白鷺だより

50年近く過ごした演劇界の思い出話をお聞かせします
     吉村正人

白鷺だより(258)劇団喜劇座連名 追加資料

2017-08-30 12:47:16 | 演劇資料
資料 劇団喜劇座 連名

昭和39年京都旗上げ公演 南座

芦屋雁之助
芦屋小雁
 0
伊東亮英
渋谷辰夫
乃木年雄
福田一夫
芦屋雁平

沢淑子
白妙公子
難波章子
 0
夢路いとし(特別出演)
喜味こいし(特別出演)
 0
段中南江
嵐冠十郎
萬里弥生

西山嘉孝
不破潤
楓美千代
荒木雅子
柳原久仁夫
双葉弘子
谷口 完
 0
谷幹一(特別出演)

となっている

僕らが良く知っている芦屋凡々 西川太市 三好正夫、前川美智子はまだ入っていない

白鷺だより(257)「劇団喜劇座」全記録 補遺

2017-08-29 10:00:53 | 演劇資料
劇団喜劇座全記録 補遺(南座)

 病気する前のことであるから何年前だろう 国立文楽劇場の前にあった(今はもうない)演劇専門の古本屋で劇団喜劇座の全作品のパンフレットを見つけた 帰って詳しく見て見ると ところどころに書き込みがあり、そこから判断すると少し前に亡くなったデイリースポーツ(?)の演劇担当だった土手善夫さんが出所だと判った おそらく暇になったら喜劇座のことをまとめようと考えまとめて残しておいたものと考えられる しかし残された遺族にとっては邪魔になる二束三文の代物で古本屋行となったと容易に想像出来る 
しかし僕も持ち前のさぼり癖でゆっくり整理しようと考えていたので段ボールに詰めて家に置いておいた 事情があってしばらくその家には帰らなくなって時間がたった その間息子が結婚して家に置いてあったものすべてを処分され小綺麗な新婚所帯となった(嫁の父親がやってくれたらしい) その後外で病気で倒れ 長く入院したあと家に帰ると綺麗に片づけられ演劇に関する台本・資料など何にもなかった

「劇団喜劇座」のことは気にはなっていてパンフレット類は芦屋雁平さんが全部もっているとの情報を得てまとめる気になったら借りに行こうと思っていた矢先雁平さんが亡くなったとの知らせ(ブログ19思い出カバン 参照)
  諦めていた矢先 沢田隆治さんが「私説・大阪テレビコメディ史」を出され その巻末にパンフレットを整理した雁之助の詳しい年譜を載せてくれたお陰で「劇団喜劇座全記録」をまとめることが出来た

ここまでの文章はブログ(256)の前文として載せるべきものだった

ここに「昭和の南座・資料編上中下」という資料がある これによってさらに詳しく補綴してみよう 
こと南座だけの資料ではあるが 雁之助の生まれ故郷京都ということも鑑みて・・


昭和39年京都新聞の記事
7・26 
芦屋雁之助らで作っていた「劇団笑いの王国」が解散、9月から雁之助・小雁を中心に「劇団喜劇座」を発足 第1回公演は9月中座


昭和39年 10月14日初日 10月25日千穐楽 
「劇団喜劇座」京都旗挙げ公演
昼の部11時30分開演 夜の部4時30分開演


 尼子成夫作・演出 大塚克三装置 楽譜工房グループ音楽
第一「ちんぴらの唄」一場(やくざの親分金八の家)
金平(芦屋雁平)ネシヤの権(渋谷辰夫)町長(乃木年雄)阿保六(福田一雄)
緋牡丹お竜(沢淑子)お仙(白妙公子)京子(難波章子)

 茂木草介作・演出 大塚克三装置 奥村貢音楽
第二「歩兵(ひょこ)」
四場(名人駒八の家 和歌山城内公園 徳之本英五郎の邸 紀勢本線切通し付近)
駒造り柿本八五郎(芦屋雁之助)妻おすが(荒木雅子)息子竜太(芦屋雁平)娘光子(段中南恵)徳之本英五郎(芦屋小雁)木村八段(谷幹一)

 藤本義一作 山本禎男演出 大塚克三装置 楽譜工房グループ音楽
第三「トーチカの五人」二場(満州北本営付近のトーチカ内 南地料亭「吉梅」の座敷)
秋山通信兵(芦屋雁之助)玉本伍長(谷幹一)市村一等兵(夢路いとし)平川二等兵(喜味こいし)植松二等兵(小雁)妻篤子(双葉弘子)

