白鷺だより

50年近く過ごした演劇界の思い出話をお聞かせします
     吉村正人

白鷺だより(225)シネマクラッシック(3)「カサブランカ」「ボギー!俺も男だ」

2017-03-29 15:30:16 | 映画
シネマクラッシック「カサブランカ」「ボギー俺も男だ」

ボギーことハンフリー・ボガートという役者を初めて見たのは1972年封切のウディ・アレンの「ボギー!俺も男だ」(原題 PLAY IT  AGAINN、SAM))の中でであった


この映画はウディ・アレンが1969年ブロードウェイで大当たりした舞台劇を自ら脚色して舞台版でも一緒だったトニー・ロバーツとダイアン・キートンを相手役に使った
アレンとキートンは舞台のオーデションの時知り合いこの映画の成功後アカデミー賞主演女優賞の「アニーホール」までの5年間パートナーとして暮らした

映画評論家のアラン(ウディ・アレン)はハンフリー・ボガートにとりつかれ 毎日のように「カサブランカ」を映画館で心行くまま楽しんでいる がそのお陰で妻は愛想を尽かして彼の元を去っていく 友人のディック(トニー・ロバーツ)とその妻リンダ(ダイアン・キートン)は そんな彼を不憫に思い女友達を紹介してくれるが彼は不器用な性格の為全く進展しない やがてリンダはアランを優しく慰めるうちに次第に感情の高まりを覚えるようになる しかもアランの前にボガートの幻が現れるようになり彼を扇動 アランは段々罪の意識に襲われていく・・・・

ウディ・アレンとトニー・ロバーツは共にれっきとしたユダヤ人だ

この作品の前に1960年のフランス映画「勝手にしやがれ」のジャン・ポール・ベルモンド演じる主人公ミシュルもハンフリー・ボガートを崇める男の設定である

それではこのパロデイ映画の元になった「カサブランカ」はどんな映画か



僕は「ボギー~」を見た後神戸の名画座で見た

アメリカが第二次世界大戦に参戦した1942年完成したアメリカ映画で もちろん日本での公開は戦後1946年6月である この時期のカサブランカがある仏領モロッコは親ドイツのヴィッツシー政権下にあった 翌年のアカデミー賞作品賞と監督賞(マイケル・カーティス)・脚本の三人が脚色賞を受賞した
なおこの映画の助監督は「ボディスナッチャー恐怖の街」の監督であるドン・シーゲルである

戦火近づく1940年の仏領モロッコ、カサブランカは自由を求めて渡米しようとする人々で溢れていた そこでナイトクラブを経営するリック(ハンフリー・ボガート)ぼ元へナチの手を逃れてここまでやって来た抵抗運動の指導者ラズロ〈ポール・ヘンリード) が現れる だがその男の妻はかってパリでリックと恋に落ちて何故かリックの前から姿を消したイルザ〈イングリット・バーグマン)だった・・・・

いわゆる名セリフが散りばめられた作品でアメリカ映画名セリフベスト100に以下のセリフがランクインしている

「君の瞳に乾杯!」
「ルイ、これが俺たちの友情の始まりだな」
「あれを弾いて、サム <時の過行くままに>を」
「いつもの要注意連中を一斉検挙だ」
「僕たちの 心の中には パリがある」
「世界に星の数ほど店はあるのに 彼女が俺の店にやって来た」

