白鷺だより

50年近く過ごした演劇界の思い出話をお聞かせします
     吉村正人

白鷺だより(61)中日劇場「ゆうれい長屋は大騒ぎ」

2016-04-28 11:40:26 | 思い出
中日劇場平成28年 5月12日初日 公演パンフレット用原稿

   「 ゆうれい長屋は大騒ぎ」について  脚本・演出 吉村正人

この作品の原作小説は新潮文庫、山本周五郎「人情裏長屋」に収録されている「ゆうれい貸屋」で
 昭和25年に書かれました。
            
歌舞伎での上演は 昭和34年 松緑(2代目)梅幸(7代目)の配役で初演。

そのころ旧歌舞伎座は八月は歌舞伎公演をやってなかったが 
若き勘九郎と八十助、福助らが松竹に掛け合って自らの勉強の場にしたいと納涼歌舞伎を企画した。
その納涼歌舞伎公演が軌道に乗った
(その間に勘九郎は勘三郎を、八十助は三津五郎を襲名)
平成19年8月 歌舞伎座で三津五郎が「ゆうれい貸屋」を復活公演弥六(三津五郎)お兼(孝太郎)平作(弥十郎)、
それになんと染次(福助)又蔵に勘三郎 お千代に七之助という豪華メンバーで上演した。

しかしながら このように必死で歌舞伎を牽引してきた勘三郎、三津五郎が残念ながら相次いで亡くなってしまった。
若き次代に期待しょう。

この名古屋では名鉄ホールで平成13年4月「浮世長屋は春爛漫」(小国正皓 脚本演出)として上演 
配役は今回と同じ左とん平、宮園純子の夫婦役に染次役には元ピンクレディーのケイちゃんこと増田恵子で
当時ちょっと評判になったので名古屋地方の方にはご覧になた方がいるかも知れません。

今回の「ゆうれい長屋は大騒ぎ」は昨年吉村が某企業の観劇会用として脚本・演出した作品で
(左とん平、宮園純子 熊谷真実らが出演)
、それに鳥羽一郎さんと石原詢子さんが特別参加していただいて 新しい「ゆうれい長屋は大騒ぎ」が誕生します。



さていよいよ この公演の稽古に入ります
「白鷺だより」の更新はしばらくお休みさせて頂きます。

古い記事への御意見、ご批判などコメントがあれば是非お願いします

次回は美空ひばりさんとの思いでから始まります 
ご期待下さい
 
 
        



白鷺だより(60) 高津の富くじ

2016-04-27 20:54:21 | 松竹新喜劇
   「高津の富くじ」について

長堀川 
    長堀川は江戸初期に開削された人工の川である  沿岸には様々な廻船問屋や材木問屋、各藩の屋敷が並び大坂における輸送の
大動脈であった 昭和35年埋め立てられ 長堀通りとなって地下街や地下駐車場になって有効に活用されている

安綿橋 
    従兄の安井道頓の計画のもと大阪の水路道頓堀の開削工事に加わった安井九兵衛と綿屋某と協力して架けたことに橋の名は由来する     九兵衛は道頓の死後もその遺志を継いで道頓堀を完成させ その両岸を開発して繁栄させ南組総年寄を務めた

高津の宮 
     難波高津宮に遷都した仁徳天皇を主祭神として祀る  806年勅命により高津宮の遺跡を探索され 
その地に社殿を築いて仁徳帝を祀った 
    上方落語「高津の富」「崇徳院」「高倉狐」「いもりの黒焼き」などでお馴染み、
     古くから大坂町人文化の中心として賑わっていた

上方落語 宿屋の富 
     もともと上方発祥の演目で3代目小せんが東京に持ち込んだとされる 
     江戸落語では場所は湯島天神の境内となる

富くじについて 
     江戸期において公儀の許可を得た神社が勧進のために富くじを発売していた
     大きな箱に札の数と同数の番号を記した木札を入れ 
     箱を回転し箱の側面の穴から錐を入れて突き刺し当選番号を決める 
     一番富は江戸では最後に突くが大坂では最初に突いたという
     当たった金額は全額貰えない 300両くらいは無理やり寄進させられたのである
     富札は一枚一分だが 何人かで共同で買う割札があった

天保の改革 
     この脚本の「贅沢禁止令」は天保の改革だろうと思われる 
     大御所と言われた徳川家斉が亡くなると それまで天保の大飢饉や百姓一揆の多発、
     大坂でも大塩平八郎の乱などで乱れた世の中を改革すべく 
     老中水野忠邦が今までの贅沢な雰囲気を一掃するべく質素倹約を勧めようとして
     人情本(柳亭種彦)、歌舞伎(7代目團十郎江戸追放)などを圧迫しますが 
     内外からの批判が多くわずか2年で挫折します
    (なお江戸三大改革は享保の改革(徳川吉宗)寛政の改革(松平定信)と天保の改革である)

