先ずは平成6年7月新橋演舞場で新喜劇デビュー 御覧のように何本かは演出家の名前がない このような体質が新喜劇に新しい作家、演出家が生まれない理由である
その年の10月中座 僕は「朗らかな嘘」と「おくてと案山子」を演出したが名前は出して貰えない
そして12月中座 人生双六の演出だが名前は出ない
翌年平成8年松竹は創立100年を迎える
この「春は浮かれて」で初めて名前が出る
3月南座
秋の扇と「わてらの年輪」の演出助手
そのまま新橋演舞場7月へ
11月中座 鼓と噂草紙左甚五郎を演出
12月中座若手奮闘公演 僕は? 皺だらけの天使と愚兄愚弟を演出
大忙しの平成8年が終わり平成9 年南座3月
平成9 年4月 南座 陽春公演 人生双六演出
同年7月南座公演 京唄子ゲスト
11月中座
新喜劇最後の劇場公演
ただし平成15年〜18年の日本香堂では新喜劇作品を演出した