白鷺だより

50年近く過ごした演劇界の思い出話をお聞かせします
     吉村正人

白鷺だより(292)映画ICHI(市)

2018-01-28 08:40:36 | 映画
 映画「ICHI](市)

赤い夕陽に さすらいながら
死んだ奴らに 子守歌
どこで果てよと 誰が泣く
知らぬ他国の 蝉が鳴く
「斬っちゃならねえ人を斬っちまった時ァ
 目先が真っ暗になっちまった ははは
目先ははなっから真っ暗だよ」


 新歌舞伎の舞台で神野美伽が歌う「座頭市子守歌」を聞いて帰ったら ふとGYAOの作品の中に綾瀬はるか主演の女座頭市映画「ICHI]を見つけたので神野で舞台化しても面白いかなと思い見てみた

スタッフは「ピンポン」の曽利文彦監督 
「ラブジェネレーション」の浅野妙子の脚本

綾瀬はるかは時々訪ねて来ては居合を教えてくれた父であろう男(座頭市のイメージ)を探し求めて歩くはぐれ瞽女というド汚れ役を好演 幼少時のトラウマから刀が抜けない侍というユニークな役の大沢たかお ピンポン以来の監督とのコンビの悪役万鬼の中村獅童
「白河組」2代目寅次の窪塚洋介はスターオーラがなく「仕出し役者が貰ったいい役」といった感じだが父親役の柄本明が締めた 
ともあれ若いスタッフがうまく作り上げた女版座頭市に仕上がった
それにしても「どめくら」「めっかち」とか禁止用語は一切出てこない綺麗な作品だった座頭市はそこが魅力だったのに・・・・
「いやな渡世だなあ」 

女座頭市と言えば 昔 芳文社から出ていた「週刊漫画TIMES」という雑誌に連載された棚下照生という漫画家が書いた「めくらのお市物語」が僕は大ファンであった 
この今ではとうてい使えない言葉のタイトルも おそらく「ICHI」の若きスタッフは知らないだろう 
ヒロインお市の色気たっぷりに描く曲線美は見事であった
この作品 一応マンガとしてもヒットして松竹で映画化もされた 

1969  松田定次監督 めくらのお市物語 真っ赤な流れ鳥 
1969  松田定次監督 めくらのお市物語 地獄肌
1969  市村奏一監督 めくらのお市物語 みだれ笠
1970  市村奏一監督 めうらのお市物語 命貰います

主演は「琴姫七変化」の松山容子
 
その後彼女主演でテレビドラマ化された
1971・4~1971・9まで日本テレビ
主題歌はマリオ・ランディ「お市流れ旅」
脚本 大野靖子 小山内美江子 監督 石井輝男他

このあと映画シリーズもテレビシリーズも中断する
主役のお市を演じた松山容子が原作者の漫画家棚下照生に惚れてしまい結婚 
仕事のセーブを宣言したためであった
「人間的にとても温かみがあり魅力的でした 私はすっかり主人に魅了され魂を奪われてしまった」のだ

そして昭和45年松山容子主演で舞台化もされた 記録によると中座「7月特別公演公演」の一本目が「めくらのお市物語」がそれだ
脚本・演出は梅林喜久生先輩と京澄一歩の連名 京澄一歩は芦屋雁之助のペンネームだ
出演は芦屋雁之助、松山容子、花園ひろみ 芦屋小雁らでもう一本は「親ばか太鼓」だった


棚下照生
はマンガ界では寺田ヒロオを東京へ呼んだ男として有名でそののち「トキワ荘」のリーダー的存在になっていく寺田とは違い「生きるためにマンガを描く」と言い切り 傍らには酒を決してきらさず 金が入ったら全て遊興費に消えるという無頼派だった
一時筆を折っていた時期があったが芳文社の編集長に「女侠客もの」を書くことを勧められ「めくらのお市物語」や「旅がらすくれないお仙」が次々とヒット、映画化ドラマ化れた  これが縁で主演の松山容子と結婚 
以降映画化された作品として「ハンターお竜」「笹笛お紋」「モナリザお京」ばどがある 
70年以後は青年漫画のリアルな画調に押されて仕事は激減し 昔の無頼派的生活に戻り ほとんど「ヒモ」のような生活から結局2003年肝硬変で死んだ
好きな漫画家の一人だった

