白鷺だより

50年近く過ごした演劇界の思い出話をお聞かせします
     吉村正人

白鷺だより(361)片岡千恵蔵「七つの顔を持つ男」

2019-10-14 12:03:03 | 映画

      片岡千恵蔵 七つの顔を持つ男

 YouTubeで面白い映画を見つけた 
昭和21年に造られた「七つの顔」という大映映画だ
終戦直後とは思えない派手なレヴューシーンから始まり マジックあり 歌あり カーチョイスあり ピストル乱射ありと洒落た作りになっている 主役 多羅尾伴内に片岡千恵蔵 共演は轟夕紀子 月形龍之介 喜多川千鶴
この映画での7つの顔とは 私立探偵(多羅尾伴内) 奇術師 片目の運転手 せむしの占い師 新聞記者 留置所の牢番 藤村大造 だ
最後の謎解きに「あるときは片目の運転手 またあるときは*** しかしてその実体は~」は懐かしいシーンだ

僕の住んでいた三重県名張市という街には僕が小学生当時映画館が三軒あった 駅前に洋画専門、松竹大映日活系があったが 元町に東宝、東映系の封切館があり(封切といっても都会より1週は遅れていた)こちらは祖母と阪妻の無声映画大会に行った時館主に紹介されて以来顔パスで入れるようになった  チャンバラが解禁になり 錦之助らの東映時代劇全盛期の映画はほとんど見ているが その中に千恵蔵の「七つの顔を持つ男」もあった もちろん子供ではあったがそのバカバカしさはぬぐえず次第に東映映画から離れていった記憶がある

この多羅尾伴内シリーズは元々大映が戦後すぐ片岡千恵蔵で造った人気シリーズで「七つの顔」「十三の眼」「二十一の指紋」「三十三の足跡」と続く 

戦後GHQがチャンバラ映画製作を禁止したため千恵蔵プロで一世を風靡した剣豪スター千恵蔵も刀を拳銃にもちかえざるを得なくなり脚本
比佐芳武 監督松田定次 主演片岡千恵蔵 のトリオは苦肉の策で1946年「七つの顔」を完成させる
「敗戦で疲れた人々が観て元気になれる映画をめざして」作られたこの映画は試写では悪評だったが思いのほか大ヒットして 並行してシリーズ化した横溝正史の金田一耕助物(千恵蔵主演 背広にトレンチコートスタイル)と共にドル箱シリーズとなった
しかし一方で映画評論家には不評で ついには大映社長永田雅一が「多羅尾伴内物などは幕の繋ぎであってわが社はもっと芸術性の高いものを製作していく所存である」と言明 それを聞いた千恵蔵は「何も好んで荒唐無稽な映画に出てるわけではない 幸い興行的に当たっているので会社の経営上プラスになればと思ってやっているのに幕間の繋ぎとは何事か もう伴内ものは撮らない 契約が切れたら再契約はしない」と怒った 千恵蔵は金田一シリーズで縁があった東横映画に移籍した やがて昭和26年東京映画配給が東横と大泉映画を吸収合併して東映が創立されると千恵蔵は取締役となり市川右太衛門とともに重役スターとして会社を引っ張ることとなる
そして占領時代が終わりチャンバラ映画が解禁になるまでこの多羅尾伴内シリーズを撮り続けた
片目の魔王(昭和28年)曲馬団の魔王(29)隼の魔王(29)復讐の七仮面(30)戦慄の七仮面(31)十三の魔王(33)
七つの顔の男だぜ(35)の七本だ

斜めに被ったソフト帽でピストルをぶっ放すスタイルはその後高倉健 丹波哲郎などのギャングものに引き継がれる
また千恵蔵の人気時代劇の「いれずみ判官」は変装して街に出る遠山金四郎は多羅尾伴内のそれと同じだ

東映ではこの後小林旭で多羅尾伴内物を復活させようとしたが思うようにヒットしなかった

一方千恵蔵を怒らせた永田社長は昭和26年黒澤明監督「羅生門」でベネチア映画祭でグランプリを取る
その後溝口健二監督「卯月物語」(28年ベネチア映画祭)衣笠貞之助監督「地獄門」(28年カンヌ国際映画祭)と続けて受賞
グランプリプロデューサーの異名をとる