白鷺だより

50年近く過ごした演劇界の思い出話をお聞かせします
     吉村正人

白鷺だより(380) おちょやん(3) アットン婆さん

2021-02-18 11:29:13 | 演劇資料
  白鷺だより(380) おちょやん(3) アットン婆さん

 一平が千之助から自信の台本を朱を入れて渡されたシーンを見て僕が大劇場最初の台本を書いた時を思い出した
それは昭和52年8月(1977)当時人気絶頂だった小柳ルミ子の公演でヒット曲「星の砂」をミュージカル化する仕事だった 沖縄竹富島の民話を基本にして自分でも良く出来た作品になったと自信満々で演出を担当する竹内伸光さんに提出した
しばらくして真っ赤に朱が入って帰ってきて もとの本文は殆どなかった
それを清書して再び提出すると 作者の名前は残しといたるからな と云われ恐縮してペンネームで出すことにした 

昭和52年8月10日〜16日梅田コマ劇場

作・演出 竹内伸光
脚本   いちはらまさと

「星の砂」

小柳ルミ子
友竹正則
芦屋小雁
峰岸徹
西尾恵美子

これが僕の商業舞台第一作だ

話をおちょやんに戻そう
この作品のモデルは後にヒット作になる「アットン婆さん」だ
十吾は作者名に天外の名前を残し茂林寺文福(十吾のペンネーム)と館直志(天外のペンネーム)の合作とした
これ以降 このコンビの作品が家庭劇、新喜劇の数々の名作を生む

南座の記録によると
昭和10年に「ハットン婆さん」として上演されており
茂林寺文福 館直志 合作

父親儀平 小織桂一郎
長男正一郎 山田哲也
その妻   石河薫
次女真里子 東晴子
三男三郎  天外
女中お初  十吾

戦後新喜劇でも「アットン婆さん」として上演され
昭和25年3月中座
父親儀平 田村楽太
長男正一郎 曽我迺家明蝶
その妻  石河薫
次女   九重京子
三男三郎 天外
女中お初 十吾

続いて同年5月南座
父親儀平  田村楽太
長男正一郎 曽我迺家明蝶
その妻   石河薫
次女    曽我迺家鶴蝶
三男三郎  天外
女中お初  十吾 

藤山寛美が三男三郎を演ってから「アットン婆さん」 は新喜劇のヒット作となったと思う


白鷺だより(379) おちょやん(2) 手違い話と「手」

2021-02-13 16:33:49 | 松竹新喜劇
白鷺だより(379) おちょやん(2) 手違い話と「手」

「おちょやん」も第9週目も過ぎて いよいよ鶴亀家庭劇(松竹家庭劇)創立に話は進んできました 天海一平は鶴亀から依頼され当時人気トップの「須賀迺家万太郎一座」に対抗すべく喜劇団を作ろうと画策していたが結局須賀迺家千之助を入れないと一座として成立が不可能と判断して千之助を入れ「鶴亀家庭劇」なる一座を作ったたがそのこけら落とし公演のトリ狂言で自らの脚本ではなく千之助の脚本(ほん)「手違い話」をやれと押し付けられる この作品は実際も松竹家庭劇第一回公演でも演じられた「手」という作品がモデルである 

三年後の昭和8年4月京都南座での家庭劇でもトリ狂言として上演されており飼

その資料には

5.和老亭當郎 作 茂林寺文福 改綴

注、和老亭當郎は十吾の師匠 曽我迺家十郎のペンネーム
  茂林寺文福は曽我迺家十吾のペンネーム

「手」3場
手代久助 (天外) 斎藤源次郎(十吾) 芸妓千代龍(浪花千栄子)
斎藤の妻実子(石河薫)

とある
この作品は家庭劇の人気狂言らしくその後も昭和11年10月公演、昭和16年9月にも再演されており11年には同じキャストに
医師南波均 (元安豊)の名前が追加され
16年には 天外、十吾、石河、浪花千栄子は同じ役で
泥棒(十太郎) 医師南波均(森野鍛冶哉)雇婆お兼(田村楽太)が追加されている

さらに家庭劇結成から20年後の昭和23年12月に新たに出来た松竹新喜劇の結成初公演のトリ狂言にも上演されている

和老亭当郎 作 茂林寺文福 脚色  「手」3場
下男久助(天外) 源次郎女房実子(浪花千栄子) 泥棒(蝶次)
斎藤源次郎(十吾) 医師南波均(大磯) 芸妓駒次(秀蝶)
おちょぼお松(宇治川美智子) 雇婆お兼(田村楽太)
看護婦中島(鶴蝶) 医員加藤(藤山寛美) 芸妓千代龍(山本裕子)
同〆奴(九重京子) 同市香(寿栄蝶) 食堂主人喜平(家三郎)