今年はレトルトカレー「ボンカレー」の発売50周年を迎える 
ホーロー看板の松山容子は今年80歳
「私にとってボンカレーはほのぼのとした宝物だったと思います 皆様からボンカレーさんと呼ばれていましたのでそれが大変うれしい お料理が得意でない私にとって打って付けのものでした 大変なお品が出きあがったものだと思いました」とコメント

松山容子も綾瀬はるかも濡れ場を演るイメージではないが原作はもっとエッチな作品だった
ストーリー設定は面白いのでエロがプラスされたら 恰好の娯楽作品になったと思う 

白鷺だより(291)松下昇<情況への発言>

2018-01-26 10:32:22 | 思い出
松下昇<情況への発言>

 1969年2月 このような文章が神戸大学教養学部掲示板に貼られた
書いたのは同大学教養部でドイツ語を教えていた松下昇

<神戸大学教養部>の全ての構成員諸君!
このストを媒介にして何をどのように変革するのか、そして持続、拡大する方法は何か、について一人ひとり表現せよ
少なくとも、この実現の第一歩が大衆的に確認されるまで<私>は旧大学秩序の維持に役立つ一切の労働(授業、試験等)を放棄する


この文章は彼が講師を兼ねていた神戸外大、それに僕がいた関学(講師)にも同じ内容のものが貼られたのである 
彼がそれから実際やったこと 教授会欠席、授業や試験の拒否 又試験を受けた全員に0点をつけた 教室の黒板にペンキで落書きなど その一つ一つが彼の言う「表現」だった

我々が渦中にいた学生運動のさ中 学生にシンパシーを持つ教授たちは多くいたが その多くは支持表明を出したり 金銭のカンパで済ます<戦いの傍らで支持する>者がほとんどだった 実際こういうことがあった

関学経済学部のバリケード封鎖した時占拠した経済学部教授室棟のKというドイツ語教授の部屋に入った時 「学生諸君へカンパ」とかいた大きな茶封筒に5万円 それと留学時代からずーっと隠し持っていたであろうクラシックなドイツ製エロ写真が数枚入っていた 
僕はこの教授のドイツ語が苦手だったが一遍に好きになった

松下昇のように これほど自ら闘争の持続を呼びかけるなどする教授は珍しく案の定当然のように懲戒免職処分を受けた

松下昇 神戸大学懲戒処分と同じように処分を受けた教授、講師 助手
小林忠太郎 69年 日大解雇処分
宮内 康  71年 東京理科大解雇処分
河村侑二  71年 関東学院大解雇処分
菅谷規矩雄 72年 東京都立大免職
山元光代  73年 徳島大学懲戒免職
坂本守信  73年  岡山大懲戒免職
萩原 勝  70年 岡山大停職5か月
佐藤信行  75年 新潟大 懲戒戒告
竹本信弘  73年 京都大分限処分
この竹本信弘は別名滝田修 のち逮捕されるが彼を追っかけたドキュメンタリー映画「パルチザン前史」(土本典昭監督1969)はドキュメンタリー映画の大傑作だ
大阪市大バリケード陥落時の放水を浴びながらの「あおげばとうとし」を歌う場面は秀一だ

松下昇
彼は東大在学中共産主義者同盟〈ブント)に加入 60年安保闘争では6・15国会突入を敢行 先頭は虐殺された樺美智子 彼は二列目だった 61年大学院入学 63年大学院終了後神戸大学へ勤務 64年結婚 65年より吉本隆明が主宰する雑誌「試行」に「六甲」を連載 66年頃から文章に<>や( )がやたらに付くようになる 我々は「試行」や「あるかんわ」で彼の文章を読み影響を受けていた 
僕の文章にやたらに「 」が付くのはそのせいだ

1996年(平成8年) 5月22日の毎日新聞朝刊の記事
60年代後半から70年にかけて神戸大学教養部の「造反教師」として知られた元講師(ドイツ語)松下昇氏が今月6日午前10時15分頃 神戸市の道路上で急性心不全のため亡くなった 60歳だった 数々の控訴中の裁判をかかえ 大震災後病気になった妻を抱えての死であった

先日玉川で入水自殺した西部遭も東大時代ブントに加入していたが 60年安保後転向して復学 卒業後64年東大大学院に進学 東大教養学部助教授 カルフォルニア大やケンブリッジ大と留学後保守論客者としてデヴュー 中沢新一を助教授に推薦するが反対され東大を辞職 評論活動や「朝まで生テレビ」の右派論客として活躍 

(1月21日西部邁氏の自殺記事を受けて)


