くことこそ、「心が狭い」ことか。
反省するふりをしておこう。
野村克也氏の存在があるから、私はプロ野球に興味がないのだ、という内容だった。
それに対して、「ずいぶんと心が狭い」というコメントをいただいた。
心が狭い、という件に関して、反論するつもりはない。
自分でも、そう思っているからだ。
ただ、私は自分の心が狭いことがわかっているが、意外と人は自分のことをわかっていないことが多いという話を。
同業者に、野菜嫌いの男がいる。
特にピーマンとニンジン、椎茸は天敵だと言っている。
まるで子どもではないか。
彼の家族とたまにバーベキューパーティをする。
彼と彼の子ども二人は、肉ばかり食う。
野菜は、焼きそばに入っているキャベツだけだ。
それに対して、私は肉も食うが魚も野菜もバランスよく食う。
しかし、サトウは言うのだ。
「おまえ、肉食わないから、太れないんだぞ」
サトウは、176センチ、80キロ。
私は、180センチ、56キロ。
体型のイメージから、最初から私が肉を食わないと決めつけているのである。
サトウは、「肉を食うのがバーベキューだ」と断言する。
彼の二人の子どもも、親の真似をして、肉だけに食らいついている。
私の息子は、肉が大好きだ。
しかし、野菜も食う。
娘は肉が苦手だが、食わないことはない。
だが、野菜はもっと苦手だ。
その娘を見て、サトウは「Kちゃんは、野菜が嫌いか。そうだよな。こんなものより肉の方がいいよな」と得意げだ。
肉を食っていない娘を指さして、私に「おまえの子どもにしては、まともに育ったな」と言う。
おそらく頭が悪いのだろう。
大学時代の友人に、納豆が食えない男がいる。
「あんな臭いもの食えるかよ。俺は関西人だから、生まれたときから納豆には縁がないんだ。あんな臭いものを平気で食う関東のやつらはおかしい」と威張っている。
関西人とは言うが、シノヅカは福井県の生まれだ。
家の所在は、福井県の南の方で、京都に近いらしい。
「車なら京都まで10分だ。だから、俺は関西人だ」と言う。
さらに、「関西では、納豆は食べないし、コンビニにも売っていない」と強弁する。
しかし、得意先の、大阪生まれ大阪育ちの若い子は、子どもの頃から納豆を食べていたらしい。
「俺、一日に平均3パック食べますから」と言っている。
私が、それを教えると、シノヅカは「親が関東なんだろう」と抵抗する。
いや、両親も関西人らしいぞ。
「まあ、関西人にも色々いるからな」
当たり前だ。
頭が悪すぎる。
同業者の友人は、「俺は絶対に邦画は見ない。ジブリも見ない」と言っている。
「邦画には華がない。いい役者がいない。安っぽい」とも言っている。
そして、「テレビドラマも日本のは見ない。アメリカのものだけだ」と威張っている。
そんな極端な趣味を持つオオキが、私がプロ野球を見ずに、メジャーリーグばかり見ているのを非難するのだ。
「アメリカはメジャーリーグより、バスケットの方が面白い。俺はメジャーリーグには興味がないね。メジャーリーグを見るくらいなら日本の野球を見る。日本の方が戦術がきめ細かくて、俺に向いている」
そして、最後に、こんなことを言うのだ。
「おまえも、偏った見方ばかりしないで、広く世間に目を向けた方がいいぞ」
おそらく、頭が悪いのだろう。
ところで、ここからが本題なのだが、日本テレビ系の「世界の果てまでイッテQ」という番組で、タレントのイモトさんが、マナスル登頂に成功した。
そのことに関して、「ある業界人」が「イモトのマナスル登頂は、一流のシェルパや医師が同行し、費用も数千万円以上かかった。この番組のせいで、登頂に失敗した登山家が『イモトでも登れたのに』と言われたら立つ瀬がない」と語っているという記事を読んだ。
他の「登山関係者」は、「登山家たちは、命をかけてやっているのに、テレビ局がお遊びで大金を注ぎ込むのは、フェアではない」とも言っているらしい。
(いつも思うのですが、この「ある業界人」とか「~~関係者」というのは、本当にいるのでしょうか。想像上の生き物ではないでしょうかね。ネッシーと同じような)
この記事が本当だとして、その登山家たちが、もし同じ条件の登山企画があって、「あなたに是非のぼっていただきたい」と、テレビ局に頭を下げられたら、彼らは、それを断れるだろうか。
彼らは、「ねたみ」という「狭い心」で、文句を言っているのではないか。
だが、こんな仮定の話をしても意味がないことは、私にもわかっている。
山に篭める思いや願いは、人それぞれだからだ。
そして、その「それぞれ」の中に、たまたまイモトさんが入っていたというだけのことである。
(金額がかかるかからないは、テレビ局側の事情だ)
異論があるのは当たり前だと思う。
登山家としてのプライドもあるだろう。
それは、わかる。
だが、「普通の人ができないことをやった」場合は、素直に讃えることも必要だと私は思うのだが。
どうでしょうか。
今回は、「心の狭い」内容ではなかったのでは?
いや、こんなことを書くことこそ、「心が狭い」ことか。
反省するふりをしておこう。