その後新喜劇でも何度か上演されている

それにしても一平役の成田凌の久助の着付けはヒドイ
何とかならないのか

そうそう今週からタイトルバックに資料提供 館直志事務所の名前が入りました



白鷺だより(378) おちょやん(1)

2021-02-10 06:51:14 | 松竹新喜劇
 白鷺だより(378) おちょやん(1)

朝ドラ「おちょやん」にはまっている
いよいよドラマは鶴亀家庭劇創立まで進んで来た
年号でいうと昭和3年のことだ

5年後の松竹家庭劇の南座公演の連名がこれだ



これを見倣ってドラマのメンバーでの連名を作ってみた

昭和3年 鶴亀家庭劇創立期連名
カッコ内にモデルと思われる人物名をかいてみた

天海一平 (渋谷天外)

須我迺家徳利
須賀迺家百久利
須賀迺家天晴(曽我迺家天照)

須賀迺家千之助 (曽我迺家十吾)
━━━
石田香里(もしかしたら九重京子、時代が20年違う)
竹井千代(浪花千栄子)
高峰ルリ子(石河薫)
━━━
漆原要二郎
小山田正憲



白鷺だより(377) ひらひらり

2021-02-08 13:08:37 | 人物
  白鷺だより(377)ひらひらり

 先週まで「週刊女性」に三話に渡って連載されていた漫画「ひらひらり」が完結した



 いわゆるミヤコ蝶々物語であるが 作者の女性漫画家は昨年亡くなっていて惹句に「おちょやんのモデル浪花千栄子とほぼ同時期に活躍した、戦中戦後を通じ恋と芸に生きた浪花のオカンミヤコ蝶々の物語」とあるように浪花千栄子が浪花のオカンみたいに描かれるなら、オットドッコイもう一人いまっせとばかりに連載されたと思われる なる程監修にきっちり上田浩人の名前が入っている 日向利一氏の名前も入っているので用意周到といえる

この物語は一応ミヤコ蝶々が語る恋懺悔の体裁で進む
引抜きで多くの芸人を新興芸能に奪われた吉本芸能が目をつけたのが旅廻り一座のちびっ子座長ミヤコ蝶々だった 吉本の人気者三遊亭柳枝に芸を仕込まれやがて男女の仲になり一子利一を儲けるが柳枝には妻がいて不倫の子供だった 他人のものを奪った者はいつか人に奪われると柳枝の妻に云われ悩む蝶々 やがて柳枝劇団に吉村朝治という若い男が入ってきて身の回りの世話をさせているが自らの不倫と女癖の悪い柳枝に耐え切れず、はずみで駆け落ちしてしまう
二人はやがて戻ってくるが「ケジメ」をつけるため二人は柳枝劇団を退団、いちから蝶々が仕込んで漫才コンビ「ミヤコ蝶々、上方トンボ」として再出発 やがて上方トンボは南都雄二と名前を変え「蝶々雄二」は名コンビとなり売れっ子となる 
しかし好事魔多し、雄さんは若い愛人が出来 子供まで出来てしまう
いつか柳枝の奥さんの言った言葉「他人の物を取ったらいつかは人に盗られる」が本当になる
二人は別れてもコンビはそのままに活躍するが蝶々が本名の日向鈴子名で書いた自伝。「おんな一人」か大ヒット その劇化を前に雄さんが亡くなり芝居も大ヒット 蝶々スクールを立ち上げ後進を育て、いつしか「なにわのオカン」と呼ばれるようになった

漫画はこういう話を淡々と綴っている
本当はナニワのオカンらしい面を描いて欲しかった

オマケ演劇資料

ミヤコ蝶々はいっとき松竹新喜劇に入っていた
松竹としては寛美の借金問題などで人気下降気味だった新喜劇へのテコ入れ

昭和41年1月 南座 昼 回転木馬 夜  流れ星ひとつ
    2月 中座 昼 花粉   夜  養子とキツネうどん
    3月 御園座 昼 養子とキツネうどん 夜 花粉
     寛美、南都雄二 大阪の遊び人共演の貴重な公演
     寛美首 蝶々、五郎八コンビで乗り切ろうとするが思うように客入らず
    5月 南座  昼 赤チャン赤信号 夜 灘のきむすめ
     蝶々病気休演 
   6月  中座  昼 豆菊はんとひな菊はん 夜 息子の歌
    7月 演舞場 昼 豆菊はんとひな菊はん 夜 えらいやっちゃ
     蝶々雄二 退団 8月 五郎八、中村あやめ退団
    9月 中座 十吾 助っ人に入る
    10月 南座 曽我迺家明蝶 助っ人に入る
    11月 中座 藤山寛美復帰第一回公演
     以降新喜劇は休みなしの公演続く
     バカを見た蝶々は以後しばらくは東宝系梅田コマで公演