白鷺だより(290)エキスポランド「風神雷神」事件

2018-01-24 11:11:20 | 思い出
エキスポランド「風神雷神事件」

学生時代反万博運動(反パク)をしていたせいで大阪にいても万博には一度も行ったこともなく その後 万博の時のアミュージメント遊園地を手直しをして1972年営業を再開した「エキスポランド」にも入ったこともない僕が毎日「エキスポランド」に通うことになった エキスポランドの空き地に仮設小屋を建てて アトラクション「人が演じるお化け屋敷」の構成・演出をやった時のことだ 
エキスポランドの企画者泉陽興業さんが一度東映あたりに頼んだが莫大な予算案を言われたらしくそのころ私が顧問をしていたラビットプランニングのKに何とかしてくれと頼みに来た次第で平成15年から18年まで毎夏開いていた 
読売新聞が後援してくれて読売テレビではバンバン宣伝もしてくれ好評であった

大阪の仕事がない若い役者にとって丁度いいアルバイトで中には引退した役者さんが「ボケ防止」に老人役を引き受けてくれたこともあった
こちらも日本香堂の仕事だけで付き合ってきた衣裳さん 小道具さん 音響さんにも仕事を回せて色々と便利を図ってもらえる
ラビットにしても年二本のレギュラーの仕事があれば安泰だ
こののちあちこちで「人が演じるお化け屋敷」が多く行われるがこれがその先鞭だと思う

公演記録は以下の通り
 平成15年 化け猫騒動 「呪われた有馬屋敷」
 平成16年 横溝正史「八つ墓村」
 平成17年 横溝正史 「犬神家の一族」
 平成18年 横溝正史 「獄門島」
 

さて公園内には色々と遊び道具があり 中でもジェットコースターは充実しており 私は苦手だったので乗ったことはなかったが(もっぱら新しく出来た流れるプールでゆったり遊んでいた)「風神雷神」だとか「オロチ」だとか若い役者は休憩時間に乗りに行っていた

さて平成19年次回作の打ち合わせが始まった頃(またまた横溝ものだった) 
ゴールデンウイークのど真ん中の5月5日風神雷神Ⅱの事故が起った 
当時の新聞記事には次のような記事が載った

大阪府吹田市の遊園地「エキスポランド」でジェットコースターが脱線し20人が死傷した事故で2両目に乗っていて死亡したO(記事は本名)さん(19)が事故車両に乗り込む際後ろに並んでいた家族ずれの客に座席を譲っていたことが府警の調べで分かった 事故直前順番待ちしていたOさんら同僚8人のグループが親子三人を先頭車両に乗せてあげようと気を配った結果だった 調べによるとOさんは事故の5日朝から滋賀県東近江市の同僚5人とレンタカーを借りてエキスポランドを訪れていた 事故を起こした「風神雷神Ⅱ」は人気アトラクションだったため 事故前の正午ごろは順番待ちの行列ができていた
午後0時45分頃 Oさんと同僚一人が風神に乗り込む直前 後ろに父親と娘二人の親子連れが並んでいるのに気付いた 一両は四人乗り 0さんら二人が乗ってしまうと親子がバラバラになってしまうと思い 三人に座席を譲り 自分たちは次の車両に乗ることにした
Oさんが2両目の左側に乗り込んで出発 約150メートル走行した地点でOさんの席の下にある2両目前部の車軸の先端が折れて 左右のレールを傷つけながら急降下や旋回を続け約680メートルの地点で車軸で固定されていた車軸のユニットが脱落した
さらに2両目の車両が左に大きく傾いたまま約35メートル進み 点検用通路の手すりに接触 Oさんは頭を挟まれて即死 席を譲ってから約3分後の惨劇だった

目撃者によると
首が胴体から離れ眼球が垂れ下がって揺れており その唇はダランと下がったままだったという 
お化け屋敷顔負けの悲惨さで目撃した人たちも何人か倒れた

この事故のニュースが出て悲劇のヒロインOの写真をみて世の人たちはビックリする 
僕もこの写真を見てこれは事故にあったこの子が悪いと思った 写真は安田大サーカスのHIROそっくりの大女だったからである
(最近の事故の記事でもこの写真は見ることが出来る)
これにより機械の制限体重が問題となり会社は乗車拒否をすればよかっのにとか意見が出た 
そんな風潮が遺族をかたくなにして会社側のお悔やみを最後まで拒んで補償問題はもつれにもつれた
(最近のネット記事を読むとOさんはダイエットに成功して事故時点ではスマートだったという)

