白鷺だより

50年近く過ごした演劇界の思い出話をお聞かせします
     吉村正人

白鷺だより(408) 松竹新喜劇の栄枯盛衰(昭和38年〜昭和41年)

2022-05-13 16:39:06 | 松竹新喜劇

松竹新喜劇の栄枯盛衰(昭和38年〜昭和41年)

 昭和38年15周年を迎えた松竹新喜劇は中座、新橋演舞場、南座と記念公演を無事終わった

いずれも大入りで松竹新喜劇は全盛期を迎えた感があった  その上、館直志こと座長渋谷天外の筆も冴え今回の書き下ろし「銀のかんざし」も好評だった

翌39年松竹新喜劇は劇団を株式会社に改め10月1日に発足と発表、社長は香取伝松竹常務、渋谷天外は常務取締役で劇団員全員が株主、資本金一千万円、但し興行の配給は従来通り松竹演劇部

新しい劇団は一般に喜劇台本を懸賞金を出して募集したり 俳優養成所を作り広く募集した その上劇団歌まで創ってしまう

〽君に告げん 七色の夢 人の世の 喜びも悲しみも 芸の力で 共に笑おう 共に泣こう 新し喜劇 生きてる舞台 愛される庶民の劇団 ああ その名ぞ我ら「松竹新喜劇!」希望の劇団 松竹新喜劇

この年の演舞場の7月公演の目玉作品は館直志作「花ざくろ」も大好評 つづいて8月日生劇場で天外の書き下ろし「わてらの年輪」を上演、中村鴈治郎、扇雀、花柳章太郎、小林千登勢、賀原夏子、酒井光子らの出演でこれも又大好評だった この作品は館直志名ではなく渋谷天外とした

( この「わてらの年輪」の盗作事件の顛末は別に書く)

翌昭和40年7月の演舞場の目玉は昼の部にあの菊田一夫が書き下ろした「誰にもやらん」、対して夜の部は館直志の「遥かなり道頓堀」であった

9月京都南座に出演中の渋谷天外が13日午後楽屋で脳出血で倒れ、14日診察の結果右半身に軽い痺れがあるため自宅療養することになった 公演は五郎八と寛美が代役にたって続けられたが天外は年内休演

それにともない天外は10月に決まっていた東京歌舞伎座の「上方喜劇顔見世大合同」も休演、曾我迺家十吾、五郎八、寛美、ミヤコ蝶々、南都雄二、かしまし娘、石井均、高田次郎ら約60人の上方喜劇人が上京しての公演だった 出し物は以下の通り 

土井行夫「みなと三文オペラ」茂木草介「恋の周旋屋」館直志「ぼんぼん物語」茂林寺文福・館直志「アットン婆さん」茂林寺文福「愛のお荷物」館直志劇化「海を渡る億万長者」

渋谷天外の病気欠場でピンチに追い込まれた松竹新喜劇が来年1月南座公演からミヤコ蝶々、南都雄二を座員に加え、劇団の強化を図ると発表

松竹新喜劇は昭和41年4月6日付けで藤山寛美を除籍したと発表、寛美が一億数千万もの借金をかかえ一昨年からその貸借を巡ってとかく噂があったことに加え、劇団内部で統制を乱す言動が多かったことなどが理由 4日の兵庫県警の調べでも借金の取立てに対抗するため寛美が暴力団関係者に処置をたのんだことが明るみに出たのが除籍に踏み切らせた

南都雄二 談

問題が問題だけに処分もやむを得なかったと思う しかしこれ程さびしい思いをしたこともない

勝忠男劇団専務

寛美の抜けた穴を早急に埋めることは難しい 全員のチームワークで危機を切り抜けるより仕方がない(昨年以来寛美のスキャンダルが噂されたためTVのスポンサーが彼を敬遠、今では寛美主演のドラマは一本もない)  数年前の彼の最盛期ならともかく現在では彼がいないからと言って劇団が再起できない程の影響はあるまい