 中山十戎作 板谷真紀装置 奥村貢・楽譜工房グループ音楽
第四 まげもの喜劇「雁四郎一番手柄」
 8景(秋月城外の土塀・城中のギロチン部屋・城内の広場・祇園町・祇園の座敷・
清水寺の前 等が交錯して劇が進行)
松平雁四郎(雁之助)鼠小僧チョロ吉(小雁)目明しいと吉(いとし)与力恋之進(こいし)大原九郎兵衛(谷口完)甚内(西山嘉孝)子分平太(雁平)若殿色吉郎(谷幹一)

   観劇料 一等600円 二等400円 三等300円

昭和40年11月1日初日 11月24日千穐楽
劇団結成一周年記念「喜劇座」11月公演
昼の部 11時30分開演(13日より夜の部)

 一堺漁人作 尼子成夫脚色・演出 大塚克三装置 加納光記音楽
第一「花嫁修業中」二場
 おかよ(雁之助)宗兵衛(佐山俊二)健太郎(小雁)

 藤本義一作 山本禎男演出 大塚克三装置 加納光記音楽
第二「雨のひまわり」三場
柿沢松種(雁之助)中川(小雁)可奈子(三原葉子)林(雁平)三津子(桃山みつる)
矢野(由利徹)

 和田五雄作演出 大塚克三装置 加納光記音楽
第三 人情喜劇「江戸っ子駕籠や」五場
権三(由利徹)助中(佐山俊二)勘太郎(小雁)小菊(三原葉子)あんま徳市(雁平)
大岡越前守(雁之助)

夜の部4時30分開演(13日より昼の部)

 中山十戎作・演出 大塚克三装置 加納光記音楽
第一 「俺は名人」四場
茶店の婆さん(由利徹)水戸黄門(佐山俊二)助さん(雁平)格さん(秋葉浩介)
金兵衛(伊東亮英)

 茂木草介作・演出 大塚克三装置 加納光記音楽
第二 「雪山讃歌」四場
医師道朗(雁之助)竹山(小雁)節子(花園ひろみ)まり子(三原葉子)
東本三郎(秋葉浩介)

 司馬遼太郎原作 土井行夫脚色 永六輔演出 大塚克三装置 加納光記音楽
第三 「大阪侍」五場
奴留場佐平次(雁之助)番頭長吉(小雁)お妙(花園ひろみ)おきく(三原葉子)
主税(由利徹)与七(佐山俊二)

劇評 京都新聞 11月16日
「大阪侍」の雁之助は適役で肩がこらずに楽しめた 時代は江戸末期でもキャラクターは現代人と相通じるものがあるところが客席の共感を呼んだようだ 融通のきかない田舎侍(由利徹)を相手にワイロや色仕掛けで敵討ちを諦めさせるあたり 侍でありながら大阪町人の根性を身に着けた雁之助の佐平次はたくましいバイタリティーを彷彿させてくれた
(司馬遼太郎の初期の短編「難波村の仇討」を脚色したもの)

 一等650円 二等400円 三等300円

昭和41年9月2日初日 9月26日千穐楽
劇団結成二周年記念「劇団喜劇座」九月公演
昼の部11時30分開演 (13日より夜の部)


 土井行夫作・演出
第一 「女座長と大根役者」四場
さくら(楠木トシエ)団九郎(伊東亮英)長二郎(秋葉浩介)芳之助(中村歌之助)
高岡(淀川紘平)太田(乃木年雄)
 
 茂木草介作・演出
第二 「踏切の目」六場
村木重兵衛(雁之助)下田課長(小雁)しげの(楠木トシエ)梶(雁平)
梶山みつこ(桃山みつる)北川係長(伊東亮英)

榎本健一原案・監修 島崎健二脚本・演出
第三 「坂本竜馬」六景
坂本竜馬・講釈師(榎本健一)近藤勇(雁之助)桂小五郎(南利明)月形半平太(小雁)
土方歳三(淀川紘平)大工留吉(雁平)お竜(桃山みつる)山岡鉄舟(乃木年雄)

夜の部 4時30分開演(13日より昼の部)
 中山十戒作 田村竜三演出 
第一「ドンゴな子」三場
次郎(小雁)国一(雁平)三重子(桃山みつる)善造(伊東亮英)よね(白妙公子)
国一の母(藤波章子)金山(雁之助)

 藤本義一作・演出 山本禎男演出
第二 怪談「落鮎物語」五場
岡田以蔵(雁之助)利一郎(小雁)お鶴(楠トシエ)律(桃山みつる)吾作(雁平)
五代秀造(南利明)