ジュリー沢田研二の歌(というより作詞家の阿久悠の好みだろう)
「カサブランカ・ダンデイ」
ボギー ボギー あんたの時代は良かった
男がキンピカのキザでいられた

あと「時のすぎゆくままに」「勝手にしやがれ」と影響が見られる

日活映画裕次郎の 
「夜霧よ今夜もありがとう」は完全なカサブランカのパクリ映画である
裕次郎、浅丘ルリ子 二谷英明

あとジブリの「紅の豚」も影響が見受ける

この映画が名作と言われる所以である

白鷺だより(224)「洗濯屋ケンちゃん」について

2017-03-27 08:16:26 | 思い出
「洗濯屋ケンちゃん」について

 松竹芸能の養成所で教えていた頃 男性の生徒に極めて優秀な子がいた 顔も二枚目でこれは捨てがたい逸材だと思った 一度何かの舞台で使おうと思いスケジュールを聞いたところ 驚いたことにやおら手帳を見てここ半年は空いていないといわれた よくよく聞いてみると彼は当時売れっ子のAV男優の一人だった さらに聞くところによると稼ぎは相当なもののようであった 安いギャラで仕出しの芝居をしている場合ではなかった 女房・子供を食わさなきゃいけませんので・・・

某劇団の某座長がいわゆるAVが好きでよく買いに行かさしてもらった ある時は国立文楽劇場の裏あたりのマンション またある時は今はなき大阪球場の横の通り 戎町の駅前のマンションと手入れの目をくぐって移動する販売所をウロウロした いつも大量に買うので好きなAVをおまけしますが どれがいいですかと販売人のおっちゃんに言われ大量のビデオの中で迷わず選んだのが往年の裏ビデオの名作といわれる「洗濯屋ケンちゃん」だった

いわゆる裏ビデオといわれるものは56年大阪で作られた(「ビニ本の女・秘奥覗き」)というのが定説で それからはあの手この手の工夫をこらした作品が続々制作され日本のビデオデッキの普及の原動力となったといわれる  当然当局の摘発も行われた(57年2990巻58年3700巻)が焼け石に水とはよく言ったもので その年までの全制作数はざっと2000本に及んだ
その中で「裏ビデオの傑作中の傑作」といわれたのが「洗濯屋ケンちゃん」である
裏ビデオ史を語る上で「洗ケン前 洗ケン後」といわれる程画期的な作品で57年8月の制作である この作品が画期的と言われるのは これまで暴力団がらみで内容も暗く(強姦系が多かった)行為も単調なパターンの繰り返しであるのに対して明るくストーリー性があり行為もバリエーションが豊富であり なにより役者もスタッフもプロだったことである これが人気を呼んで裏ビデオブームに火を点けた 当時ビデオデッキは一台20~30万したが街の電気屋がこのビデオをおまけにつけて売り上げをあげたと言われる しかしそれだけに当局の目が厳しくなり翌58年3月この作品のスタッフ一同が「わいせつ物頒布等の罪」で逮捕されてしまう 
ケンちゃんを演じたのは小さなミュージカル劇団の役者北林けん(久野一之・当時28歳)
同じ劇団の役者藤井智憲に海外輸出用サンプルだから顔がささないと言われ出演した
藤井は題名の元ネタとなったTVドラマ「ケーキ屋ケンちゃん」に出ていた役者で「コメットさん」を撮った出口富雄とともに監督もした
北林は警察から戻ってみると裏ビデオのスターとして主演依頼がひっきりなしで「帰って来た洗濯屋ケンちゃん」や武智鉄二監督の本番映画「荒野聖」で破戒僧宋朝を演じた
結局総売り上げは最終的に十億円という驚異的なヒットであった
ただし北林けんが貰ったギャラは二日で9万円だったという

あらすじ というほどのものじゃないが
洗濯屋のケンちゃんが御用聞きに回るうちに知り合った二号さんと様々なセックスを演じるというもので 二号さんが「パパにここの毛を剃れというの」とシェービングを塗ってツルツルになるまで剃ったあと最近来ないパパを思い出しながら電動バイブでオナニーをする さらに二人で千葉浦安の埋め立て地(後のディズニーランドの場所と言われる)にハイキングに出かけ 放尿シーンのあと太陽の下で「青カン」色々な体位のプレーを見せる
その後友達の彼女を騙して新宿のラブホテルで強姦シーンもあり そのテクニックに参った女は恍惚としてシャワーを浴びる
 

