白鷺だより

50年近く過ごした演劇界の思い出話をお聞かせします
     吉村正人

白鷺だより(266)映画SIMONE~理想の女優~

2017-09-30 10:37:49 | 映画
シモーヌ S1M0NE~理想の女優~

 映画監督のヴィクター・タランスキー(アル・パチーノ)はかってアカデミー賞にノミネートされたこともある監督だがここしばらくはヒット作もなく現在撮影中の主演女優からも馬鹿にされ 元妻で映画プロデューサーであるエイレンから妥協するように箴言されるが往年のプライドがそれを許さず 挙句の果てには作品を下りられて撮影は中止に追い込まれる そんなおり彼の映画のファンだというプログラマーのハンクが彼の元を訪れる 彼が発明したある方法を使えば理想的な女優を提供できると言い また余命幾ばくもないことを訴えた その迫力に圧倒され逃げ出すタランスキー 後日彼の死の知らせと共に彼の遺品が届けられた それはsimulationONEというバーチャル女優作成プログラムだった

9か月後 「新人女優」S1M0NEを主演にした「サンライズ・サンセット」はタランスキーの不安をよそに大ヒットする マスコミは特に素晴らし美貌と演技力を持つ女優として世間はSIMONEを高く評価し 彼女を追いかけ始める・・・・

「いい作品を作りたい!」と力んでみても金を出すプロデューサー(しかも元嫁)に「映画はビジネスよ!少しは主演女優にゴマでもすりなさい」と言われればどうしょうもなく引き下がるしかない初老の監督役をアルパチーノが好演 

契約を盾にワガママし放題の主演女優 これは演劇の世界でも同じだ
巧くもないのに注文通り出来ない女優 そのくせ文句だけは三人分言い放題
そんな女優に泣かされる演出家は数知れず・・・しかしそんな大女優もいなくなったなあ
注文通り動く(動ける)女優が我々には理想の女優だ

SIMONEは次回作「永遠の彼方」も大ヒット この二作でアカデミー賞を取る及んで人気は大沸騰 昔のSIMONEを良く知る人も現れる 苦肉の策でインタビューだけは許可するが それも映像でのみ 受け答えはタランスキーが全部やななきゃならない
こうなりゃ何人でも一度に騙すべく何万人入りの大スタジアムを借りてホログラフィー映像でコンサートを開くがこれも大成功 
いよいよ手に負えなくなると人気を落とすべく「アイ アム ビッグ」なる彼女を豚にしたてた映画を作るがこれも大絶賛に終わってしまう このあたりは「世界の北野」の映画が何を撮ってもヒットするのに似ている あとは原発賛成や喫煙支持などの発言を繰り返すがこれもいくら悪ぶってもかえって新たな魅力となって人気が出る始末 
最後にタランスキーが取った行動とは・・・・
それはコンピューターにウイルスを持ち込んで彼女を「抹殺」してしまう そして彼女に関するあらゆる資料を海に沈めてしまうことだった
しかしそのことで彼はSIMONE殺しの疑いで逮捕されてしまう・・・が最後は娘の機転でウイルスを見つけ出しSIMONEを復活させてハリウッドらしくハッピーエンド めでたしめでたしで終わる

しかしこれは絵空事であろうか いずれ役者全員がコンピューターで作れるようになるとみんな文句一つ言わず演出通りに動いて 演出家にとってこんな素晴らしいことはない
役者諸君! 生身の演技を鍛えてコンピューターでは出せない魅力を出せるべく頑張ろうじゃないか 
と書いたがその「コンピューターでは出せない魅力」とは何か・・・・よく判らぬ
 
タイトルのSIMONEのIは数字の1 Oは数字の0 
つまり1と0組み合わせで出来ている
アンドリュー・ニコル制作・脚本・監督作品(2002)
シモーヌを演じたのは彼の妻でスーパーモデルのレイチェル・ロバーツである
         
                                            (GYAO配信にて見る)
 

 

白鷺だより(265)ひゃらーり ひゃらりーこ~福田蘭童~

2017-09-24 16:45:41 | 人物
 ひゃらーり ひゃらりーこ~福田蘭童~

 僕が小学校に上がる前の頃 まだどの家庭にもテレビなんてものはなく我が家の夕食前はちゃぶ台の準備をしながらラジオから流れる「新諸国物語」を毎日聞くのが日課だった このラジオドラマは月曜から金曜日 NHKラジオ6時30分から45分まで放送された
児童文学者の北村寿夫が書き下ろした冒険活劇である

