「華の太夫道中」(「太夫さん」)について
日本香堂の会長さんは年の殆どを海外を飛び回り日本で捕まえるのは難しい方であるが自社の貸切公演の前日ならいらっしゃるだろうと聞いてみたら 果たして捕まえることが出来打ち合わせが出来た 翌日お客として招待された新橋演舞場の貸切公演を見せて貰った
今回の演舞場は「競春名作喜劇公演」と銘打って新派は「太夫さん」を藤原紀香をゲストに入れての「華の太夫道中」、新喜劇は「船場の子守歌」を水谷八重子がおばあちゃん役としてゲスト出演の「おばあちゃんの子守歌」と題した二本の競演だ
頂いた番付を見て見てみると大場さんの演出の言葉として昭和54年の思い出話を載せている
新派のベテラン成田菊雄さんの「ちょっといい話」だ
この時のことを作者北條先生(この後天皇と呼ばせて戴く)は次のように書いている
新派が130年も続いた年輪が垣間見られるので長いが引用する
水谷八重子が死ぬ半年前 急に「太夫さん」の女将を演ってみようと言い出し 周囲の人間はエッとびっくりした が誰しもそれは見たいから またもや御意の変わらぬ内にと座員揃って早大の演劇博物館へ初演の時のビデオを見学に出掛けた 初役の隠居を演る柳永二郎も一緒に出掛けたが 出る役者、出る役者がみんな故人なので溜息の吐っきぱなしだ
隠居善助の大矢市次郎 仲居頭お初の英太郎 幇間米七の伊志井寛 ご飯焚きの瀬戸英一 花柳喜章の青年社長とその支配人の伊井友三郎
玉のように磨き抜かれた芸の持ち主が全部もうとうにこの世に居ない 試写が終わった後 誰もすぐには座を立てず 柳さんが
「みんな死んでしまいやがった・・・」と呟き「いやァねぇ」と八重子さんが和した
その舞台稽古の途中で倒れ病院の人になり とうとうあの世の悪童漣に呼ばれてしまった
そして間もなく柳さんも「死んでしまいやがった」
俳優だけじゃなく舞台装置の伊藤熹朔も逝き 照明の篠木佐夫も逝った 生きているのは作者だけだ
(「演劇太平記」より)
この文章に花柳章太郎と京塚昌子を加えると その豪華すぎるメンバーが綺羅星の如くひしめき輝く
最近ではすっかり「おえい」役を我が物にしている波野久理子の名演技は相手役に迎えた文童の抑えた演技によって益々輝いていた
さて噂の藤原紀香の喜美太夫はどう見ても福知山の山出しとは見えず ましてはちょっと頭が足りない女にも見えず ただただ男を言葉を信じる純粋な女でしかない
初演は京塚昌子に当て込んで書いたと思われるこの役は鶴蝶、翠扇 良重 藤山直美に引き継がれた
この紀香の芝居を観ていて昔日本香堂でやった同じ作者の「片恋」を思い出した
田舎出で自分に自信がなく 好きな男にも打ち明けることも出来ない女中のお初はベテラン女中(千草秀子の名演技・そういえば千草さんは新喜劇の芝居でナレーションで声の出演してらっしゃた)の早とちりと勘違いで思い人の手紙を受け取る 祇園祭の日の逢引の誘いでお初は喜ぶ・・・この役は誰の目から見ても男から恋文なぞもらえない女が恋文を貰って舞い上がる面白さを見せる
もともとこの役は市川紅梅さんを当て込んだ作品で 映画化されたときは中村メイコだった
この役にはゲストのYさんに配役された 稽古を見ていたらちょっとも頭が悪い女でもなく容姿も悪い感じでもない
演出家に聞いたら「新派ではこういう演出でやっていますが 何か・・・」と言われた
今回でも紀香はちょっと頭が悪い芝居はしているがそうは見えず 背が高く(171㎝)グラマー(古い)で美人のイメージが勝っていて こんな女を二万円で置いていかれたという感じがでやしない こんな良い玉だったら安い買い物だと喜ぶと思う
当時天皇は大坂歌舞伎座がストライキで芝居の稽古が出来ないのでゆっくり島原で取材が出来た
天皇が一人寝はかわいそうだと章太郎夫人が金をだしてくれてあてがってくれた太夫がおでぶちゃんだったので天皇も大男だったので同衾できず そこで その太夫は仲居頭と休んで花柳夫婦との朝ごはんのとき昨夜の話を合わせてくれた・・・とある
花柳「どうや 可愛がってもろたか」
太夫「へい おおきに」
北條「ごちそうさまでした、 ありがとうございました」
仲居頭「きっと深まになりまっせ、おめでとさんどす」
こんなエピソードがあるので喜美太夫のモデルはこのぽっちゃり系の太夫に違いない
初演では京塚昌子がキャステイングされた所以である
ラスト太夫道中の場は扇治郎の幇間がスベリまくり盛り上がりに欠けた ひとえに扇治郎の所為だ
この役は初演が伊志井寛だ 今の新派では田口さんが一番合っている
久しぶりに伊藤熹朔先生の演舞場の端から端まで飾り切った重厚な装置を見せて貰った
この芝居の真の「主役」はこのセットなのだ
もう一本の新喜劇は「船場の子守歌」を八重子のおばあちゃんバージョンで「おばあちゃんの子守歌」
寛太郎の寛美そっくりの芝居で一人受けていた