白鷺だより(223)商業演劇に未来はあるのか

2017-03-24 12:40:33 | 思い出
商業演劇に未来はあるのか
     3/20新歌舞伎座3月川中美幸特別公演を観て

藤山直美が休演したため新歌舞伎座の4月「おもろい女」が中止となり代替作品が注目されたが驚いたことに結局一か月閉めることになった おそらく「おもろい女」の制作さきである東宝からの賠償金の話あいがついたのであろう 変なものをやって大赤字を出すよりましだと判断したのであろう 6~7月公演の五木ひろし・坂本冬美公演の売れ行きが好調なのも一因であろう 突然長期休暇となった正社員たちは海外旅行に行く人も多いという 一方場内清掃 案内嬢たちのアルバイト社員は突然の休みに戸惑っている ここ近年単発の歌手公演が増えて日替わり公演が多くなり清掃などの時間は大いに短縮されて収入は極端に減りつつあった矢先である
それと同じビルに入っている食堂街などは死活問題であろう
 
かって藤山寛美は「道頓堀は中座のロビーである」と言った 
中座の新喜劇のハネ時などの道頓堀の賑わいはものすごかった また商店街の方も切符の販売などで大いに協力した 
これが商業演劇劇場のあるべき姿である

昭和62年5月明治座公演は美空ひばり公演であったが稽古中ひばりが九州の病院に緊急入院をしてドクターストップがかかり急遽公演中止になった 僕たちスタッフもお詫び金半額を貰ったが明治座は意地でも穴は開けまいと4月御園座でやっていた杉良太郎公演を大道具もろとも買って5月公演を乗り切った 明治座制作の広田さんの英断であった

さてそんな新歌舞伎座の3月川中美幸特別公演を見に行って驚いた
芝居は川口松太郎原作「大阪善哉」より金子良次脚本・演出「夫婦喧嘩ラプソデイー」
いかにも安上がりの芝居である 特別出演の松井誠と川中が夫婦でこれと三林京子と曾我廼家寛太郎の二組の夫婦喧嘩のスケッチでとりたて事件らしい事件も起こらずあっさり1時間ちょっとで終わる 川中も肩の力を抜いて演じていて これはこれでいいのかも知れない
出演者も全部で14名という小人数(今年の日本香堂は総勢27名である 新歌舞伎さんに見習うべきであろう もっとも我々は少人数であろうとなかろうと衣装代・かつら代は同額だが)で賄っている これが当たり前になると役者の仕事はドンドンすくなくなるだろう
セット(中島正留)も三杯止まりで安上がりで済んだと推測される 金井大道具さんも泣かされているだろう
大阪を舞台にした芝居にあるのに松井誠の変な大阪弁(つらいのは他の三人はバリバリの大阪弁である)はともかく この芝居の最大の欠点はお客が満足することないことである(いわゆる満腹感がない)これは出演者が少ないということではなく中身の問題であろう 
おそらく原作は昼夜六本立て時代の何本かの出し物の一つの狂言なのだろう
 
その分ショウはすごいのかと言うと 案の定相変わらずいつもの使いまわしのセット(名儀は倉田克己、コントとラストの桜のセットか)で只々だらだら長いだけで これじゃ途中でおしっこに行く人が大勢いてもおかしくない 

昔なら年間12人の座長・演歌スターがいれば一年間のローテーションが成立していたが
現在では一か月約25日を一杯に出来うるスターはいず 川中も20日止まりである 当然役者のギャラも少なくなるし スタッフのギャラも同然であろう

次の公演のチラシを見てみるとコロッケ公演の入場料が1万円を切った(9500円)
たしかにポッと出の三山ひろしや福田こうへいが12000円も取るのは高いと思う
(これらの公演も芝居はいい加減な作り方だと思う)
せいぜい10000円が限度であろう

 芝居を締める渋い脇役が活躍する場がなくなりつつある
良い役者が次々と辞めていく 残念なことである
この人たちがいると 座長は別に演技が出来なくてもいいのである
 
聞くところによると芝居のセットも出来るだけ使いまわしが増えたという 同じプランナーだからいいだろうというのは劇場の言い分で大道具会社は作ってナンボというところがある それを押さえつけたらやる気も失せるだろう

