白鷺だより

50年近く過ごした演劇界の思い出話をお聞かせします
     吉村正人

白鷺だより(443) 松竹新喜劇に明日はあるのか?

2023-06-12 19:24:22 | 松竹新喜劇

松竹新喜劇に明日はあるのか? 5月新緑公演を観て

 松竹新喜劇5月新緑公演を観た その名のように新しい若手看板を中心とした「新力公演」だ だが新しさは少しも感じられない 若手特有のエネルギーも感じられない これはひとえに五人の新戦力の中に扇治郎が入っているからだ 扇治郎の向こうに寛美の影が大きく見えるからだ あいもかわらす寛美のもの真似が目立つ 

その昔 「久しぶりの新喜劇に客席は三階まで埋まる大入り、顔見世を除いてついぞ最近感じることのない活気に溢れたこの客席を見ていると改めて新喜劇の人気というものを考えさせられる」(京都新聞 昭和39年9月)とか

「大阪道頓堀中座の前の通りは夜の部の開幕を待つ客でごった返す その人達を目当てに物売りまででてる有様だ 松竹新喜劇結成20周年記念興行か人気を呼んでいるのである」(京都新聞  昭和42年1月中座)  とか

「爆笑で二階がくずれ落ちそうになった」とか(爆笑で思い出したが平成15年日本香堂で初めて新喜劇をやったとき市民会館が爆笑で震えた 僕の演出の「裏町の友情」だった 翌年南座で同じメンバーでやったが客席は静まり返っていた(笑))

「テケツではダンボールを足元に置いて札を足で踏みつけて切符を売っていた」などと数々の伝説を産んだ松竹新喜劇はどこへ行ったのだ

それがいつしか社員に切符のノルマを付けさばかせるようになり やがてそれも付け焼き刃だと解り無くなった?

思えば寛美の死(1990)で新喜劇は無くすべきだった  翌年「新生松竹新喜劇」が誕生して以来 いい事が一度もなかった 扇治郎をいれたがなんの役にもたたなかった もはや寛美の孫では商売は無理だ たまたま新歌舞伎座の直美の「泣いたらあかん」をみたが役者の父親の借金の話がどうも客には寛美を思い出すとは行かず感動が薄かった 人気の叔母さんでもそうなんだから扇治郎には「もはや寛美を知ってる人達はいない」と思うところから再スタートだ 旧幹部俳優たちは若い五人に任せて大人しくしておくことだ

今回の「花ざくろ」も扇治郎のモノマネだけで終わった

もう一本の「三味線に惚れたはなし」は初見だがまあこんな話だろう タイトルでオチが解ってしまう 大工3人組は天笑の二枚目はいいとして後の役は一蝶と桃太郎にした方がいいと思う 若しくは寛太郎と桃太郎の役を入れ替えた方がいい 寛太郎がこの役なら余りにも目立ちすぎる 桃太郎は上手くいけば化けると思う

 

 

喜劇ニュース(2023 5月1日) 都筑謙次郎 退団 このニュースには驚いた

この度松竹新喜劇団員の都筑謙次郎が一身上の都合により退団することになりました 昭和58年の入団以来長きに渡り応援くださり誠にありがとうございました

彼には日本香堂公演では長らく「頭取」のような役目を担ってもらった

 新喜劇での彼の不幸は某劇団幹部俳優の娘に惚れられたことだった 周りの先輩たちからの仕打ち 中途半端なものではなかった その娘との仲が壊れ万事休す その時点で退団していれば良かったが彼は悲しいことに新喜劇が大好きだった 重圧に負けず40年間の新喜劇生活だった

  

 


白鷺だより(442) 松竹新喜劇「花ざくろ」のこと

2023-05-26 09:41:17 | 松竹新喜劇

松竹新喜劇「花ざくろ」のこと

 この「花ざくろ」は5月の上演に相応しい作品である 

その舞台のイメージは紫陽花が満開に咲いていて花棚には今が盛りの花々が並んでいる たまの晴れ間を利用して陽に当てようと縁側に「花ざくろ」の鉢が並んでいる 三次郎の部屋の中には直射日光を遮らなければならない花の鉢が並んでいる 今にも降りそうな雲が動くたびに明るくなったり暗くなったり