 榎本健一原案・監修 尼子成夫脚本・演出
第三 「孫悟空」八景
孫悟空(榎本健一)八戎(雁之助)沙悟浄(南利明)三蔵法師(雁平)牛魔王(小雁)

「孫悟空」は昭和初期に浅草にて初演 当時爆発的な人気を呼んだエノケンの出世作
往年のように飛んだり跳ねたりとシーンは見られないが序幕では三蔵法師が乗った馬を
ひいて南座の長い花道を引っ込み ファンを驚かせた

一等750円 二等 440円 三等 330円

白鷺だより(256)劇団喜劇座全記録

2017-08-27 07:47:44 | 演劇資料
喜劇座公演全記録

39年 8月  芦屋雁之助(33)・小雁(31)で「劇団喜劇座」を結成
若き役者諸君!! この座長・副座長の年齢を見ろ あんたたちと変わらないではないか
 「洒落たギャグ スマートなドタバタ ちょっぴりホロリ ほろ苦い喜劇です!」

1、39年 9月 中座 第一回公演
  
「歩兵(ひょこ)」「江戸っ子長兵衛」「珍説石川五右衛門」
 由利徹 佐山俊二 芦屋雁之助 小雁 イーデス・ハンスン
2、39年 10月 南座劇団旗揚げ公演        
     「歩兵」「トーチカの五人」「雁四郎一番手柄」
     谷幹一 いとし・こいし 雁之助 小雁 雁平
3、39年12月 朝日座 劇団喜劇座公演
      「よじょう」「なべ」
     茶川一郎 三原葉子 雁之助 小雁
40年 1月 朝日座  松竹家庭劇新春特別公演に特別参加
     「大正旅館」「浪花三悪人」「どこがちがうねん」
   曾我廼家十吾 石井均 高田次郎 雁之助 小雁 雁平
4、40年 3月 中座 喜劇座公演 
「腹一文字」「釜ヶ崎」「おばあちゃん」「泥棒と若殿」「遠い海」「次郎長三国志」
     谷幹一 森川信 雁之助 小雁 雁平 花園ひろみ
5、40年 6月 朝日座 喜劇座公演 
    「切株の花」「おんばはん」「風流仇討はなし」
     いとし・こいし 東千代之介 伊東亮英
6、40年 9月 中座 喜劇座公演
「謎の美人屋敷」「風鈴」「坊ちゃん」「弥次喜多道中記」「ちゃん」
古今亭志ん朝 茶川一郎 谷幹一 芦屋雁之助 小雁

この月南座で天外倒れる テコ入れとしてミヤコ蝶々・南都雄二が加入

7、40年 11月 南座 劇団結成一周年記念公演
「花嫁修業中」「雨のひまわり」「人情喜劇江戸っ子駕籠屋」「雪山讃歌」「大阪侍」
  佐山俊二 由利徹 花園ひろみ 雁之助 小雁
41年 1月 朝日座 松竹家庭劇に特別参加
   「閣下」「アットン婆さん」
   曾我廼家十吾 明蝶 高田次郎 石井均
8、41年 3月 南座 喜劇座公演
「真説けちんぼ侍」「とんびと鷹」「裸の大将」「夢で歌えば」
 雁之助 小雁 雁平 高石かつえ 石井均 秋葉浩介

4月松竹新喜劇 藤山寛美を除籍

41年7月 大劇 劇団喜劇座日本歌劇団爆笑合同公演
 「明治100年史」「喜劇 吸血銅鑼Q寺院」
9、41年 9月 南座  劇団結成二周年記念公演
「女座長と大根役者」「踏切の目」「坂本竜馬」「どんごな子」「落鮎物語」「孫悟空」
榎本健一 楠木トシエ 南利明 伊東亮英 芦屋小雁

以降劇団単独公演はなくなる 

41年 10月 朝日座 喜劇特別公演
「秋なすび」「がむしゃら教室」
かしまし娘 高橋元太郎
42年 11月 朝日座 錦秋喜劇特別公演
   「ねずみっ子」「秋の花火」「けちんぼ夫婦」
阿井美千子 松山容子 伊東亮英 芦屋雁之助 小雁

そして・・・・
44年7月31日 解散

(おまけ)44年8月 中座 白木みのるが吉本を辞め松竹初座長公演
前狂言「どっこい想話」の脚本・演出 芦屋雁平 本間千代子

劇団公演9回

作者 茂木草介 藤本義一 土井行夫 尼子成夫 中山十戎(雁之助)谷口守男ら
詳しくはブログ(48)劇団喜劇座台本一覧を参照してください


追記 なお吉村はこれらの作品は一度も見ていない
ただ後年「どんごな子」は舞台監督でも付いたし時代劇に変えて演出もした
「なべ」は「どっちやねん」「トンビと鷹」などとタイトルを変えて何度も上演
挙句の果てには僕は「火の大輪」と変えて上演した