こうしてみるといわゆる商業演劇の世界は益々衰退していくのが必定であろう
一方劇団新幹線などの劇団がチケット発売即完売という時代だ
我々が育った商業演劇の巻き返しは見通しがあるのだろうか









白鷺だより(222)シネマクラシック(2)「ボディスナッチャー恐怖の街」

2017-03-22 17:19:47 | 映画
 シネマクラッシック ボディ・スナッチャー/恐怖の街

昔(調べたら1968年)「エイトマン」などの作者である桑田次郎のSF漫画(「奴らは人間じゃない!」)を読んだことがある 人間を消して地球外侵略者がそっくり入れ替わるという恐怖を描いた漫画だった 先だつこと12年前の1956年この映画が出来た 
残念ながらこの映画は日本未公開であるが 本国では評判は良くいつしかSF映画の原点と言われ その後何度もリメイクされている 「SF・ボディ・スナッチャー」(1976)「ボディ・スナッチャー」(1993)そして2007年の「インベーっション」だ
 
原作小説はアメリカのSF作家ジャック・フィニィの代表作「盗まれた街」
こういう話だ
ある日病院に一人の男が錯乱状態で輸送されてきた その男マイルズ(ケヴィン・マッカーシー)は精神科医に自分が遭遇したという奇妙な出来事を語り始める
カルフォルニアの架空の小さな町サンタミラで開業医を営んでいるマイルズは学会から数週間ぶりに帰って来た時街の様子が少しおかしいことに感じる 一見いつもと変わらないのだがみんな人が変わってしまったかのようにどこかおかしいのだ 調査を始めたマイルズは戦慄の真実を知ることになる 街は宇宙から来たと思われる未知の生命体によって侵略されており人々は莢(さや)で育ったマユから作られるソレに肉体を乗っ取られてしまっっていたのである それは警察ももちろんそれまで親しくしていた友人たちも眠っている間に無意識のうちに乗っ取られてしまっていた
マイルズはこの事実を全世界に知らせようと恋人のベッキー(ダナ・ウインター)と共に
街から脱出しょうとするのだが・・・

ラスト逃げ惑う二人を追いかける無表情の街の人びと そして恋人もわずかに眠ってしなった間に別の人間に変わってしまう戦慄のシーンのあとン一人で逃げるマイルズが客席に向かって叫ぶ「君たちも気をつけろ!」
このシーンで終わればいいんだがと思っていたら川本三郎さんの解説でドン・シーゲル監督はここで終わりにするつもりだったがあまりにも暗すぎると制作のウオルター・ウエンジャーの意見でハッピーエンドに替えられたという

この制作のウオルター・ウエンジャーは戦前には「暗黒街の弾痕」(1937)「海外特派員」(1940)などの傑作を残している そのキャリアのラストは20世紀フォックスを倒産に追い込んだと言われる大スぺクタル映画「クレオパトラ」であった

この異星人侵略をモチーフとした魔女狩りとも言える設定は50年代前半にアメリカ映画界に吹き荒れたマッカーシズムへの批判であろう 
また別の見方では莢(さや)人間に取って代わられ個性や感情を失くした街の住民は共産主義に傾倒していった人々と解釈することが出来る(脚本のダニエル・ツインウエアリングは赤狩り時代迫害された経験を持つ)

低予算で作られたため派手な宇宙人も出ない心理サスペンスとなっている
なるほどSF映画の古典と言われるのがピッタリのいい映画ではある

     (3月16日 NHKBSプレミアムにて鑑賞)


