白鷺だより

50年近く過ごした演劇界の思い出話をお聞かせします
     吉村正人

白鷺だより(385) 松竹新喜劇 「人生双六」を観て

2021-04-26 06:27:06 | 松竹新喜劇
白鷺だより(385) 松竹新喜劇「人生双六」を観て

あれは何の公演だったか たぶんミヤコ蝶々さんの公演だった 当時在籍していた梅田コマ以外の劇場なのだが小道具担当の高津小道具さんにうどん屋の屋台を注文した
夜の場面だったので灯入れのテストをしてみると暗転の舞台に明々と「5年経過」の文字が浮かんだ 誰かか「人生双六や」と教えてくれた
その頃は後に関西美術を立ち上げるSさんは高津小道具にいて彼がこの屋台を届けてくれたのだ
彼はこの後すぐに小道具は持たす高津の物を使って松竹新喜劇などの松竹系の舞台の小道具担当を一手に引き受けるトンネル会社を作ることになる 
背後に寛美さんと大道具のT さんがいると聞いた
これが僕の「人生双六」との出会いの最初だ

今回のTV中継は平成30年9月の松竹座、松竹新喜劇結成70年記念公演のものである
当時ダブルキャストの植栗君バージョンは観たが 丁度その日は小島慶四郎さんが体調を崩して休演 代役に天外が立った日だった
もう一人の渋谷天笑の浜本も観てみたいし なにより元気な小島の慶さんのうどん屋が見れると云う これは是非見てみたいものだ


天笑はさすがに出世した浜本にはwキャストの植栗より貫禄があるようにみえるが前半は今一つ盗みへの罪悪感と生きる必死さが出ていない でも概ね好演だ
対して相手が変わっても扇治郎の芝居は変わらす(今回アップでみると凄い汗だ)汗かいて熱演すればする程空回りし 自殺未遂の場面は余りにも軽すぎる 
寛美の真似ごとで笑いを取る以上に一生懸命死のうとすれば笑いになる
こんな役者をただ「寛美の孫」ということたけで看板にして商売をせざるを得ない松竹は新喜劇を守る気があるのだろうか

芝居の感想は前回のブログ (329)松竹新喜劇「人生双六」について に詳しく書いたので繰り返さないが元気な慶さんの舞台姿をみれたのは嬉しかった
やはり慶さんが舞台にでると舞台は一瞬に新喜劇になる

前にもかいたが昭和13年初演の作品を何故昭和40年代に時代を変える意図は全く判らない なる程昭和も40年代になると藤田みたいな太ったルンペンがいてもおかしくもないだろう 米田演出は彼の思い入れもあるのだろうがどうせ時代劇にするのなら初演時に戻すのが正解だろう
浜本に二代目天外、宇田に十吾 想像するだけで楽しくなるではないか?




白鷺だより(384) おちょやん(5) 「お家はんと直吉どん」

2021-04-23 09:24:30 | 松竹新喜劇
白鷺だより(384) おちょやん(5) 「お家はんと直吉どん」



(写真前列左から九重京子、渋谷天外、曽我迺家十吾、浪花千栄子)

「おちょやん」も100回目、いよいよ後半のクライマックスを迎えた

なぜか鶴亀新喜劇の創立第一作が「お家はんと直吉どん」になっており その1周年記念作もその作品となり 千代にとって新喜劇最後の作品となる
実際は新喜劇第一作は前回のおちょやん(4)でかいたように別の作品だし星ゃん演じる須賀迺家千之助こと曽我迺家十吾が辞めることもない 

「お家はんと直吉どん」は創立二年目の昭和25年11月中座にて初演

茂林寺文福、館直志 合作
「お家はんと直吉どん」
配役は
伊藤庄一郎      曽我迺家明蝶
その妻よね子     若葉蘭子
庄一郎弟芳夫     藤山寛美
お家はん 伊藤てる  曽我迺家十吾
辻直吉        渋谷天外
直吉娘 妙子     宇治川美智子
母屋のおばさん すず 浪花千栄子