この事故のあとエキスポランドはお化け屋敷を中止して 8月プールと風神雷神以外の娯楽施設で再開したが彼女のうらみからか次々と遊戯施設の事故が相次ぎ客足も伸びず再び休館 2008年破産した 
現在は三井不動産が跡地を利用して商業施設を中心として水族館など色々な施設を併設したEXPOCITYとして新たに開業している

たった四年間であったが僕にとって楽しく仕事が出来た四つの夏の時間であった

白鷺だより(289)三島由紀夫「命売ります」

2018-01-18 17:16:39 | テレビ
三島由紀夫「命売ります」

13日よりBSジャパンで始まったドラマ(土曜9時)三島由紀夫原作の「命売ります」がなかなか面白い
原作「命売ります」は1968年「週刊プレイボーイ」に21回連載され、同年集英社より単行本として出版されたもので その年三島はのちの「盾の会」の原型である学生たちと自衛隊体験入隊を行っており丁度 祖国防衛隊の制服が出来上がった時期であった
連載中僕はその存在を知ってはいたが雑誌をパラパラと読む程度であった 文壇の方も大方は「通俗小説」と見られ全く注目もされなかった 二年後 三島が1970年11月25日 自衛隊市谷駐屯所で割腹自殺してから俄然注目されるようになった

連載に当たっての「作者のことば」は次の通り
小説の主人公といふものは ものすごい意志の強烈な人間のはうがいいのか 万事スイスイ 成り行き任せの人間のはうがいいのか、については昔から議論があります
前者にこだはると物語の流れが限定され 校舎に失すると骨なし小説になります
しかし今度私が書かうと思っているのは後者のはうです
今風の言葉だとサイケデリック冒険小説とでもいふのでせうか?


さてその第一話は
売れっ子コピーライター山田羽仁男(中村蒼)は変わらぬ社会、延々と続く日常に見切りをつけて睡眠薬自殺を図るが失敗に終わる 羽仁男は助かった自分の命を売り物にして商売することを思いつく 「LIFE  FOR SALE」の看板を掲げて
そんな羽仁男の所には毎回様々な癖のある依頼人が訪れ奇妙な要求をする
最初の客岸(田中冺)の依頼は 自分の若い妻るり子(橋本まゆみ)と関係を持ち そのヤクザの愛人(大杉連)に見つかり殺されて貰いたいという奇妙なものだった
関係中男に見つかったが男は絶頂を迎える妻の表情を写真に撮るだけで羽仁男は殺されずに帰される 翌日るり子の死体が隅田川に浮かぶ 羽仁男は失敗したと思い岸に金を返そうとするが岸はるり子が殺されたので成功だと大金を置いて帰る
「また今回も死ねなかった」

ナレーションは三島の盟友 美輪明宏
主人公が行きつけの喫茶店(ママはYOU)には必ず美輪の曲が掛かっている

毎回事件に巻き込まれるが主人公は必ず生き残ると思われる
そしておそらく捨てたはずの命を惜しむようになるのであろう

中村蒼は色気があり この役に合っている
依頼人はこれからもケッタイなゲストがでてくるのであろう

第二回以降も期待する
 



白鷺だより(288)星野仙一の犯罪

2018-01-16 11:05:35 | 人物
星野仙一の犯罪

 小林幸子が梅コマに初登場して翌年 彼女のショーの構成・演出を担当したのは紅善男という「人の食った」名前だった 
(ちなみに昭和57年度の第一回目の構成・演出は元日劇の廣田康男さんであった) 
レコード会社のプロデューサーだとか某民放の男たとか噂されるこの謎の男の正体はひょんなことで いとも簡単に判ってしまう 
コマ文芸部の先輩のOさんの関学の先輩でNHKの芸能部のHさんのペンネームだったのだ
その頃のコマ出演歌手のショーの構成演出はTBSの久世さんとかレコード大賞の斎藤プロデューサーなど一度も顔も見せない人たちでそれは体のいい「まいない」だったのだ
それがついにNHKもかという思いだった 
実際彼は紅白歌合戦を牛耳っていて彼のご機嫌を損ねたら紅白出場も危ぶまれた 小林サイドも必死だったのだろう 
現に後には小林との男女の噂もあったし 有名な大掛かりな衣装は彼が仕掛けたと言ってもいい
彼は昭和61年ちょっとしたスキャンダルに巻き込まれて退社 個人で制作会社Bを立ち上げ現在に至る
 