新諸国物語第一作「白鳥の騎士」(1952)はあんまり記憶がない(この頃我が家にラジオがあったかどうか)が
翌年からの「笛吹童子」「紅孔雀」を強烈に覚えているのはそのテーマソングのせいだ


新諸国物語 
笛吹童子(1953)北村寿夫 作詞 福田蘭童 作曲 みすず児童合奏団

ひゃらーり ひゃらりーこ
ひゃりーこ ひゃられーろ
誰が吹くのか 不思議な笛だ
ひゃらり ひゃらりーこ
ひゃりこ ひゃられーろ
音も静かに 魔法の笛だ
ひゃらーり ひゃらりーこ
ひゃりーこ ひゃれれーろ
たんたんたんたん
たんたんたんたん
 野こえ山こえ


新諸国物語
紅孔雀(1954)北村寿夫 作詞 福田蘭童 作曲  井口小夜子 歌

まだ見ぬ国に 住むという
紅き翼の 孔雀とり
秘めし願いを 知るという
秘めし宝を 知るという

まだ見ぬ国は 空のはて
青き潮の 海の底
深き眠りに 埋もれて
 今もこの世に ありという

 この二作品はかなり真剣に聞いていて東映で映画化された時も当然のように見に行った
連続物になっていて「主人公あやうし」となって決まって「続く」が出る
「笛吹童子」では萩丸の中村錦之助 菊丸の東千代之介 赤柿玄番の月形龍之介 霧の小次郎の大友柳太郎 「紅孔雀」では那智の小四郎の中村錦之助、網の長者の吉田義夫 浮寝丸の東千代之介 あと大友柳太郎も出ていたな

この作品の後も「新諸国物語」シリーズは「オテナの塔」「七つの誓い」と続くが小学校に上がって生活習慣が変わったのと興味を引く他のものがドンドン出てきて聞かなくなった

ラジオから「サクキタムラヒサオ サッキョクフクタランドー」と聞くたびどんな字を書くのかと考えは及ばずその名前だけが記憶に残った

ずーっと経ってからクレイジーキャッツが出てきて石橋エータローなるタレントがその福田蘭童の子供だと話題になった
 
しかし福田蘭童はそれ以前 違うスキャンダルで有名な人物だった 
まず彼は「海の幸」などの作品で名高い洋画家青木繁と女流洋画家福田たねとの子供だったが二人は婚姻しなかったため福田の子供として彼女の親元で育てられた
そしてその福田蘭童は長じては女癖が悪く映画音楽を手掛けていた関係で知り合った松竹の清純スター川崎弘子を強姦する事件を起こし世間の非難を浴びた 事件の責任を取って彼女と結婚することで示談となった

また釣人としても有名で作家志賀直哉の専属の釣師であり料理人でもあった

東映で撮った片岡千恵蔵 の「大菩薩峠」三部作で流れる尺八は彼の演奏である

白鷺だより(264)クレイジーキャッツ結成10周年コンサート

2017-09-18 20:58:37 | 思い出
クレイジーキャッツ結成十周年コンサート

NHKで植木等のお付きだった小松政夫原作のドラマ「植木等とぼっけもん」が始まった 
いかにもNHKらしく綺麗ごとばかりのドラマ作りで面白くもないがただ植木を演じる山本耕史の歌と演技だけが見ものだけの作品となった

 さて「クレージーキャッツ」と言えば元々音楽ショウが出発でその洗練された音楽テクニックはこの度YouTubeであげられた「クレイジーキャッツ結成10周年コンサート」で見ることが出来る 正直言って驚いた それは僕がトップホットで見ていたセコい音楽ショウ(横山ホット・殿様キングス・ザ・ダーツ・果てはぴんからトリオ)に比べてその規模もテクニックも素晴らしくフルバンドを後ろに置いて演じられ これぞほんまもんの「音楽ショウ」というべきものであった

 記録によるとこのショウは1965年クレイジーキャッツ10周年を記念して催されたコンサートで この時点ではクレイジーは「スーダラ節」大ヒットも「無責任~」映画大ヒットも「紅白」出場も全部制覇した地位にいた