僕が75歳だから同じ歳の新喜劇も創立75周年を迎える 天外が代表を去り 扇治郎、天笑、曾我迺家一蝶、いろは、桃太郎の若手五人が中心となって再スタートする、その第一弾が「花ざくろ」(斎藤雅文演出)「三味線に惚れたはなし」(川浪ナミヲ演出)で始まった 「花ざくろ」、結局セットは初演の高須文七さんの踏襲であった せめてセットだけでも新しくして欲しかった

 花柘榴は八重の園芸品種で普通の柘榴とは違って実は実らない 女としての花はあるも植木職人の嫁としての立ち位置を定められない加代はあだばなであり しかもその枝には大きなトゲがある 不作の木と周囲から蔑まれようとも三次郎は決してカヨを見放さない

花ざくろ(館直志作 斎藤雅文演出)

 植木職人三次郎は仕事熱心で実直な男で 園主高橋にも見込まれ園の離れに世帯を持ちました しかし女房の加代は優し過ぎる三次郎に飽き足らず家をないがしろにして浮気に走ります 周りの人達は心配していますが三次郎本人は加代を責める様子はないようです しかし、ある出来事で三次郎が初めて怒りを言葉にします 周りの人も植物も同じように慈しむ心優しい三次郎と器用に生きられない加代の二人の元に 皐月の雨は優しく降るのでしょうか?

初演は昭和39年5月中座 三次郎 藤山寛美 加代 曾我迺家鶴蝶     高橋 天外 その嫁 酒井光子 平井 小島慶四郎

その7月には新橋演舞場で再演 

ところが翌年10月南座にて天外倒れる 

    41年1月 ミヤコ蝶々 南都雄二 ゲスト加入

      3月 寛美 暴力団との交際発覚

      4月 寛美除籍

      5月 蝶々、雄二、五郎八、千葉蝶、秀哉、中川でスタート      

         小島慶四郎退団

      7月 蝶々、雄二 退団 

      8月 五郎八、中村あやめ、星四郎(文芸部)退団

      9月 金田龍之介加入

     10月 曾我迺家明蝶加入

この10月南座で「花ざくろ」再演 

三次郎 金田龍之介 加代 曾我迺家鶴蝶 高橋 天外、その嫁 酒井光子     はな寛太こと西村一文が運送人役で出ている(元文芸部)

しかしこの公演中、密かに寛美復帰作戦は進行していた そして翌月11月中座にて寛美復帰そこから怒涛の244ヶ月連続無休興行がはじまる

この作品が寛美の元に帰ってきたのは昭和42年中座であった その時の平井は小島慶四郎であった 

「こんな枝付の悪い女ですけど、わしがうまく刈り込みますから」

未来に向かってスタートを切った新喜劇であるが ハッキリ言って失敗である五人の若手役者から扇治郎を外すべきである いつまでも寛美の孫では商売にもならない 孫がおじいちゃんの真似事をする、そんなものが誰か観るか

