白鷺だより

50年近く過ごした演劇界の思い出話をお聞かせします
     吉村正人

白鷺だより (347) 「華の太夫道中」(太夫さん)について

2019-02-24 14:56:08 | 観劇
「華の太夫道中」(「太夫さん」)について



日本香堂の会長さんは年の殆どを海外を飛び回り日本で捕まえるのは難しい方であるが自社の貸切公演の前日ならいらっしゃるだろうと聞いてみたら 果たして捕まえることが出来打ち合わせが出来た 翌日お客として招待された新橋演舞場の貸切公演を見せて貰った
今回の演舞場は「競春名作喜劇公演」と銘打って新派は「太夫さん」を藤原紀香をゲストに入れての「華の太夫道中」、新喜劇は「船場の子守歌」を水谷八重子がおばあちゃん役としてゲスト出演の「おばあちゃんの子守歌」と題した二本の競演だ

頂いた番付を見て見てみると大場さんの演出の言葉として昭和54年の思い出話を載せている
新派のベテラン成田菊雄さんの「ちょっといい話」だ
この時のことを作者北條先生(この後天皇と呼ばせて戴く)は次のように書いている
新派が130年も続いた年輪が垣間見られるので長いが引用する

水谷八重子が死ぬ半年前 急に「太夫さん」の女将を演ってみようと言い出し 周囲の人間はエッとびっくりした が誰しもそれは見たいから またもや御意の変わらぬ内にと座員揃って早大の演劇博物館へ初演の時のビデオを見学に出掛けた 初役の隠居を演る柳永二郎も一緒に出掛けたが 出る役者、出る役者がみんな故人なので溜息の吐っきぱなしだ
隠居善助の大矢市次郎 仲居頭お初の英太郎 幇間米七の伊志井寛 ご飯焚きの瀬戸英一 花柳喜章の青年社長とその支配人の伊井友三郎 
玉のように磨き抜かれた芸の持ち主が全部もうとうにこの世に居ない 試写が終わった後 誰もすぐには座を立てず 柳さんが
「みんな死んでしまいやがった・・・」と呟き「いやァねぇ」と八重子さんが和した
その舞台稽古の途中で倒れ病院の人になり とうとうあの世の悪童漣に呼ばれてしまった
そして間もなく柳さんも「死んでしまいやがった」 
俳優だけじゃなく舞台装置の伊藤熹朔も逝き 照明の篠木佐夫も逝った 生きているのは作者だけだ
    (「演劇太平記」より)

この文章に花柳章太郎と京塚昌子を加えると その豪華すぎるメンバーが綺羅星の如くひしめき輝く 

最近ではすっかり「おえい」役を我が物にしている波野久理子の名演技は相手役に迎えた文童の抑えた演技によって益々輝いていた

さて噂の藤原紀香の喜美太夫はどう見ても福知山の山出しとは見えず ましてはちょっと頭が足りない女にも見えず ただただ男を言葉を信じる純粋な女でしかない
初演は京塚昌子に当て込んで書いたと思われるこの役は鶴蝶、翠扇 良重 藤山直美に引き継がれた

この紀香の芝居を観ていて昔日本香堂でやった同じ作者の「片恋」を思い出した
田舎出で自分に自信がなく 好きな男にも打ち明けることも出来ない女中のお初はベテラン女中(千草秀子の名演技・そういえば千草さんは新喜劇の芝居でナレーションで声の出演してらっしゃた)の早とちりと勘違いで思い人の手紙を受け取る 祇園祭の日の逢引の誘いでお初は喜ぶ・・・この役は誰の目から見ても男から恋文なぞもらえない女が恋文を貰って舞い上がる面白さを見せる
もともとこの役は市川紅梅さんを当て込んだ作品で 映画化されたときは中村メイコだった 
この役にはゲストのYさんに配役された 稽古を見ていたらちょっとも頭が悪い女でもなく容姿も悪い感じでもない 
演出家に聞いたら「新派ではこういう演出でやっていますが 何か・・・」と言われた
 