白鷺だより(221)ドリフ復活「全員集合!」

2017-03-18 15:06:43 | 思い出
 ドリフターズ復活

3月15日の「志村けんのだいじょうぶだあ」は「ドリフみんな大集合」と題して志村けん(67)をはじめ加藤茶(74)仲本工事(75)高木ブー(84)が出演して思い出話やコントを演じた 僕はこのうち仲本工事さんとは[北島公演]を始め[かしまし公演]も[日本香堂]の公演もご一緒した そればかりか現在の奥さんである三代純歌さんとの結婚式にも招待された それと加藤茶さんとは平成25年の日本香堂の公演「江戸みやげ・名代夫婦餅物語」でご一緒したが(NHKの鶴瓶の番組で話題になった如く)丁度「うつ状態」のときでセリフ覚えも悪く ずっと精細がなく巡業も楽しいものではなかった (巡業の座長の仕事はいかに楽しい旅にするかが大きな仕事である)あの時に比べて格段元気になられて安心している
おっとドリフといえばン十年前「アニーよ銃を取れ」で荒井注さんともご一緒だった
志村けんさんとは新橋演舞場の幹事室で「松竹新喜劇」をご覧になりに来られた時少し喋った
(たしか当時噂になっていた歌手のIさんと一緒だった)

さて番組でのコントは(寝台車コント)さすが全員年を取ったなあと思わせる出来でもう一つだった 
やはりこのグループの本筋は音楽コントであり 最後は「全員集合」のラストの「いい湯だな」の替え歌で閉めて貰いたかった

それまでいかりや長介(碇屋長兵衛)率いるドリフが初めて危機を迎えたのは1963年メンバーの大量脱退事件の時だ メンバーの小野ヤスシ ジャイアント吉田 飯塚文雄 猪熊虎五郎が脱退 ドンキー・カルテットというコミックバンドを作ったのだ 残ったのはベースのいかりやとドラムの加藤英文・小山威(ギター)綱木文雄(サックス)の4人となった 困ったいかりやはメンバーを補充 ギターの高木智之助とピアノの荒井安雄を入れ さらに高木の知り合いの仲本興喜を入れた
いかりやの選考基準は「見た目の面白さ」でそれが当たった
 
1965年 小山・綱木が抜けていわゆるドリフターズのメンバーが固まり 同時に渡辺プロ専属となった

1966年事務所の先輩であるクレイジーキャッツのハナ肇からメンバー全員芸名を付けることにした いかりや長介 加藤茶 仲本工事 荒井注 高木ブーの誕生であった

1966年ビートルズ日本武道館公演の前座で出演したドリフターズのネタは
E・Hエリックの司会で登場し「のっぽのサリー」を演奏仲本工事が歌い 曲中にダン!ダン!ダン!とリズムを刻むところで全員がコケる いかりやが「退散~」と号令をかけメンバーは各自アンプのジャックを抜いてサッサと立ち去る 加藤茶がドラムセットからノコノコ出てきて福島弁で「バカみたい」とアドリブをつけた 

この頃からテレビ 映画 レコードに活動の場を拡げ 1969年から始まったTBS「八時だよ! 全員集合」で人気を不動のものとした 番組の前半に配されたメンバー全員で演じるコントをはじめ「ちょっとだけよ」「カラスの勝手でしょ」などのギャグや「合唱隊」「体操」などのコーナーも当たり番組は16年ほど続いた

1974年荒井注が脱退し付き人の志村けんが新メンバーに いかりやより19歳も年下の彼はロックとR&B世代 ジェームス・ブラウン風の「東村山音頭」「ディスコばあちゃん」やファンク風の「ヒゲダンス」和声ラップ風の「早口ことば」などそれまでにない若い感覚で新しいファンを引き寄せた

1985年「全員集合」が終了すると メンバーのソロ活動が増えいかりやは役者の道へ
志村けんはフジテレビで初の主役バラエティ「志村けんのだいじょうぶだあ」をスタートさせる あとの三人はコミックバンドの道に進み アイエスが仕掛けた「こぶ茶バンド」で全国を回った 

さて久しぶりに「全員集合」した四人を見たが 寄る年波に勝てないといった感じが強く
「過去のコント」を見て懐かしさのみが感じるのは見ているこちらも同じように年を取ってしまったという事実を知らしめたのだ