なぜ 彼のことを思い出したかというと最近元NHK職員の立花孝志とかいう男が「NHKをぶっつぶせ」のキャッチフレーズでYouTubeにNHKの暴露記事をしゃべっているのを見たからである 
彼はスポーツ担当だったから芸能部のことは直接見聞きしたわけではなく伝聞だけだが「紅白の裏側 金・女・暴力団を語る」とか大相撲の裏側一年6場所30億円(これは彼が担当した)の中継料などの話はなかなか面白い
 
そして先日星野仙一が亡くなったことで「故星野さんの悪口いいます」は「悪口」といいながら元々彼が阪神ファンであったことから星野への愛情が満ち溢れなかなか見ものだ 
そして高卒採用の彼がスポーツ担当局長のO氏のカバン持ちをやりながら力をつけていく様はリアルで興味深い 
興味をお持ちの方はYouTubeで見ていただくことにして 特に星野が子供のころからファンである阪神の監督になる話は面白い 
2001年当時阪神監督だった野村夫人のサッチーが脱税で逮捕される情報を掴んだ星野は野村は監督引退と読んで 決まっていたNHK解説者の契約を延ばしに延ばし その間「阪神オーナー野崎さんから話があった」「長嶋さんに勧められた」などと自ら吹聴して世論を高め まんまと待望の阪神監督になった 丁度阪神とNHKがBS放送の中継契約料を決めている時でその情報も掴んでおりいくらで決まった?と立花に聞いて来た 3年で27億だ(高卒の彼がこんな契約を担当した)と言うと監督料は「9億はいけるなあ」とニヤッと笑ったという 
案の定噂で監督料は8億と言われた 契約寸前の1500万のNHK解説者の契約を蹴って・・・である

星野が金に汚いのは彼が母子家庭出身であることに無関係ではない
明治大学時代 三菱電機独身寮で働く母親からの仕送りの袋を全部置いてあってその合計600万ほどをプロ入りの契約金でポンと返した話は有名である 
中日に入ってからはマルチ商売人坂東英二に影響され(教えられ)サイドビジネスに精を出すが失敗ばかり 借金は増える一方だった

野村がチームをテコ入れせず既存のメンバーでチーム力を上げようとしたのとは逆に金を積んで高いFA有力選手金本、伊良部、片岡らを集めたおして三年目に阪神を優勝させた
その年ダイエーとの日本シリーズに敗れた星野は病気を理由に後任の監督に岡田を推してシ自らはニアディレクターに就任した
優勝監督になって星野ブランドの価値は上がる一方 監督時代は成績が売れ行にモロ影響するので控えられていたCM出演依頼が殺到した

その中に関西電力のCMがあった
関電CMは計三本作られた
一本目はプルサーマル編 福井の海岸を思わせる浜辺で地元の子供たちとキャッチボールに興ずるバックに核燃料再使用の説明が入る
二本目はは浜辺編 遠くに原発が見える浜辺で「熱い男」星野が原発はCO2を出しませんと断言する
三本目はクイズ編 水力、太陽光発電は発電時にCO2を出さない 〇か×か 多くの人が〇に集まる 原子力発電は発電時にCO2を出さない 〇か×か 一同悩む そこへナレーションが被る「原子力発電は発電時にCO2を出しません」

このCM主演料は軽く億を超えると言われた

僕も昔関電ミュージカルという企画に参加したことがある 原発がある地域にはそれなりの会館があり そこで地元の子供たちに見せるミュージカルを作る企画の第一回目を仰せつかったというわけだ ところが公演が近づいた1月17日阪神淡路大震災が起こり 企画は中止となった 大震災のお陰で原発推進の手伝いに手を染めることなく終わった

何年か後 星野が北京五輪監督を経て「楽天イーグルス」の監督になった2011年3月11日東日本大震災が起こり
皮肉にも福島原発は壊滅 原発神話が崩壊した
中部電力のCMをやっていた勝間和代と一緒に星野も非難されるが どこ吹く風 立花曰く「そのことを謝ったことも被災地に寄付したことも聞いてない」星野であったが彼は野球で東北を励まし楽天就任3年目にチームを日本一にした
(まあ、これも阪神時代同様大金を積んで補強した結果であった)

「星野仙一の犯罪」という大げさなタイトルで書き始めたが最後は「星野らしさ」で何でも許されてしまうのであった

(前にも書いたが立花孝志のYouTubeは面白い 
しかし自ら真実を述べている証明として友人の不倫のことや自分の不倫の相手の実名まで曝すのは頂けない 人間性が疑われる)