娘義太夫 
     義太夫は大坂の竹本義太夫が浄瑠璃を集大成させ義太夫節として開いたのが始まりです
     その義太夫を女性が演じる「女義太夫」は江戸中期に始まったとされていて「娘浄瑠璃」などと呼ばれ
     座敷などで披露していましたが文化文政の頃に寄席に進出して人気を集めました 
    しかし天保の改革で女芸人は風俗を乱すと弾圧され廃れてしまいます 
    その後明治維新以降に大坂に豊竹呂昇、東京に竹本綾之助などの活躍で芸能の人気を歌舞伎と二分した 
     なおビートたけしの祖母、北野うしは竹本八重子という娘義太夫であった

おちょぼ 
     江戸後期京阪地方で揚屋、お茶屋などに居で娼妓の用を足す13,4歳の少女のこと

がたろ 
    京阪地方のカッパの異称
    転じて胸まである長靴を履き川に入って川底に埋没している廃品を回収する職業をがたろといった 
    少年期のオダサクはそういう人たちが集まる通称「がたろ横丁」で育った 
    ここでは元の意味のカッパのこと  

白鷺だより(59) 「鹿鳴館」のこと

2016-04-27 12:29:14 | 思い出
昭和62年 9月「鹿鳴館」 有馬稲子 芦田伸介 浜畑賢吉 草笛光子 山本みどり      戌井市郎演出

戌井さんのこの戯曲に持っている気持ちが素直に出た芝居。
文学座創立二〇周年記念作を若い演出家にもっていかれ 自分は数合わせの仕出しで出演させられたこと・・・ 
三島や松浦竹夫に対してどう思っていたか 杉村春子をめぐる三角関係のような感じかな・・
そういえば 珍しく稽古中居眠りをしなかった・・・

三島が「俳優芸術のための作品」というように 
その修辞に富んだ詩的な美文調のセリフはしゃべっている役者は勿論
聞いていても気持ちのいいものだった。

なお一年後 日生劇場の松竹現代劇「鹿鳴館」(若尾文子・平幹二郎)を見に行ったら
コマの円型舞台に合わせてドーム状の鹿鳴館の道具帳をそのまま使い(中島八郎)日生では合わず
それだけなら許せるが鹿鳴館の来客の呼び出しのテープをコマで録音したそのままを使っていた。 
それはこの公演を最後に役者で食えずに引退したTの声だった。


この公演を最後にコマ契約を最後に解かれる。

ひばりさんの明治座公演が中止になったら もうひばり公演はコマではあるまいと判断したのか 
待ってました、とすぐこれだ・・

浜畑さんや有馬さんなどは就職先を心配してくれて・・・
特に有馬さんは具体的に地人会に紹介しょうかと言っていただいたが・・お断りする。
 
結局 僕を必要とする北島、梅沢などは一本いくらで仕事をすることで了承

ボクのギャラの出どころが会社から製作費からと変わったこと
仕事はいつもと相変わらず・・・
ただトップホットから続いた厚生年金から国民年金の生活になった。 

白鷺だより(58)山城新伍(2) 「チャンバラ行進曲」のこと

2016-04-26 11:04:30 | 人物
(1)でふれたように山城は本業の映画では天下は取れないと悟って舞台で座長を張ることによって
映画では決して出来ないことを舞台で実現しょうとした。
 映画の記録は山ほどあるが舞台のそれは皆無である。
 その軌跡をたどってみよう。
([王将」の関根名人や水谷良重との「つばくろは帰る」などがあるがここは所謂座長公演のみを挙げる)
「また赤ひげ医者の実父をモデルにした作品もあったような気がする)

昭和50年 新宿コマ 井上ひさし 作 熊倉一雄演出
 「11ひきのねこ」
昭和52年 新宿コマ 山城新伍芸能生活20周年記念 福田善之 作演出
 「泣き笑いチャンバラ一代」
昭和55年 御園座 塩田誉之弘 作演出
「あんぽんたん」
昭和56年 御園座 塩田誉之弘 作演出
「石松浮名旅」
昭和57年 新歌舞伎 
塩田誉之弘作 演出
「新好色一代男 あんぽんたん物語」
昭和57年 御園座 逢坂勉脚本・演出
「夫婦善哉」
昭和58年 新歌舞伎 
逢坂勉 脚本・演出
「夫婦善哉」
昭和59年 御園座 新歌舞伎座 
土井行夫 作 塩田誉之弘脚本演出
「桂春団治伝 春やん 恋しぐれ」
昭和60年 御園座 新歌舞伎座 
福田善之 原作 大久保昌一良 脚本 山城新伍 演出
「泣き笑いチャンバラ一代」より 「ちゃんばら物語」