客席の寂しさは役者の責任では無い 

3人の新曾我迺家のうち いろはは伸びる可能性がみえる

もう一本の「三味線に惚れたはなし」は竹本をもっと活躍させねば 寛太郎を前に出し過ぎです 八十吉があんな役で我慢してるのに


白鷺だより(440) 米田亘 松竹新喜劇の50年

2023-05-15 14:39:04 | 松竹新喜劇

米田亘、松竹新喜劇の50年

若手五人によれ新体制をスタートする松竹新喜劇 その年に文芸部の米田さんが退団するという話を聞いた

米田亘 

別のペンネーム 門前光三(門前の小僧習わぬ経を読む) 昭和22年生まれ 早稲田大学文学部卒業 卒論 松竹新喜劇 昭和48年松竹新喜劇入団

昭和23年生まれの僕が1年ダブってトップホットに入ったのが昭和47年だからおそらく卒業が出来なかったか 一浪して大学に入ったからか 何故彼が昭和48年入団となったかは判らない 僕のように学生運動にのめりこんだとは後の彼から考えられない そんな彼が新橋演舞場の新喜劇を観て 二代目天外に手紙をだして入団を依頼する 二代目は当時の文芸部長平戸敬ニに任せるということで平戸に会って たまたま欠員が出て採用となった

1980年代が中心に 「IC女房にロボット亭主」、「さくら湯の忘れ物」、「昭和のラブレター」、「お金か心か春風か」 「鯉さんと亀さん」などの脚本 1993年平戸さんが亡くなった後 文芸部の責任者となり、二十世紀になって曾我迺家喜劇を継承すべく「山椒の会」(注1)を主宰 曾我迺家八十吉、玉太呂、寛太郎、川奈美弥生を中心にワッハホールを拠点に一堺漁人(曾我迺家五郎)の作品を中心に上演した 平成3年会社の思い付きで劇団名を「新生松竹新喜劇」となるがその中身は以前のままで何の変化も無く すぐにその「新生」は消えた 僕が新喜劇に関係していた頃の文芸部は狂言方として鍛冶君と木下君がいてその上司として米田さんがいたがあんまり新喜劇に「愛情」を感じられない風に見えた 同じく松竹のお荷物劇団である新派の文芸部は大場正昭さん始め斎藤雅文さん、成瀬芳一さんみたいに積極的に他の劇団の演出で外貨を稼ぐ訳でもなく コロナ禍になっても何の手立てを考えることもなくただ一本の名作も一人のスターも生むこともなく 昭和41年11月から延々と続く無休興行を昭和61 年11月(注2)まで240ヶ月連続公演のど真ん中でいくら契約金が安くとも当時の演劇人として破格の収入だったと推察される これだったら6年間も日本香堂の巡業で6年間も新喜劇を使ってあげた僕の方がよっぽど劇団に寄与してると思うが……(注3)

一番いい頃の松竹新喜劇とともに過ごした50年であった 羨ましい限りである

 

(注1)山椒の会 曾我迺家五郎、十郎、十吾の笑い 三笑の会

(注2)この月、寛美無休二十年を記念して藤山寛美二十快笑の狂言選定 

 「一姫二太郎三かぼちゃ」「愚兄愚弟」「人生双六」「花ざくろ」「愛の設計図」「大阪の此処に夢あり」「船場の子守り唄」「大阪ぎらい物語」「下積みの石」「上州土産百両首」「お種と仙太郎」「幸助餅」「笑艶桂春団治」「色気噺お伊勢帰り」「浪花の鯉の物語」「鼻の六兵衛」「篭屋捕物帳」「酒の詩・男の歌」「八人の幽霊」「浪花の夢宝の入船」

(注3) 日本香堂 新喜劇公演 平成15年   「裏町の友情」「お種仙太郎」       

           平成16年   「人生双六」「籠や捕物帳」

           平成17年   「大人の童話」「お祭り提灯」

           平成18年   「銀のかんざし」

           平成20年 「色気噺お伊勢帰り」

           平成21年  「八人の幽霊」「鼓」

           平成26年  「大当り高津の富くじ」

           いずれも演出は吉村

米田亘、日本近代デジタルヒストリーアーカイブを参考にしました

新体制の松竹座公演の論評は次回にします

 

 

 

 

 

 