白鷺だより(255)芦屋雁之助年表

2017-08-25 09:10:48 | 演劇資料
  芦屋雁之助年表

かねて芦屋凡々から聞いていた沢田隆治さんが雁之助のことを書いているとの話がようやく出版(筑摩書房・私説 大阪テレビコメディ史)されたので早速読ましてもらった 
面白かった 詳しくは別のブログに書くとしてこの巻末に非常に詳しく雁之助の年表が載っていたのでその中から興味のある部分又僕と関係ある部分を抜き出してみる
 
昭和6年 京都友禅染屋の父西部義正の4男として生まれる 清と名付けられる なお5男は秀郎(後の小雁6男は重一(雁平)
      音楽好きだった父たちと共に巡業の日々
昭和30年 漫才・芦乃家雁之助・小雁としてデビュー
昭和31年 OSミュージックホールにコメディアンとして出る 花登と出会う
     この時芦屋雁之助・小雁を名乗る
昭和33年 OSミュージックホール3月「雨情・春情・無情」
      構成演出森繁久彌(この二人が初めて出会った)

昭和34年「笑いの王国」結成を経て昭和41年「喜劇座」解散まで松竹 そのあと大宝芸能所属
以降僕と関係ありそうな記事を抜き書きする 
こんな公演もやっていた
昭和45年2月トップホットシアター
    上席 コマ新喜劇「インド大魔術」「どんごな子」
    中席 コマ新喜劇「殺陣」「なべ」
    下席 コマ新喜劇「春0番」
昭和49年5月中日劇場「どんごな子」「花のお江戸の悪太郎」
         小雁 有島一郎 立原博

この公演は前年トップホットに入った僕の舞台監督として商業演劇初舞台であった
雁之助は大宝芸能の大先輩であった 不愛想で貸し切り公演などは巻きたおし通常公演の半分近くの時間になった 又顔の真ん中におマンコマークを書いて共演の女優を笑わしていたが 事務所の先輩でもありポット出の舞台監督では注意も出来ないほど貫禄があった
そういうとき兄に代わって謝ってくれたのが小雁さんであった

昭和50年11月森繁久彌特別公演「にっぽんサーカス物語・道化師の唄」
     浜畑賢吉 中尾ミエ あがた盛魚

舞台稽古のとき転換中呼び込み台に座っていた雁之助にサーカスのテントの張りものが当たり雁之助は台から落ちた 森繁が飛んできて「支配人を呼べ」といったので僕がO支配人を呼んだらこぶしで殴って「おまえらはこの大阪の名優を殺す気か」と言った
その時まで我々は雁之助をそんな風には見てなかったので驚いた
この後雁之助は森繁公演のレギュラーとなる
昭和54年芸術座「おもろい女」森光子 赤木春恵 米倉斉加年
この公演はこの年の芸術祭大賞を受賞

たまたま東京にいて初演を見た 雁之助はいつもの出しゃばりは捨てグッと抑えた演技で森光子を盛り立てていた これは彼の代表作となると思ったので制作のNさんに相談するとOKが出た 交渉したが何故か大阪公演は成立しなかった 吉本への遠慮があったのかと推察される
昭和55年8月 名鉄ホール「子は鎹」ミヤコ蝶々
この公演中泊まっていた都ホテルに出向き12月公演の打ち合わせ

大宝の雁之助のマネージャーHさんより頼まれ先輩作家Y先生の代わりに脚本を書くことに

昭和55年12月 梅田コマ「放浪の天才」「むちゃくちゃでござります物語」
    花紀京 長谷川季子 曾我廼家五郎八 茶川一郎

別の仕事が入っていた(御園座)ためスタッフとして参加できず
雁之助のアチャコは良かった この年の大阪府民劇場奨励賞を受賞した

このあとしばらく東宝作品の出演が多くなり疎遠になる
雁之助、東宝の演出家Iとのコンビ作品が増える
平成10年 4月中座 芦屋雁之助特別公演「どっちやねん」「人生のぬくもりを歌う」
      高田美和 芦屋雁平 泉ひろし 石浜裕次郎

 オカマ役の石浜さんが貝殻に入った紅をつけて「これうちの母が持っていた紅なの」とさして「どう綺麗でしょう」とニッコリ笑った 
一年後市立博物館で「大坂の旧家のひな祭りの飾り」展で石浜家のそれが出品されそこにその紅があった
平成10年8月 南座 「かしまし娘・芦屋三兄弟特別公演・樽為一代・なにわ三姉妹」
「なにわ三姉妹」は僕の脚色・演出(原作は川口松太郎の「銀座三姉妹」

