聞書「あっちこっち丁稚」
トップホットシアターでコマ新喜劇を担当していた癖に実際ライバルである吉本新喜劇を観に梅田、なんば花月に行くこともなく テレビでチラッと観る程度だった これは今の松竹新喜劇をみても勉強にはならない、いわんや吉本新喜劇なんぞは何の勉強にもならないという香川登志緒先生の教えを頑なに守ったからである さてここに快楽亭ブラック✕前田五郎✕竹内義和というけったいな組み合わせの対談のユーチューブを見つけた 吉本新喜劇の裏話の面白いエピソードがあるので紹介する
「あっちこっち丁稚」は1975年から1983 年まで毎週日曜日の昼朝日放送から放送されたバラエティ番組で壇上茂が作者であった 老舗のカステラ店「木金堂」が舞台で毎回ダンさん役の前田五郎が御寮さん役の山田スミ子にビンタされるのが定番であった このような場面では普通叩いたフリをしてついている舞台監督が通称「ビンタ」という板で作った道具で音を出すのが普通だ
ちなみにトップホットで舞台監督時代僕はこのビンタが得意だった
前田五郎によるとこのビンタはいつも本気で叩かれて1週間後次の撮りまで痛みが残った よくやる手はリハーサルは軽く叩いて本番イッパツは本気で叩くというのが我慢の限界で しかし彼女はそれをゆるさずリハーサルから本気であった 普通多少の加減をするものだが ひどい時は吉本新喜劇の伴大悟なんぞは鬼歯が皮膚を突き抜け血まみれとなり放送事故でストップしたこともあった
(伴大悟は後にサラ金苦で吉本新喜劇を退団、若くして死亡)
そんな彼女に誰も何も言えなかったのは前田五郎によると山田スミ子はいわゆる「おさせ」で劇団員はもちろん 花月出演者、作家、吉本社員、出入りの靴屋のオヤジまで手を付けたという 要するに男という男はみんなお世話になっていたわけだ 後に市会議員になる船場太郎なんかは何年がご無沙汰のあと そうなったらやっと一回りしてきたなと言ったという 山田スミ子は生涯独身を通した
前田五郎はその他首筋に大きな肉色のサロンパスを貼っていた「アンタ!」と首筋を掴まれるとき爪で引っ掻かれるのを防ぐためである
「かいてる時(彼女とやってる時) は引っ掻かれなかったですか」とのブラック師の問に「へい、そらもう背中一面に、チャイ、何言わせますねん」とお笑いで逃げる五郎師匠でありました