4月休演

新喜劇のホープ小島慶四郎 寛美に殉じて退団 このあと寛美と共に東映に拾われヤクザ映画のお笑い場面に多数登場

7月 新橋演舞場は天外、寛美のいない新喜劇 ミヤコ蝶々、南都雄ニがゲスト

7月9日付け朝日新聞

4月初め看板スター藤山寛美を失った劇団松竹新喜劇は関係者の間で立直しを検討していたが7 日劇団専務勝忠男が天外社長に辞表を提出、今月の演舞場公演を最後に年内は劇団活動をやめて解散、来年早々改組、出直す見通しがつよくなった しかし9.1112月は公演を公表しており団体客などの予約が入っている

7月10日付け朝日新聞

松竹大谷竹次郎会長は「松竹新喜劇はこれまで別会社として松竹本社とは切り離されていたが、新橋演舞場の七月公演を最後にこの形を改める 大阪中座での9月公演には松竹直営の劇団としてお目見えするだろう」

7月15日付け朝日新聞

香取伝常務は松竹新喜劇問題で14日渋谷天外と話あった末、次のように発表年内休演の劇団の方針を取り消し9月中座は取り敢えず曾我迺家十吾が特別参加、また新派の金田龍之介、夏目俊二で演技陣を強化する、蝶々、雄二は未定、寛美については松竹から働きかけることはないが寛美自身が身辺を整理したうえで劇団を希望するなら考えてもよい (なお蝶々、雄二はこの月で退団決定) 勝専務も新喜劇に辞表を提出、松竹芸能一本に戻る 曾我迺家五郎八もこの公演で新喜劇を退団

8月公演休演

9月中座公演 曾我迺家十吾と金田龍之介を補強して1日から開演だが客の入りが芳しくなく寛美の復帰を中心とする補強策が改めて急がれている

10月9日 

松竹新喜劇は藤山寛美を11月大阪中座公演から復帰させることを決定

11月  藤山寛美復帰第一回公演

昼の部  どろんこ娘たち/横堀川/親指小指/ハッピとズボン 

夜の部  恋と花束/大阪ぎらい物語/男の湖/城崎みやげ

寛美がいなくなってから公演ごとに赤字続きだった松竹新喜劇が今月は藤山寛美が小島慶四郎と東靖人を引き連れて復帰したトタン連日大入、新派から3ヶ月応援出演を続けている金田龍之介は今月限りで古巣に戻るが新喜劇は勢いに乗って12月も来年の1月も引き続き中座で公演が決定

ところが12月は新歌舞伎座で曾我迺家明蝶、ミヤコ蝶々、南都雄二、石浜裕次郎、中村あやめ、といった新喜劇の脱退組がごっそり出演し ゲストに左幸子、宗方勝己、おまけにプロデューサーは松竹芸能の勝忠男、演出を担当する星四郎も新喜劇文芸部脱退組だ

これに対して新喜劇も天外と花登筺がそれぞれ寛美主演の新作を書く

さて御堂筋を挟んだこの勝負 どちらの勝ちか? 

結果においてはこれ以降の関西の演劇地図が大きく変わる

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


白鷺だより(407) 藤山寛美三十三回忌追善公演

2022-05-08 15:39:18 | 松竹新喜劇

藤山寛美三十三回忌追善喜劇特別公演

 昭和40年代 僕がこの世界に入った時(トップホットシアター)コマ新喜劇の顧問であった香川登志緒先生に「今の新喜劇は勉強にはならへん、観に行くこと相成らぬ」と云われ続けたので中座の招待券が廻ってきても他人に廻して観ることもなく 昼夜の入れ替え時の道頓堀の賑わいに感動したり中座の楽屋口でおすがたをチラっとお見受けすることはあったが、結局生の藤山寛美の舞台は一度も観たこともなかった (勿論後年新喜劇の仕事をする時、ビデオはいやと言う程みたが) そんな僕に松竹新喜劇の演出の仕事が廻ってくるとは露とはおもわなかった 松竹の制作の意図は新生新喜劇になって今までの踏襲ではなく新しい喜劇を目指す旗振りをしろと言うことか 僕としては同じ昭和23年生まれの新喜劇と仲良くやって行けと云われたと思うしかない