この公演で又いろいろトラブルを起こしたと新歌舞伎の舞監Iに聞いたが 
そのことが理由ではなくこの年新しく始まったTBSお昼のワイドショー「新伍のおまちどうさま」が
同時刻の「笑っていいとも」に迫る勢いの好評で しばらく劇場公演はなくなっていたが 
この番組ごと舞台でやるという画期的なアイデアで新コマ公演が実現

昭和63年 12月 新コマ 山城新伍芸能生活30周年記念
「泣き笑いキネマの夢 ちゃんばら物語」「新伍オンステージ」

 僕はこの公演にショウの構成演出の花園ひろみさんに頼まれてお手伝いした・・
「新伍のおまちどうさま」を舞台から生中継ということで お昼の部は放送時間の12:00から始まった。
ちなみに放送がない曜日と夜の部は「新伍オンステージ」なるショウをやった。 
毎日違うテーマのバラエテイで「梅宮辰夫の料理教室」「落選紅白歌合戦」など打ち合わせがギッシリ、もともとこういうことが好きなので必死でアイデアを出してやっていたが 夜の部のショウの安いギャラだけでやってられないのでTBSTVのプロデューサーに文句をいうと ここへ住所を書いて下さい、という 抽選で当る炊飯器が送られてきた。なおも文句を言うとビールの商品券を山ほどくれ近くのの金券ショップで両替すると結構いい金額になった。この番組は4年半続いた。
 
芝居はチャンバラに山城の思いがこもっていい出来だった。
奥さんの花園ひろみへの愛情があふれていた ちなみに役名はスター「京園めぐみ」
この芝居は老人ホームの思い出話から始まる・・・
(この芝居は往年のスター市川百々之助を名乗る男が老人ホームにいたというエピソードが原案になっている。)


写真は「ちゃんばら行進曲」のモデルと云われる市川百百之助の全盛期のポスター

平成9年 南座 山城新伍芸能生活40周年記念
「ちゃんばら行進曲・春はおぼろで紅頭巾」

芸能生活の節目ふしめに演じられた「ちゃんばら行進曲」よほど本人には思い入れがある作品なのだろう

そして実生活において 
あれほど愛した奥さんや娘に捨てられ この作品の主人公と同じように一人老人ホームで生活していた新伍さんの晩年のエピソードが悲しい・・

白鷺だより(57) 「伊那の勘太郎」のこと

2016-04-24 09:32:03 | うた物語
「勘太郎月夜唄」

 影か柳か 勘太郎さんか
 伊那は七谷 糸ひく煙
 棄てて別れた 故郷の月に
 偲ぶ今宵の ほととぎす
(三番)
 菊は栄える 葵は枯れる
 桑を摘むころ 逢おうじゃないか
 谷に消えゆく 一本刀
 泣いて見送る 紅つつじ


2013年 今年の北島公演はいつもの股旅物で「信州ひとり旅」である.
北島はこの芝居が好きで何度も劇化している。
 
おっちゃんのカラオケの定番、小畑実の歌で有名な「伊那の勘太郎」の話だが 
この公演のちらしのあらすじを読んでいて あれっと違和感があった。
それは天狗党が世直しをかたる悪党集団として描かれている点である。

この伊那の勘太郎は戦時期で戦気高揚映画以外で使えるフィルムの少なくなる中 
その頃の映画人たちが知恵を絞ってでっち上げた勤王の志を持ったヤクザの物語でなんとか検閲に通し
昭和18年東宝映画「伊那節仁義」という題名で上映された。 
すでに小畑実歌う主題歌「勘太郎月夜唄」はヒットしており 長谷川一夫、山田五十鈴の組み合わせも人気で大ヒットした。 
もっともそのころの映画は軍事色一色であったこともヒットの原因である。

もともと人気歌手の市丸が吹き込んだ「伊那節」がヒットしたのに便乗して企画された作品で 
丁度水戸の天狗党が京に上る途中に伊那を通ったということだけをヒントに
伊那出身のやくざの勘太郎がこの天狗党を手助けしたことにして 締め付けの厳しい軍部の検閲を通過させた。 
このアイデアを出した稲垣浩監督の呼び名の「イナカン」からイナのカン太郎になったと言われている。

戦後この作品は大映で同じく長谷川一夫でリメークされ「勘太郎月夜唄」として昭和27年
上映されこれまた大ヒット 相手役は乙羽信子であった。 
おそらく北島座長が見ていたとしたらこの映画であろう。

少なくとも映画史を齧ったことのある人なら この映画の当時の映画人の知恵を絞った誕生秘話は有名な話で
 今回の作品のように少なくとも「天狗党」を世直しをカタる悪党集団としては描けないだろう。 
「王政復古」こそ「救国の大道」なりと信じた人々を・・である
三番の歌詞をよーく見て下さい。