トータル37分弱しかないので それがショウのどのあたりの部分に当たるか判らない
(当然ザ・ピーナッツらナベプロ歌手やゲストも多数参加していたと思う)
だけど「ホンダラ行進曲」で皆総踊りで幕だと思う・・・ということはオーケストラの指揮のシーンがラストだろう 
そしてオープニングはメンバー紹介からだろう

まずはメンバー紹介から始まる ピン抜きで安田伸が浮かび「ハーレムノクターン」のテイナーサックスのソロ演奏をバックに司会者が経歴を読み上げる (以下のメンバーも同じ)演奏の見せ場があり終わる 続いて石橋エータロー、桜井センリの紹介があり二人でピアノ連弾で「トウ・ラヴ・アゲイン」を弾く 犬塚弘が浮かび「ハロー・ドーリー」のベースソロ 見せ場があって終わる 谷啓が浮かびトロンボーンソロで「スターダスト」
続いてギターソロで植木等が「ウナセラディ東京」を演奏 最後にハナ肇が「オールマン・リバー」をドラムソロを聞かせる 最後に明かりが入り全員で演奏、紹介は終わる


ここまで聞いているとその音楽的テクニックは見事でさすがは進駐軍相手に永年聞かせてきた片鱗を見ることが出来る 特にハナのドラムや谷敬のトロンボーンは見事でその演奏だけで充分活躍出来そうだ
誰が編曲、音楽監督か判らないが(荻原哲晶か?)その人の音楽の知識と腕と力がなかったら出来ない仕事だ

二番目のコーナーは「証城寺の狸囃子」だ
全員で狸囃子を演奏しているが途中で笙の笛が入り突然謡曲になる それが終わり最後の堤の音を石橋エータローが口で「ポン」とする 何回か繰り返すうちにハナが膨らませた口に指をツッコミ「ポン」と鳴らす それを何回か繰り返すが最後にエータローは金桶でハナの頭を叩く「ボン!」谷がエータローに怒る「どうしてそんなことしたんだ 言ってごらん」エータロー「(言おうとする)」谷止めて「言い訳するな、だけどどうしてそんなことしたが言ってごらん」「(言おうとする)」「言い訳するな だけど・・・」繰り返す
最後は全員でジャズアレンジで「狸囃子」安田ロカビリーぽく曲弾き 紙テープが舞う
ラスト ハナドラムソロ決まってドラム台のけ込みや舞台を叩きながら進み 最後はスタンドマイクの下から最上部まで叩き終わり 高笑い 暗転


収録された映像では最後のコーナー 
オーケストラの前に指揮者の植木等「剣の舞」を華麗に指揮する
弦楽四重奏の四人(谷、犬塚、石橋、桜井)が椅子と楽器を持ってスタンバイ
(モーツァルトの「セレナーデ」)
演奏が始まり谷の演奏を犬塚の弦が邪魔をするので谷椅子と楽器を持って移動する
犬塚も移動すると又邪魔をされるので移動する やっといい位置が決まって弾こうとすると曲が終わってしまう 四人揃って一礼
谷、植木に怒る 指揮者合戦 常に谷が勝つ 軍艦マーチ 最後にハナ大きなコントラバスホルンを持って出て 決まりで小さく「ピー」と吹く
ボリショイコーラス団風のメンバーが居並ぶ 「ボルガの舟唄」
「エイコーラ~」植木「おとっちゃんの為なら」「エイコーラ」「おっかちゃんの為なら」「エイコーラ」「もひとつおまけに」「エイコーラ」植木気付いて「およびでない こらまた失礼しました」
 世界一のティンパニー奏者(ハナ)が出る 実は中風で腕が絶えず動くため助手がステッキで調節している 最後にティンパニーを片づける助手の肩を叩きながら入る
おもむろに「白鳥の湖」が流れエータロー、センリがモンテカルロバレー団よろしく華麗に踊る 変奏曲になり最後ジャーンと決まる 植木調子に乗って何度も「ジャーン」
そこから谷のソロで「図々しい奴」の主題歌を歌う
全員揃って「ホンダラ行進曲」ゲスト・ダンサー出て一緒に踊り歌っている中で幕
 


