白鷺だより

50年近く過ごした演劇界の思い出話をお聞かせします
     吉村正人

白鷺だより(367)さぶちゃんの「まつり」

2020-01-31 16:45:24 | 思い出
    さぶちゃんの「まつり」
昭和59年 作詞家なかにし礼は北島三郎サイドから作詞の依頼を受けた
北島と言えば星野哲郎、船村徹コンビとしか思っていなかったなかにしは面食らった
結局 迷った末引き受けることにした その頃の北島は歌手としても一番脂の乗り切っている時であり「風雪流れ唄」という名曲をものにして「風格」も一層そなわり 今や美空ひばりと並ぶ歌謡界に君臨している趣があった
僕は梅田コマにいたお陰でこの二人と仕事が出来て幸せ者である

なかにしは北島に歌謡界の団十郎のイメージを見た
歌舞伎の団十郎は「荒事」をまがごとを振り払ってくれる厄払いのご利益のあるありがたい物に作り上げた
つまり北島に歌謡界の団十郎のような存在になってもらい 歌によってまがごとを振り払い国土全体を言祝ぎ 国の平和と国民の幸福を願うような歌を歌う その資格は北島は充分に持っていた
となるとテーマは「まつり」しかない それもどこの祭りと決めないで「五穀豊穣」「大漁追福」「商売繁盛」「家内安全」「無病息災」「夫婦円満」「子孫繁栄」「天下泰平」などなどの国民の願いを込めた歌・・・・

男は祭りを そうさ 担いで生きて来た
山の神 海の神 今年も本当にありがとう
白い褌ひきしめた 裸若衆に雪が舞う
祭りだ 祭りだ 豊年祭り
土の匂いの染み込んだ 倅その手が宝物

「まつり」はその年の11月日本クラウンより発売された
作曲は北島のペンネームの原譲二 編曲は北島を一番知っているバンマスの鈴木操だ

翌年梅田コマ6月公演の「北島三郎大いに唄う」のラストで秋山メカステージの「動く飾り物」に乗って北島は「まつり」を歌った 芝居の出演者全員とバンドメンバー全員 スタッフ何人かで約50人を引き連れて
ラストはこれが日本の祭りだよ~をこれが梅コマ祭りだよと変えて歌った
この年からショウのラストは必ず「まつり」となった

北島は紅白でも大トリで「まつり」を歌った しかも1993年・1999年・2006年・2009年・2013年と5回も
北島は歌謡界の団十郎となったのだ

北島が実質的なオーナーである大野商事の持ち馬「キタサンブラック」が菊花賞、天皇賞(春)、ジャパンカップで勝利するたびに北島は「まつり」を歌った ずっと勝てなかった有馬記念でやっとこさ勝ったときは何万人かの競馬ファンとともにカラオケで「まつり」を歌った

燃えろよ 涙と汗こそ男のロマン
俺もどんとまた生きてやる
これが日本の祭りだよ