それだけの芝居
日本香堂の会長さんは年の殆どを海外を飛び回り日本で捕まえるのは難しい方であるが自社の貸切公演の前日ならいらっしゃるだろうと聞いてみたら 果たして捕まえることが出来打ち合わせが出来た 翌日お客として招待された新橋演舞場の貸切公演を見せて貰った
今回の演舞場は「競春名作喜劇公演」と銘打って新派は「太夫さん」を藤原紀香をゲストに入れての「華の太夫道中」、新喜劇は「船場の子守歌」を水谷八重子がおばあちゃん役としてゲスト出演の「おばあちゃんの子守歌」と題した二本の競演だ
頂いた番付を見て見てみると大場さんの演出の言葉として昭和54年の思い出話を載せている
新派のベテラン成田菊雄さんの「ちょっといい話」だ
この時のことを作者北條先生(この後天皇と呼ばせて戴く)は次のように書いている
新派が130年も続いた年輪が垣間見られるので長いが引用する
水谷八重子が死ぬ半年前 急に「太夫さん」の女将を演ってみようと言い出し 周囲の人間はエッとびっくりした が誰しもそれは見たいから またもや御意の変わらぬ内にと座員揃って早大の演劇博物館へ初演の時のビデオを見学に出掛けた 初役の隠居を演る柳永二郎も一緒に出掛けたが 出る役者、出る役者がみんな故人なので溜息の吐っきぱなしだ
隠居善助の大矢市次郎 仲居頭お初の英太郎 幇間米七の伊志井寛 ご飯焚きの瀬戸英一 花柳喜章の青年社長とその支配人の伊井友三郎
玉のように磨き抜かれた芸の持ち主が全部もうとうにこの世に居ない 試写が終わった後 誰もすぐには座を立てず 柳さんが
「みんな死んでしまいやがった・・・」と呟き「いやァねぇ」と八重子さんが和した
その舞台稽古の途中で倒れ病院の人になり とうとうあの世の悪童漣に呼ばれてしまった
そして間もなく柳さんも「死んでしまいやがった」
俳優だけじゃなく舞台装置の伊藤熹朔も逝き 照明の篠木佐夫も逝った 生きているのは作者だけだ
(「演劇太平記」より)
この文章に花柳章太郎と京塚昌子を加えると その豪華すぎるメンバーが綺羅星の如くひしめき輝く
最近ではすっかり「おえい」役を我が物にしている波野久理子の名演技は相手役に迎えた文童の抑えた演技によって益々輝いていた
さて噂の藤原紀香の喜美太夫はどう見ても福知山の山出しとは見えず ましてはちょっと頭が足りない女にも見えず ただただ男を言葉を信じる純粋な女でしかない
初演は京塚昌子に当て込んで書いたと思われるこの役は鶴蝶、翠扇 良重 藤山直美に引き継がれた
この紀香の芝居を観ていて昔日本香堂でやった同じ作者の「片恋」を思い出した
田舎出で自分に自信がなく 好きな男にも打ち明けることも出来ない女中のお初はベテラン女中(千草秀子の名演技・そういえば千草さんは新喜劇の芝居でナレーションで声の出演してらっしゃた)の早とちりと勘違いで思い人の手紙を受け取る 祇園祭の日の逢引の誘いでお初は喜ぶ・・・この役は誰の目から見ても男から恋文なぞもらえない女が恋文を貰って舞い上がる面白さを見せる
もともとこの役は市川紅梅さんを当て込んだ作品で 映画化されたときは中村メイコだった
この役にはゲストのYさんに配役された 稽古を見ていたらちょっとも頭が悪い女でもなく容姿も悪い感じでもない
演出家に聞いたら「新派ではこういう演出でやっていますが 何か・・・」と言われた
今回でも紀香はちょっと頭が悪い芝居はしているがそうは見えず 背が高く(171㎝)グラマー(古い)で美人のイメージが勝っていて こんな女を二万円で置いていかれたという感じがでやしない こんな良い玉だったら安い買い物だと喜ぶと思う
当時天皇は大坂歌舞伎座がストライキで芝居の稽古が出来ないのでゆっくり島原で取材が出来た
天皇が一人寝はかわいそうだと章太郎夫人が金をだしてくれてあてがってくれた太夫がおでぶちゃんだったので天皇も大男だったので同衾できず そこで その太夫は仲居頭と休んで花柳夫婦との朝ごはんのとき昨夜の話を合わせてくれた・・・とある
花柳「どうや 可愛がってもろたか」
太夫「へい おおきに」
北條「ごちそうさまでした、 ありがとうございました」
仲居頭「きっと深まになりまっせ、おめでとさんどす」
こんなエピソードがあるので喜美太夫のモデルはこのぽっちゃり系の太夫に違いない
初演では京塚昌子がキャステイングされた所以である
ラスト太夫道中の場は扇治郎の幇間がスベリまくり盛り上がりに欠けた ひとえに扇治郎の所為だ
この役は初演が伊志井寛だ 今の新派では田口さんが一番合っている
久しぶりに伊藤熹朔先生の演舞場の端から端まで飾り切った重厚な装置を見せて貰った
この芝居の真の「主役」はこのセットなのだ
もう一本の新喜劇は「船場の子守歌」を八重子のおばあちゃんバージョンで「おばあちゃんの子守歌」
寛太郎の寛美そっくりの芝居で一人受けていた
それだけの芝居