 そういえばこの頃のクレイジーキャッツのマネージャーは後に藤田まことのマネージャーになったSさんだ 
お元気なら詳しく聞いてみよう 



白鷺だより(263)「明日の幸福」解題

2017-09-15 16:11:56 | 日本香堂
 
     「明日の幸福」解題

 色々ないきさつがあったが来年の日本香堂観劇会の出し物は「明日の幸福」に決まった
八重子十種にも選ばれた劇団新派の名作中の名作が満を持して登場する 
そう言えば新派は来年130周年を迎えるのでおめでたい企画だと言える

八重子十種とは初代八重子の舞台生活60年を記念して本人が選定した10作品で「大尉の娘」「風流深川唄」「滝の白糸」「花の生涯」「十三夜」「皇女和の宮」「鹿鳴館」「明治の雪」「寺田屋お登勢」とこの「明日の幸福」の10作である

新派のHPにのっている「明日の幸福」の紹介文と「あらすじ」は以下の通り

「明日の幸福」

戦禍の様相漸く癒えた昭和29年の新派の舞台に新しいホームドラマとして登場したのがこの作品である 
中野実の巧みな人物配置が好評を博し 当年の毎日新聞劇作賞に選ばれ 新派自体も芸術祭団体賞を受けた

あらすじ
昭和30年頃のこと 経済同友会の理事長を務める松崎寿一郎の家はその妻淑子と息子寿敏と妻恵子 孫の寿雄と富美子の三組の夫婦が同居する家である 寿一郎は当時の家族がらしく一家の権力者として君臨していた ある日寿一郎が国務大臣に決まりそうだと知らせがくる 寿一郎は推薦してくれた政治家に家宝の埴輪を贈ろうとするが妻淑子が大反対する その反対を押し切り蔵から出させるが結局大臣の話は雲行きが怪しくなり埴輪を恵子が仕舞うことになる が、そのとき落として脚を壊してしまう 
それから一か月後 寿敏のもとに考古学者が埴輪を見たがっているとの連絡があり 恵子はすべてを打ち明ける決心をするが途中でケガをしたとの連絡が入り告白する機会を失ってしまう 恵子のかわりに今度は富美子が埴輪を仕舞うが突然帰って来た寿雄に驚いて箱を落としてしまった・・・・ 

(以下ネタばれ)
ある日ついに埴輪の件が寿一郎の知るところとなる 自分が割ったと思い込み富美子は正直に告白し それを庇う寿雄の姿を見て恵子は自分が割ったと名乗り出る その時淑子が泣きながら自分が割ったと告白する 埴輪を割ったことを告白出来ない家庭環境の中でどれだけつらい毎日を送って来たかと思い 恵子は家族の明日の幸せのため埴輪を叩き壊す
そこへ寿一郎が本当に大臣になったと新聞記者が押し寄せる 女たちは高らかに笑うのであった


初演は昭和29年11月明治座の「秋の新派祭」
藤田洋の劇評を集めた「明治座評判記」での当該の記事は次の通り

「明日の幸福」は各紙絶賛された 早速翌月の演舞場にロングしたのだから この初演は大成功だったといっていい 
今も新派の財産演目にもなっている作で 秘蔵の古代の馬の埴輪がブリッジになって財界の大物の祖父(小堀誠)と祖母(花柳章太郎)、家庭裁判所の所長の息子夫妻(伊志井寛・水谷八重子)、その新婚の息子夫婦(花柳武始・若水美子)の三代の夫婦が広い邸宅に一緒に住んでいる 三人の女が埴輪を壊したのはてんでに自分だと思って修理しょうとする sのおかしさを笑劇に堕とさずに微笑ましく描き 最後まで客をハラハラさせながら興味をもたせていく構成は心憎いほど巧妙 最後に家庭裁判所の離婚問題は若夫婦の愛情が姑のワガママに勝って解決し 所長の家庭も祖父の念願の大臣就任が決まり家族一同の朗らかな笑いのうちに幕で万事めでたしだが 作者自身の演出も隅々まで神経が行き届き とかく誇張しがちな役者の演技を適度に押さえて舞台に良きアンサンブルを見せるというぐあい 安藤評は「商業演劇における今年の芸術祭参加の賞はこの作品に決定したと思われる」という援護ぶりだったが 実際「明日の幸福」関係者一同が芸術祭奨励賞を受賞した