白鷺だより(415)ポスターにみる松竹新喜劇と僕

2022-10-20 11:57:42 | 松竹新喜劇

先ずは平成6年7月新橋演舞場で新喜劇デビュー 御覧のように何本かは演出家の名前がない このような体質が新喜劇に新しい作家、演出家が生まれない理由である

その年の10月中座 僕は「朗らかな嘘」と「おくてと案山子」を演出したが名前は出して貰えない

そして12月中座 人生双六の演出だが名前は出ない

翌年平成8年松竹は創立100年を迎える 

この「春は浮かれて」で初めて名前が出る

3月南座

秋の扇と「わてらの年輪」の演出助手

そのまま新橋演舞場7月へ

11月中座  鼓と噂草紙左甚五郎を演出

12月中座若手奮闘公演 僕は? 皺だらけの天使と愚兄愚弟を演出

大忙しの平成8年が終わり平成9 年南座3月

平成9 年4月 南座  陽春公演 人生双六演出 

同年7月南座公演 京唄子ゲスト

 

11月中座

新喜劇最後の劇場公演 

ただし平成15年〜18年の日本香堂では新喜劇作品を演出した

 

 

 

 

 

 


白鷺だより(408) 松竹新喜劇の栄枯盛衰(昭和38年〜昭和41年)

2022-05-13 16:39:06 | 松竹新喜劇

松竹新喜劇の栄枯盛衰(昭和38年〜昭和41年)

 昭和38年15周年を迎えた松竹新喜劇は中座、新橋演舞場、南座と記念公演を無事終わった

いずれも大入りで松竹新喜劇は全盛期を迎えた感があった  その上、館直志こと座長渋谷天外の筆も冴え今回の書き下ろし「銀のかんざし」も好評だった

翌39年松竹新喜劇は劇団を株式会社に改め10月1日に発足と発表、社長は香取伝松竹常務、渋谷天外は常務取締役で劇団員全員が株主、資本金一千万円、但し興行の配給は従来通り松竹演劇部

新しい劇団は一般に喜劇台本を懸賞金を出して募集したり 俳優養成所を作り広く募集した その上劇団歌まで創ってしまう

〽君に告げん 七色の夢 人の世の 喜びも悲しみも 芸の力で 共に笑おう 共に泣こう 新し喜劇 生きてる舞台 愛される庶民の劇団 ああ その名ぞ我ら「松竹新喜劇!」希望の劇団 松竹新喜劇

この年の演舞場の7月公演の目玉作品は館直志作「花ざくろ」も大好評 つづいて8月日生劇場で天外の書き下ろし「わてらの年輪」を上演、中村鴈治郎、扇雀、花柳章太郎、小林千登勢、賀原夏子、酒井光子らの出演でこれも又大好評だった この作品は館直志名ではなく渋谷天外とした

( この「わてらの年輪」の盗作事件の顛末は別に書く)

翌昭和40年7月の演舞場の目玉は昼の部にあの菊田一夫が書き下ろした「誰にもやらん」、対して夜の部は館直志の「遥かなり道頓堀」であった

9月京都南座に出演中の渋谷天外が13日午後楽屋で脳出血で倒れ、14日診察の結果右半身に軽い痺れがあるため自宅療養することになった 公演は五郎八と寛美が代役にたって続けられたが天外は年内休演

それにともない天外は10月に決まっていた東京歌舞伎座の「上方喜劇顔見世大合同」も休演、曾我迺家十吾、五郎八、寛美、ミヤコ蝶々、南都雄二、かしまし娘、石井均、高田次郎ら約60人の上方喜劇人が上京しての公演だった 出し物は以下の通り 

土井行夫「みなと三文オペラ」茂木草介「恋の周旋屋」館直志「ぼんぼん物語」茂林寺文福・館直志「アットン婆さん」茂林寺文福「愛のお荷物」館直志劇化「海を渡る億万長者」

渋谷天外の病気欠場でピンチに追い込まれた松竹新喜劇が来年1月南座公演からミヤコ蝶々、南都雄二を座員に加え、劇団の強化を図ると発表

松竹新喜劇は昭和41年4月6日付けで藤山寛美を除籍したと発表、寛美が一億数千万もの借金をかかえ一昨年からその貸借を巡ってとかく噂があったことに加え、劇団内部で統制を乱す言動が多かったことなどが理由 4日の兵庫県警の調べでも借金の取立てに対抗するため寛美が暴力団関係者に処置をたのんだことが明るみに出たのが除籍に踏み切らせた