今回でも紀香はちょっと頭が悪い芝居はしているがそうは見えず 背が高く(171㎝)グラマー(古い)で美人のイメージが勝っていて こんな女を二万円で置いていかれたという感じがでやしない こんな良い玉だったら安い買い物だと喜ぶと思う
 
当時天皇は大坂歌舞伎座がストライキで芝居の稽古が出来ないのでゆっくり島原で取材が出来た
天皇が一人寝はかわいそうだと章太郎夫人が金をだしてくれてあてがってくれた太夫がおでぶちゃんだったので天皇も大男だったので同衾できず  そこで その太夫は仲居頭と休んで花柳夫婦との朝ごはんのとき昨夜の話を合わせてくれた・・・とある

花柳「どうや 可愛がってもろたか」
太夫「へい おおきに」
北條「ごちそうさまでした、 ありがとうございました」
仲居頭「きっと深まになりまっせ、おめでとさんどす」

こんなエピソードがあるので喜美太夫のモデルはこのぽっちゃり系の太夫に違いない
初演では京塚昌子がキャステイングされた所以である

ラスト太夫道中の場は扇治郎の幇間がスベリまくり盛り上がりに欠けた ひとえに扇治郎の所為だ
この役は初演が伊志井寛だ 今の新派では田口さんが一番合っている

久しぶりに伊藤熹朔先生の演舞場の端から端まで飾り切った重厚な装置を見せて貰った
この芝居の真の「主役」はこのセットなのだ

もう一本の新喜劇は「船場の子守歌」を八重子のおばあちゃんバージョンで「おばあちゃんの子守歌」
寛太郎の寛美そっくりの芝居で一人受けていた
それだけの芝居





白鷺だより(346)松竹座2月「天下一の軽口男」

2019-02-04 15:44:42 | 観劇
 松竹座2月「天下一の軽口男」

1970年代の中ごろ 今のように「外国人」ばかりの大阪城ではなくとも日曜日ともなると大阪市民で一杯になった 
だから梅田コマ勤務で比較的自由に休みが取れた僕は子供を平日に連れて行った 
同じことを考える人もいるもんでいつも一緒になる家族連れがいた 
その頃ちょっと売れ始めたアフロへヤーの鶴瓶という若手落語家の一家だ 
とすると連れていた息子はうちの娘と一つ違い(上)の現在の駿河太郎だろう 
その彼が松竹座で座長公演をする これは是非とも観に行かなくっちゃ 
それに演出はこの六月日本香堂で脚本(「煙が目にしみる」)を使わせてもらう堤泰彦氏だ

観にいく朝 関テレの「ぼくらの時代」という対談番組を見た 
ゲストは吉本NSCの同期生今田耕司 ケンドーコバヤシ タムラケンジだ
幅広く商売もしてる(しかもあたっている)タムケンがしみじみ言った
「芸人はいっちゃんいいですわ なんせ元手がいりません」 他の二人が深く頷いた

例によって大阪人物辞典からコピペさせてもらう

安楽庵策伝(春団治)ふけたなあ 春やん
策伝は浄土宗の僧で晩年は京都の請願寺に入り名器を集めて茶事に浸った趣味人だが若いころから耳にした笑い話を集め 元和9年70歳の時「醒睡笑」8巻にまとめ出版した
信長・秀吉なども実名で登場し、面白いこと無類と言われる この作品は後程落語の原型になるが彼は曽呂利新左衛門タイプのお伽衆で諸大名相手に知的な笑いを提供して人気を集めた 

米沢彦六(駿河太郎)好演である
これに対して市中に出て大衆相手に笑い話を語った最初の人物が彦六である
彼は大道に床几を置いて座り通行人を呼び止めて辻咄を演じて笑わせた
元禄期に入ると彼は生國魂神社の境内にある小屋に出演 大きな「当世仕方物真似」の幟を出し木戸銭を取った 立烏帽子、大黒頭巾、編み笠スタイルで湯呑茶碗などの小道具を使い盛んに物真似をしながら軽口を叩く 特に大名の物真似が得意で苦虫を噛み潰した武士たちも大笑い、「芸人のくせに不謹慎な奴だ」と捕まえに来た役人も腹を抱えて笑った
この仕草が大阪俄(二輪加)の原型と言われる
近松の「曽根崎心中」にお初を連れ出した田舎大尽が生國魂境内に見物にいく場面がある
すでに彦八の評判が高かったことを意味する 正徳4年(1714)名古屋の興行主に呼ばれて その旅先で亡くなった 
正確な没年齢は判らないが働き盛りだったという
彦八が演じた咄は「軽口御前男」「軽口大矢数」の二冊に収められている