白鷺だより(262)役者の品格~森川信~

2017-09-13 15:21:48 | 人物
役者の品格~森川信~

うむ

森川信は誰にでもチンチンを自慢げに見せるのが趣味だった 江利チエミも清川虹子もしょっちゅう見せられたらしい 世界のマーロン・ブランドのチンチンも希代の遊び人伴淳三郎のチンチンも散々見て来た清川虹子が「立派な」一物と褒めるのだからそれは立派なものに違いない それに彼は何もしないでそれを勃起させる術を知っていて気が向いたら立てて舞台に出たこともあったらしい さすがは戦時中地方公演にいって(福岡)その町にあった某百貨店のデパート孃全員を何とか姉妹にさせたという伝説の持ち主だ

「女に金なんか使うな。女に金を使ってもらっての一流だ」


なんだ品格ではなくチン格の話かという方もいると思うがこれは前説である

ズーッっとコマで「サザエさん」を演ってきたチエミが売り出し中の花登筐と組んでの「昔の恋の物語・お染久松」「昔の恋の物語・八百屋お七」に次いでの第三弾「昔の恋の物語・じゃがたらお春」を昭和44年11月新宿コマに次いで翌45年梅田コマで再演した時のこと

舞台途中で森川信が「嫁が危篤だ」と無断で東京に帰ってしまう事件が起こる
共演者でゲストだった中村嘉葎雄は「ヤッパリ浅草出身の役者には品格がねえ」と怒ってしまい 落ち目とは言え「役者の道を志したからは例え親の死に目にも女房子供の死に目にも会えないのは当たり前」の梨園の御曹司に言われては仕方がない チエミは奥さんが亡くなっても泣き通し戻って来ようともしない森川を一座から「首」にする 「サザエさん」の「浪平」役からずーっと一緒だった森川をである 
以後浪平の代役は佐山俊二が務めることになる

この事件について清川虹子はその著作「みんな死んじゃった」でこう書いている

 奥さん危篤の電報を持って帰りかける森川に「もっちゃん 気持ちは判るけど明日の朝まで待って 代役を立てて帰れるようにするから」と説得したときは頷いて納得したんです ところが家に電話しながらワァワァ泣いていると思ったら 皆が止めるのも聞かずそのまま帰ってしまったのです ・・・森川さんは何日たっても帰ってきません 奥さんが亡くなってからも そのまま泣いてばかりで とうとう私たちの舞台には復帰しませんでした 戦前には大阪で森川信一座の座長として活躍していた人ですし 舞台に穴を空けることがどういうことなのか本人が一番知ってるはずなのに帰ってこなかったのです
よっぽど奥さんの事を愛してたんでしょうね  でもそれからは二度とチエミとの共演はなくなりました
(中略)森川さんが突然血を吐いて倒れたのは大船の撮影所で「フーテンの寅さん」の撮影をしている最中です あの人は「寅さん」のおいちゃん役を演じていましたからね
自分では心臓が悪いと思っていたのに死因は消化管出血でした 倒れると同時に昏睡状態におちいり そのまま亡くなったんです 
寅さん一家に見送られながら
亡くなる前に私は病院に駆け付け「もっちゃん、もっちゃん!」と叫びました
そしたらその声にかすかに反応したようも見えました 私の声は大きいですからね
でもそれっきりでした あとで森川のお母さんも「もう一度チエミさんとださせたかった」と何度もおっしゃっていました 実はチエミも亡くなる一か月前くらいに「もういいよね
今度森川さんと一緒に仕事しようよ」そう言っていました その矢先の死でした 残念でなりません

 森川はそれ以降MR新コマの異名の如くチエミ公演は外れても46年2月恒例喜劇人まつり「ずっこけ悪党伝」で主役 8月「だましだまされ物語」で主役 12月年忘れ喜劇公演「旅姿・花の東海道」で主役を張りこれが新コマ最後の作品となった

一方チエミは45年花登筐「喜劇 恋と私と焼き芋と」46年「白虎の恋」47年「恋くるま」の公演を終え次の企画はかって森川が推薦した「春香伝」で森川復帰を考えていたが彼の死で果たせなかった

「昭和48年新宿コマで「春香伝」が上演された チエミさんの公演にはなくてはならなかった森川さんが生前勧めてくれた題材を彼の一周忌のあたる3月に稽古が始まった」 

森川は「男はつらいよ」フーテンの寅シリーズのおいちゃん役を1969年から亡くなる1972年3月まで計8本出演した

清川虹子曰く「とにかく情のある人で 人の芝居の邪魔をしない 自分の出るべき場所は心得ているほんとうにいい」役者さんでした