昔、香川先生のおっしゃった「今の新喜劇」は新喜劇に復帰した寛美が無休公演を続けている最中だ(現在ビデオで見れる作品がそうだ)

では良い時とは何時なのか 僕が考えるに寛美が「遊ばん芸人は華がなくなる」と多額の借金を抱えながらも遊び倒していた頃が最高だと思える 文芸路線を突っ走る天外の筆も冴え渡り寛美もそれに応えて舞台を努める それが結局寛美の自己破産、解雇で「良き時代」は終焉する

今回の公演は寛美を偲んで彼の得意としていた作品を選んだ 

「愛の設計図」は寛美の石原は彼の好きな役でそれを天外が演じた 中川雅夫の持ち役間役に孫の扇治郎 もう少し人気があれば八十吉の石原を観てみたかった (決して天外が悪いと云う意味ではない)

それにしても新喜劇のメンバーの層の薄さはどうだ 社長(高田次郎)のかっての仕事仲間夫婦が玉太呂と千葉、都築と夢 いくらフケても無理なモノは無理だあと扇治郎の母親の川奈美が辛い 天外の嫁あたりがピッタリの川奈美が可哀相だ この役は酒井光子の持ち役だった 

第二部は映像で「藤山寛美 偲面影」

リクエスト狂言で舞台に向かう寛美を追っかけふ場面で昔の中座の階段が懐かしい 「親バカ子バカ」から「桂春団治」まで当たり狂言を映像で見せる もう少し舞台以外の映像が欲しかった (道頓堀の賑わいとか)

第三部「大阪ぎらい物語」

 おそらく「春団治」の丁稚、「親バカ子バカ!」の路線から出て来た作品 

 久しぶりに中川雅夫の舞台姿を見た セリフが出ないと云う噂を聞いていたので心配していたが まずは無難にこなしていた (まあそんな大きな役ではなかったが) 同じく曾我迺家一二三も久しぶりに見た 昭和57年、曾我迺家を襲名した五人の一人である(*1)   直美派と云われるゲストだけど寛大の元気のなさはどうだ 大工の棟梁の役だけど貫禄も何もない「ちょっとマッテネ」だけだ 米団治はかって中川雅夫が演っていた気の弱い長男役だが思ったより良く演っていた 与一さんは伴心平の演った叔父の役だがもっと悪役を意識した方がいい 最後には全てを許すのだから 伴さんは笑ってばかりいたが改めて上手い役者だったと思う 大津さんの母親役は勝浦千浪、酒井光子のイメージから脱却していたがあまりにも強過ぎる もう少し弱い所を見せて欲しかった

 車夫を辞める条件を提示する場面が長く感じるのは何故だろう 番頭を一本立ちさせる話が一つ多いのだ 畳み掛けて全てオッケーにさせてフッと考える その間のためにも長くてはいけない

 昭和初期、松竹座の隣のファミマがある処が空地になっていてここが人力車の溜まり場になっていた 画家の鍋井克之がここで車夫をしているどこかのボンボンを見たことを書いた文章が原作となった 直美版は女が人力車引きとなること自身が嘘っぽい マッチョな男ばかりの中で女車夫はそれなりに評判となったであろう

殆ど仕事がなかった新喜劇だが今年はこの追善公演がこの後演舞場と南座に決まった それも藤山直美がいなかったら成立しなかった 直美様様だ

次の50回忌はまずないだろう 新喜劇75周年が来年だ

 

(*1) 昭和57年6月10日    曾我迺家襲名 千葉蝶志郎改め曾我迺家福輔 宮地拓也改め曾我迺家玉太郎 藤川八十吉改め曾我迺家八十吉 北義剛改め曾我迺家寛太郎 梓太郎改め曾我迺家一二三

さて今回の三人はどこまでがんばれるか?