リスタートのブログ

住宅関連の文章を載せていましたが、メーカーとの付き合いがなくなったのでオヤジのひとり言に内容を変えました。

ピッチャーの品格

2013-11-10 08:23:03 | オヤジの日記
少し時が経ってしまいましたが、東北楽天ゴールデンイーグルス、日本一おめでとうございます。

試合は見ていないので想像だが、第7戦まで行ったということは、かなりの激闘だったと思われる。

日本球界の常識からすれば、日本球界の盟主様であらせられるジャイアンツが勝つというのが、予定調和の当然の帰結点のはずだろうから、イーグルスがそれを覆したのは、すごいことだと思う。

抗うことのできない何らかの力が強い流れを作り、イーグルスの背中を押したのかもしれない。

田中将大投手が、今年初めて負けたらしいが、そのことがむしろ今まで絶対的ヒーローの陰に隠れていた選手たちの能力を引き出して、止まった流れをイーグルスに引き戻すきっかけになったというのは、素人考えか。

いずれにしても、新しい時代を築いた選手の皆様、監督、コーチの方々、ファンの皆様方、おめでとうございます。


イーグルス、と言えば、負けないエース、田中将大投手。

ネットで、田中氏が沢村賞の栄誉を受けたという記事を見た。
沢村賞は、投手にとって勲章だという。
しかも、2回目というではないですか。
日本球界の大エースですね。

そこで、全くの野球素人である私は、軽い興味で、沢村賞というのをネットで調べてみた。

選考基準というのがあって、登板試合、完投数、勝利数、投球回数、奪三振、勝率、防御率の7つ。
それを満たしている投手の中で、一番優秀だと思われる投手を、選考委員の方々が合議で選びなさるらしい。

歴代の受賞者を見てみると、プロ野球に詳しい友人にお伺いを立てると「伝説の投手」と言われる方々が、綺羅星のごとく列記されているという。

しかし、私は野球には無知なので、半分以上の方を知らなかった。

江川卓氏や金田正一氏、星野仙一氏、野茂英雄氏、ダルビッシュ有氏、松坂大輔氏、上原浩治氏は、顔と名前が一致するが、他の方は名前は知っていても顔が思い浮かばない方々ばかりだ。

でも、きっとすごい投手だったんでしょうね。

今年の受賞者・田中将大氏繋がりの記事を見ていたら、2年前の沢村賞選考のとき、委員の方から、田中氏には「品格がない」というクレームがあったらしい。

記事を読み進むと、打者を打ち取ったときのガッツポーズと雄叫びが「品格がない」ということらしいのだ。

秀でた成績を上げたプロ中のプロに対して、技術ではなく「品格」でクレームを付けるとは……では、沢村賞の定義って何だ、と再び選考基準を見直してみたら、「品格」などという曖昧なものはなかった。

「広辞苑」で調べてみると、「品格」とは、物の良し悪しの程度、品位、と書いてある。

おそらく、選考委員のどなたかは、ガッツポーズや雄叫びが、物の善し悪しの「悪し」の方だと判断なさったのだろう。

だが、私には、それが野球の投手、あるいはアスリートに必要なものとは思えない。

たとえば、サッカーでゴールをした選手が、喜び走り回る姿も「悪し」だと判断なさって、その方は「品格がない」と仰るかもしれない。
テニスで、4代大会の一つで優勝した選手がコートに寝っころがって喜ぶ姿も「品格がない」。
バレーボールの試合でアタックが決まったあと、選手たちが、いちいちコート内に集まって喜びを分かち合う姿も「品格がない」。
ゴルフでイーグルを決めたプロ選手が右手でガッツポーズを決める姿も「品格がない」。
オリンピックのレスリングで金メダルを取った女子選手が監督に肩車をされて喜ぶ姿も「品格がない」。
柔道選手が、オリンピックで2大会連続で金メダルを取った後に、軽くガッツポーズをするのも「品格がない」。
水泳選手が、オリンピックで金メダルを取った後、嬉しさのあまり水面を叩くのも「品格がない」。
オリンピックのフェンシングで、銀メダルを取ったチームが喜んで飛び上がるのも「品格がない」。
IOC会議で、誘致が決まった瞬間に、関係者が喜ぶ姿も「品格がない」。

ピッチャーのガッツポーズと雄叫びが「品格がない」と仰るのなら、これらも「品格がない」範疇に入るのか。


野球のピッチャーというのが、そんなに上品で品格あふれる方々ばかりだとは、知らなかった。
無知だった。

だが、もちろん、選考委員の方々は田中将大氏を最大限に評価して、沢村賞に選んだのだと思う。
それは、わかる。

「品格」云々は、田中氏に立派な投手になって欲しいという期待の現れである、というのが一般的な考え方だろう。
ただ、それは田中氏の耳に直接届く方法で伝えるべきだ。
選考後に、公の場所で苦言を述べるという方法は、賞の選考基準を曖昧なものにしてしまうのではないか。
「品格」など、選考基準のどこにも書いていないのだから。

その記事を読んでいた私は確信した。
俺は品格がないから、プロ野球に興味がないのだ、と。

そのときの選考委員の方々が、土橋正幸、平松政次、堀内恒夫、村田兆治、北別府学氏の5人。

きっと品格のある方々に違いない。


ちなみに、メジャーリーグで同等の賞は、サイ・ヤング賞。
1956年に制定された(沢村賞は1947年だから、沢村賞の方が歴史は古い)。
これは、経験を積んだ記者の投票で決まる。

投手経験者が、密室で合議の上で決めるという貴族会議的なものではない。
記者各自の持ち点で決まる。
1位票(5点)、2位票(3点)、3位票(1点)の3種類の票だ。

その票数は、公開される。
だから、わかりやすい。

選考基準はあるらしいが、明確なものではない。

近年では、スポーツ科学を駆使した色々な指標をそれぞれの記者が独自に照査して、独自の判断で投票するらしい。
だから、最多勝投手、最優秀防御率投手がすんなり受賞するということはない。

勝ち負けは、投手だけの力では決まらない。
防御率もそうだ。
チーム力が必要になる。
しかし、そのチーム力は他力本願の部分があるから、その責任を投手にかぶせるのは酷だ。
だから、最近のメジャーリーグでは、純粋に「投手力」を判断する傾向にある。
弱小チームで13勝ながら高い能力を見せた投手が、21勝の最多勝投手を差し置いて受賞したことなどは、その顕著な例だ。

ある程度の勝利数は考慮するが、絶対の評価基準ではない。
勝敗に関わらず、己の「投手力」で、相手打線をどれだけ抑えたか、どれだけ長いイニングを投げてチームに貢献したか、などの数字を重視する傾向が強まっている。

そこに、曖昧な「品格」が入り込む余地はない。
「能力」だけが考慮される。

たった5人の「お偉いさん」が、規定を満たした「品格ある投手」を「合議」で選ぶという高飛車なものではない。

もちろん権威はあるが、時代に柔軟に対応してきている。
それは、合理的だと思う。


ただ、もしも日本人の多くが、投手の能力の一つに「品格」を求めるのなら、その選考方法は間違いだとは言えない。
同じ年に、田中将大氏と同じような成績を残した投手がいて、その人が一度もガッツポーズや雄叫びをしなかったから、その人を選んだ、という明確な基準があるというのなら、文句は言わない。
それが日本のスタンダードなら、その選考は正しい、ということになる。


私がそれに馴染めないだけ、の話だ。