白鷺だより

50年近く過ごした演劇界の思い出話をお聞かせします
     吉村正人

白鷺だより(382) 松竹新喜劇「アットン婆さん」を観て

2021-03-29 06:55:26 | 松竹新喜劇

白鷺だより(382) 松竹新喜劇「アットン婆さん」を観て



何時だったか、どの劇場だったか、はたまた何の作品か覚えていないがミヤコ蝶々先生の助手をしていた時 まだ三代目天外がまだ天笑を名乗っていた時分で先生の出の前の露払い的な役で出ていた 
花道から先生と一緒に見ていたが(思い出した、中座だった)舞台を見て先生は!小声でつぶやいた
「見てミイ オヤジも大根なら息子はもっと大根やな」
それ以来 生の二代目天外の芝居を見たことがなかった僕は天外=大根と思いこんでいた

「アットン婆さん」の芝居を見てそれが吹っ飛んだ 確かに病気の後遺症で右足は不自由だ
右手も固まったママだ 辛うじて滑舌は大丈夫だ 僕も同じ症状だから解る ここまでくるのにすごいリハビリだったと思う 思うように動かない身体、それと戦いながら芝居をする
並大抵な事ではなせる業ではない
蝶々先生が南都雄二と新喜劇に入ったのは天外が病気で倒れた後だ
 この「アットン婆さん」が昭和45年だから少しは良くなっていてもこの姿だ 
蝶々先生が新喜劇にいた当時は倒れた直後だからもっともっとヒドい状態で舞台に上がっていたのだろうと推測される 
蝶々先生はそんな天外しかまじかに見ていないのだ

それでも十吾さんや寛美と丁々発止の五分五分の芝居をする 
お初とのラブシーン?ではやはり両手がつかえないと絵にはならないもののその病気のしんどさが解る僕だから「御立派」だといえる

十吾さんの「アットン」もお見事だ 身体から滲み出る優しさ、言葉から出る愛情
この年御年79

寛美も入れてこの芝居がこの三人で出来た奇跡
三郎とお初、三郎と儀平 儀平とお初 名シーンの連続た

朝ドラ「おちょやん」では天海(天外)が書いた自信作「母に捧げる記」を千之助(十吾)がむちゃくちゃ手を入れて元の姿が無いほどにした「マットン婆さん」として紹介された 
実際 二人がどのようにして合作したのかは分からないがその後も二人の合作が名作を生んでいったことをかんがみると作者同士はうまく役割分担されていたのであろう

さてこの「アットン婆さん」は昭和45年5月南座で上演されたものである

茂林寺文福、館直志合作 高須文七美術

長男正一郎   花和幸助
その妻富士子  石河薫
三男三郎    藤山寛美
二女真理子   大津十詩子
女中おその   滝見すが子
女中おりん   曽我迺家鶴蝶
老女中お初   曽我迺家十吾
片桐儀平    渋谷天外

このうち現在でも生存しているのは大津十詩子こと大津嶺子さんのみである








白鷺だより(381) 松竹新喜劇「丘の一本杉」を観て

2021-03-01 06:25:21 | 松竹新喜劇
(381) 松竹新喜劇「丘の一本杉」を観て



朝ドラ「おちょやん」の影響で鶴亀新喜劇のモデルである松竹新喜劇にも興味を持つ人たちが増えたと考え久しぶりに新喜劇公演の舞台中継が放送された
2月28日ホームドラマチャンネルにて18:30〜 

2013年8月の巡業公演で8月29日枚方市民会館で公演を中継したものである

その紹介によると

昭和23年松竹新喜劇結成時の演目の一つで古い作品ながら現代にも通じる老いと若さをテーマに父と息子の親子の情愛を描いた作品

(とあるが実際はそれ以前家庭劇時代に初めて演じられた)

あらすじ
昭和38年 兵庫の山に囲まれた村で鍛冶屋を営む頑固な職人の父田中良助と跡を継ぐ息子幸太郎は日頃から意見の衝突が絶えない親子だ 意地の張り合いからついに家を飛び出した幸太郎が行き着いた処は峠の上にあるご神木の一本杉 一本杉を見て老いた親の愛を振り返るる幸太郎と足を引きずりながら子を追う父良助は杉の木の前で出会い、温かい親子の絆を結ぶのだった

配役
鍛冶屋田中良助  渋谷天外
息子幸太郎    藤山扇治郎
良助 嫁お力   川奈美弥生
幸太郎嫁     桑野藍香
妹        千草明日翔
馬喰徳松     曽我迺家寛太郎
医者       藤田攻次郎
老人       レッツゴー長作
その息子     室龍規
他村人      里美羽衣子 泉しずか 夢ゆかり 渡邉凛賀
         山本和孝 竹本真之

茂林寺文福、館直志合作 渋谷天外 演出


決して満杯ではない枚方市民会館に子供のバカにした笑い声が響く

結果的には大失敗作だ
新しい喜劇を目指すには程遠い出来だ

なぜ時代を昭和38年にした意味が全くない 
どの時代にも通じるテーマと謳っているのに
僕は新喜劇を演出する時は必ず初演の台本でその時代そのままに演った

舞台になる場所が兵庫のとある村というのが駄目だ
良助も幸太郎も本気で喧嘩していないのがミエミエだ 
喧嘩親子の説明を山本和孝がやっているがやはり荷が重い もっとお喋りのキャラクターがあれば自然に聞ける

馬喰の馬に老いの本音を語りかける演出はいい
願わくば共感する老人たちの手の一つでも貰える演技が欲しかった

幸太郎が峠で出会う老人との会話で「父」を考える気持ちが湧いてくる過程が見えない 折角の長作の演技を台無しにしている

大木の陰で良助の独り言を聴いてる幸太郎が思わず声を出して泣き出す一番の見せ場もハートのない独り言でダダ滑った

BG音楽も赤とんぼのメロの使い過ぎが気になった

寛太郎、長作、医者役の藤田は辛うじて合格点だが それより天外、扇治郎、川奈美、桑野ら一家の中心人物がみんなヒドい
要するにみんなハートがない、ちゃうことだ
喜劇発祥110年記念公演と銘打った公演、こんな芝居で大先輩たちに恥ずかしくはないのか

当ブログ(114)(115) 丘の一本松について(1)(2) を参考のために見てください! 
そして沖縄の大衆演劇の一役者がこれを観て沖縄の芝居に変え演じたのはなぜか?
何故戦後沖縄で皆んなに愛される芝居となって行ったのか考えて欲しい