 さほど面白くもないこの作品に雁之助さんは黙って参加してくれた
平成13年3月名鉄ホール「忠治?と呼ばれた男・比の大輪
 稽古前に雁之助さんが倒れ脚本もないまま代役に渋谷天外を迎え公演した
「忠治?・・・・」は僕が打ち合わせをした時の記憶をもとに脚本をでっち上げ天外主役で無理やりでっち上げた
「火の大輪」はかってやった「どっちやねん」を僕が脚色・演出した
平成15年名鉄ホール「とんてんかん とんちんかん」「春爛漫夢燦燦」(都若丸)
 お婆ちゃん役で頑張っていたが初日から五日後に倒れ急遽花紀京に代役をお願いした
 実質的に雁之助の最後の舞台になった
(尚代役を引き受けてくれた花紀京は前年まで難病で植物人間であったが奇跡的に回復 年末の紅白で吉本芸人たちと「明日があるさ」を
 歌っているのを見ていつかお願いしようと思っていた 千穐楽には「自身がなかったが何とか出来た ありがとう」と言っていただいたが
このあとすぐ倒れ帰らぬ人となった 花紀京にとっても最後の舞台となった)

平成16年4月名鉄ホール 雁之助作吉村脚色「どんごな子・蕎麦屋の巻」「ショウ」
 舞台稽古の最中に雁之助の訃報が入る(鬱血性心不全9 通し終了後全員で黙とう
 
これを機に 今まで中途半端だった「喜劇座」の資料も整理してみよう


白鷺だより(254)人形町ホテル「吉兆」

2017-08-23 18:16:28 | 思い出
    人形町 ホテル「吉兆」

 この前(去年)中日劇場の仕事をしたとき 東京稽古の宿泊は日本橋の「S」だった
身体が不自由で付き添いの必要な身にとっては贅沢はいえないがこの「S」は明治座の仕事の時は下っ端のスタッフか仕出しの役者の指定ホテルで我々スタッフと制作陣はもう少し明治座寄りの「ホテル吉兆」だった 
このホテルは2008年12月まで営業していたが今はマンションに変わっていてもうない 
この前近所を歩いてみたがあまりにも変貌していて悲しかった
いつか偉い先生になったら行ってみようと思っていた二階の「割烹吉兆」も行けず終いになってしまった 行けるときに行っとくべきだ
丁度吉兆「ささやき女将」事件が話題になり同系列と思われたのが痛かった(あの偽装事件の吉兆とは違うはず)
一階フロント横には喫茶店「常瑠樹」ジョルジュがあった
まだコンビニ等ない時代で買い置きなど出来ない我々の朝食はもっぱらここだった

このホテルのいいところは5階に小さな図書館があることだ 
主人の趣味だろうか中々粒ぞろいの本がならんでいて部屋に持って帰って読んだ 江戸落語のCDも揃っていた 
その上嬉しいことに各部屋にはVHSの再生機がありソフトはフロントで貸してもらえたから大いに利用して名作ものを片っ端からみた 
明治座の制作に頼んで過去の舞台のビデオを貸してもらってよく見たものだ 
明治座の藤田まこと公演の時(僕はショウの演出だった)なぞ我々が吉兆に泊まっていることを知った音楽の加納音楽事務所のMさんが段ボール一杯の加納先生の膨大なコレクションからコピーしたエロビデオを大量に送ってもらったこともある 
僕は初日が開いて落ち着いたら帰る運命で延々こんないいホテルに一か月いる制作者を羨ましく思ったものだ
(最近花登関係の本を読んでいたらこのMさんのことが出てきて花登らが劇団「笑いの王国」を作った時の松竹の経理部長で後に加納光記の会社の責任者となるとある)

この吉兆には別の思い出もある
翌年娘が自由学園を受験した時二人で明治座制作にお願いしてこの「吉兆」に泊まった
その日は大雪で朝早く明治座の前を通ると「吉村さーん」と呼ぶ声がする 
その前年からレギュラーでやるようになった「日本香堂」のスタッフSさんで丁度明治座の貸し切りで客入れの準備していたのと偶然出くわしたのだ

各国のホテルに詳しい人によるとこの「吉兆」はマンハッタンにある小さなホテルに共通する雰囲気を持っているらしく その大手ホテルチェーンにはないオーナーの客に対する心遣いがそのまま出た、こんないいホテルはもう出て来そうもないという