南都雄二 談

問題が問題だけに処分もやむを得なかったと思う しかしこれ程さびしい思いをしたこともない

勝忠男劇団専務

寛美の抜けた穴を早急に埋めることは難しい 全員のチームワークで危機を切り抜けるより仕方がない(昨年以来寛美のスキャンダルが噂されたためTVのスポンサーが彼を敬遠、今では寛美主演のドラマは一本もない)  数年前の彼の最盛期ならともかく現在では彼がいないからと言って劇団が再起できない程の影響はあるまい

4月休演

新喜劇のホープ小島慶四郎 寛美に殉じて退団 このあと寛美と共に東映に拾われヤクザ映画のお笑い場面に多数登場

7月 新橋演舞場は天外、寛美のいない新喜劇 ミヤコ蝶々、南都雄ニがゲスト

7月9日付け朝日新聞

4月初め看板スター藤山寛美を失った劇団松竹新喜劇は関係者の間で立直しを検討していたが7 日劇団専務勝忠男が天外社長に辞表を提出、今月の演舞場公演を最後に年内は劇団活動をやめて解散、来年早々改組、出直す見通しがつよくなった しかし9.1112月は公演を公表しており団体客などの予約が入っている

7月10日付け朝日新聞

松竹大谷竹次郎会長は「松竹新喜劇はこれまで別会社として松竹本社とは切り離されていたが、新橋演舞場の七月公演を最後にこの形を改める 大阪中座での9月公演には松竹直営の劇団としてお目見えするだろう」

7月15日付け朝日新聞

香取伝常務は松竹新喜劇問題で14日渋谷天外と話あった末、次のように発表年内休演の劇団の方針を取り消し9月中座は取り敢えず曾我迺家十吾が特別参加、また新派の金田龍之介、夏目俊二で演技陣を強化する、蝶々、雄二は未定、寛美については松竹から働きかけることはないが寛美自身が身辺を整理したうえで劇団を希望するなら考えてもよい (なお蝶々、雄二はこの月で退団決定) 勝専務も新喜劇に辞表を提出、松竹芸能一本に戻る 曾我迺家五郎八もこの公演で新喜劇を退団

8月公演休演

9月中座公演 曾我迺家十吾と金田龍之介を補強して1日から開演だが客の入りが芳しくなく寛美の復帰を中心とする補強策が改めて急がれている

10月9日 

松竹新喜劇は藤山寛美を11月大阪中座公演から復帰させることを決定

11月  藤山寛美復帰第一回公演

昼の部  どろんこ娘たち/横堀川/親指小指/ハッピとズボン 

夜の部  恋と花束/大阪ぎらい物語/男の湖/城崎みやげ

寛美がいなくなってから公演ごとに赤字続きだった松竹新喜劇が今月は藤山寛美が小島慶四郎と東靖人を引き連れて復帰したトタン連日大入、新派から3ヶ月応援出演を続けている金田龍之介は今月限りで古巣に戻るが新喜劇は勢いに乗って12月も来年の1月も引き続き中座で公演が決定

ところが12月は新歌舞伎座で曾我迺家明蝶、ミヤコ蝶々、南都雄二、石浜裕次郎、中村あやめ、といった新喜劇の脱退組がごっそり出演し ゲストに左幸子、宗方勝己、おまけにプロデューサーは松竹芸能の勝忠男、演出を担当する星四郎も新喜劇文芸部脱退組だ

これに対して新喜劇も天外と花登筺がそれぞれ寛美主演の新作を書く

さて御堂筋を挟んだこの勝負 どちらの勝ちか? 

結果においてはこれ以降の関西の演劇地図が大きく変わる