鹿野武左衛門(室龍太)これも好演 客も呼んでいる
活動舞台は江戸で落語の始祖と言われているが出身は大坂である
本名の志賀をもじって鹿野とした 若い頃江戸に下り塗師職人になったが生来話芸に秀でいつの間にか咄職に転じた 
初めは大道の小屋での辻咄で売り出し やがて座敷に招かれ「仕方咄」で人気を得る 街角での辻咄は軽口の洒落や地口を混ぜた短い即興咄だったが武家屋敷や大店の商人に招かれると限られた聞き手にじっくりと中、長編の人情滑稽咄を演じるようになった 
文筆にも長じていて「鹿野武左衛門口伝ばなし」を刊行
晩年は不幸だった コレラが大流行に便乗して偽薬を販売して大儲けした浪人がそのヒントは武左衛門の咄にあったと自供 とばっちりを受けて伊豆大島に島流し ようやく許されるが50歳の若さで死去

いきなり出囃子「拳」がながれる これは銀瓶の出囃子だ 彼のナレーションで舞台は進む(好演)
ほかに彦八の心の恋人 里乃役の田中美里がいい 生玉の興行師役の内野勝則が抑えた芝居で意外といい

桂塩鯛が休演して代わりに米平が出た 武左衛門のライバル役で好演(怪我の功名か)

この作品の致命的な欠点は笑いの現場を再現できないことである
彦八や武左衛門がどんな咄をどんなふうに演じたのか記録にしか残っていない
彦八がモデルと言われる生玉人形は彼が演じた大名、武士、三番叟、町人、お婆さん、娘、巫女などがあり 
それを仕方咄にしたと想像が出来るが実際それを演じるのは至難の業だ 
せめて観客の笑い声で誤魔化す、パントマイムで見せることしかできない

「蚤取り」
彦六が江戸の出て食べるに困って「蚤とり」の仕事をしていたとあるがこれは昨年映画化された「のみとり侍」や原作の小松重男さんの「蚤取り侍」を読む限り「のみとり」業は表向きで実は女性客相手の売春業のことである

「玉つぶし」の里乃
武家の娘である里乃のエピソード 
男装して生活をしていて男色家に襲われたとき 抵抗して「玉」を潰したことを話だけじゃなく絵で見せて欲しかった

アンサンブル
役つきの看板さんを支える「役名」もない出演者たち ざっと数えて1人10役以上「セリフ」なし 
これを松竹新喜劇の若手たちやそとばこまちの新谷君他10名で回している その中で役らしい役があるのは夢ちゃんと森ちゃんだ 
僕だったら全員芝居どころを作ってあげるのに そればかりか玉ちゃんも江口さんも二役だ 
新喜劇も演舞場公演に何人かしか参加出来ないので「渡りに船」に違いない

笑話
しょうわと読んでいるが「昭和」のイメージがきつく聞いていて何か判らない 
せめて「笑い話」(わらいばなし)ではいけないのか

喜劇人をかき集めて「喜劇」になるか?
答えは限りなくノーである このストーリーに「きよしさん」も「ちんちくりん」もいらない 焼肉ヨーデルもいらない 「ここで笑わないともうわらうとこないよ」もいらない

一人の不幸な女を笑わすためにだけに笑いを追求した男の話を喜劇にしなければならない理由はない 
言っておくがこれは彦八の里乃にたいする純情可憐な恋心の物語である

終了後 節分ということで出演者の「豆まき」
そういえば去年も松竹座で豆まきだった