白鷺だより

50年近く過ごした演劇界の思い出話をお聞かせします
     吉村正人

白鷺だより(188)根津甚八

2017-01-14 08:52:51 | 人物
          根津甚八

昨年12月29日役者の根津甚八が亡くなった

役者のと書いたが我々の世代ははもう一人の根津甚八の方がよく知っている
真田十勇士の一人として昨年大河ドラマ「真田丸」で活躍するはずだった男だ
その十勇士とは猿飛佐助 霧隠才蔵 三好清海入道 三好伊左入道 穴山小助 由利鎌之助 筧十蔵 海野六郎 望月六郎 そして根津甚八だ
三谷の訳のわからない解釈(それが史実としても)で真田十勇士はもちろん主人公は真田幸村という名前まで消えてしまった NHKの人気を当て込んで南海線九度山の駅前には大きな十勇士の看板が建てられたいた 立川文庫ではこの幸村の影武者が根津甚八で大阪夏の陣において幸村と共に大阪城に入り「われこそは真田左衛門佐幸村なるぞ」と壮絶な最後を遂げたとある

1967年花園神社紅テントで初演された状況劇場「腰巻お/仙・義理人情いろはにほへと編」(腰巻は神社からクレームが入り月笛と変えたが一週間で戻した)はその後の演劇を変えてしまった その花園神社を追いだされ行き場を失った唐は
「新宿見たけりゃ今見ておきゃれ じきに新宿、原になる」と詠んだ(さらば花園)
続いて唐が公演場所に選んだのは新宿西口中央公園だった「腰巻お仙・振袖火事の巻」
終焉後全員都市公園法違反で逮捕される
そんな状況劇場に1969年入った根津透は唐十郎に根津甚八と名付けられ役者になった
その端正な顔つきで状況劇場のアイドル的存在となり凄まじい人気だった
その後唐は1970年岸田国士賞を「少女仮面」で受賞 
それから十年状況劇場と共に「遠くまでいくんだ」とバングラデシュ ソウル レバノンと公演を打った 
大久保鷹(76年)根津甚八(79年)小林薫(80年)不破万作(83年)といった中軸を担った俳優たちが退団 そして長年のパートナーであった李礼仙との離婚から状況劇場は活動を停止

状況を辞める前に出たNHKの「黄金の日々」での石川五右衛門役で注目され
黒沢作品にも「乱」「影武者」と連続して出た

2002年 右目下直筋肥大という顔面の病気で仕事を縮小
2004年 交通事故を起こし被害者が死亡
2009年 うつ病を患う 椎間板ヘルニアを悪化させる 車椅子生活
2010年 俳優業を引退発表
2015年 石井隆監督の要請により「GONIN サーガ}に一度きり限り出演
その初日挨拶を主演の東出昌大に託して
「演じることは自分にとって生きることそのものでした」
「襷は受け取ったと言ってくれた東出君 若い俳優たちの姿を見て 自分の思いを次の世代が背負ってくれた・・・演じたいのに演じられない無念さを断ち切ることが出来た」
「自分は出来る精一杯のことをしたんだという気持ちで俳優人生を締めくくることが出来ました」と語った


歌もいくつか出していてテイチクから
渡哲也風の デヴュー作「ほたる草」「ゆきずり」(後に細川たかしがカヴァーしてヒットした・こちらはセリフ入りだ)「こころ泣き」の3曲
キャニオンに代わってからは
中島みゆきの「ピエロ」(思い出の部屋に住んでちゃいけない 古くなるほど酒は甘くなる)同じく中島みゆきの「狼になりたい」(夜明けまえの吉野家には化粧のはげたシテイガールとベビーフェイスの狼たち肘を詰めて座る)など名曲が多いが中でも彼の心境をよく表しているのがこの曲だ

夢は夜ひらく
  かぜ耕二作詞 曽根幸明作曲

好きな啄木 朔太郎
ボストンバッグの隅にいる
どこで縒れたか ドヤ暮らし
夢は夜ひらく

帰る昔が あるのなら
飲んで血なんか 吐きゃしない
父なし母なし ろくでなし
明日が遠すぎる

飛んでしまった 瞳(め)のいろと
日暮れみたいな 微笑みが
少し怖いと 寄り付かぬ
惚れたあの女

相槌打つのに 困ったか
闘争くずれの セイガクが
小便する間に 消えていた
少し情(つれ)ないぜ

俺の心は 鳳仙花
いつか弾けりゃ 気が済むか
出るは汗かよ 涙かよ
夢は夜ひらく

俺を世間が 愛せない
俺にも世間が 愛せない
ひとりぼっちの 流れ星

夢は夜ひらく

泣ける歌だ YouTubeで聞けます ぜひ