初演は好評で終わり翌12月中座結成3周年記念公演でも再演

この年の5月公演で九重京子出産のため退団
12月 長男成男出産

浪花千栄子は妊娠発覚後も劇団に残り 翌26年4月中座公演まで在団
この「お家はんと直吉どん」は翌年1月南座、5月御園座でも再演されたが
浪花千栄子は1月は出演しているが5月は持ち役のすず子役は曽我迺家鶴蝶が務めた

天外との離婚は承諾せず 成男は婚外子だった
離婚が成立したのは二人目の喜作(三代目天外)が生まれた昭和29年だった
翌30年3月 入籍 晴れて正式の夫婦となった

昭和32年12月 同じく結婚式を挙げてなかった曽我迺家五郎八夫婦と一緒に中座にて新喜劇結成10周年記念公演終演後の舞台で合同結婚式を挙げた

その時、天外に云われた言葉を九重京子は覚えている
「ええかアンタが脚本(ほん)を書くんやない、脚本を書くんは僕やさかい勘違いしたらアカンで」
どうやら「おちょやん」からかなり虐げられていたらしい

昔二人が結ばれたのは「嫁からの重圧からの逃避」が原因だったのだ
浪花千栄子は芝居に熱心な九重京子を妹のように可愛がっていた 
彼女が二人の関係を知ったのはその年の2月26日の事であった
中座公演が終わって家に帰って来て二人の関係の「決定的瞬間」を見てしまったのだ
怒り狂った千栄子は初めて天外を殴る、蹴る、泣き喚いた が翌月3日初日の中座公演の稽古が翌日に控えていた

しかし浪花千栄子はそれを知っても劇団を辞めなかった
出來るだけ冷静に いつものように舞台を務めた
それまで座長夫人として「いい役」は若い座員に廻して(それ故、新喜劇での代表作はない)自らは「人が嫌がる役」を一手に引き受けてきたがそんな役でも天外とのカラミはある 
二人の息がだんだん合わなくなって来たが翌年の四月まで約1年余り新喜劇に在団した
それは新喜劇を愛した千栄子の役者としての意地だったのだ

「おちょやん」では劇団結成ー周年記念興行作として「お家はんと直吉どん」が演じられた 実際の1周年記念興行は昭和24年12月中座にて行われた
そな演目は次の通り

昼の部            夜の部
春遠からじ       唄って踊る川中島
帰国(だもい)挿話    夜寒
砂糖壺         大人の童話
蝉の抜けがら      青い家 赤い家



 

白鷺だより(383) おちょやん(4) 鶴亀新喜劇誕生!

2021-04-14 13:26:08 | 松竹新喜劇
 白鷺だより(383) おちょやん(4) 鶴亀新喜劇誕生!

 口頭ガンの手術で声を失った曽我迺家五郎が新しく建つた中座で無言の芝居を行なったのは昭和23年9月であった 五郎はパントマイムだけで舞台を務めた 自分のセリフを相手に云わせたり陰の声を入れたり色々演出してみたものの十郎に対抗するために作り出されたというダミ声が聞けない舞台からは悲惨さだけが感じられ喜劇を演じているにもかかわらす観客は涙を流したという 
その2ヶ月後の11月1日五郎は阪大病院で亡くなった 
「巨星墜つ!」という感で紙不足のなか号外が出た
五郎は今まで超ワンマンで劇団を引張ってきたので没後の座員の動揺は甚だしかった 

そして12月には中座で「松竹新喜劇」の旗揚げ公演が行なわれる
出しものは以下の通り

昼の部      夜の部
長襦袢紳士録  嵯峨野の雪
御巡幸の日   らくだ
丘の一本杉   渦中にたつ花嫁
手       参謀長閣下

色々諸説があるが一番妥当なのは五郎劇と家庭劇との合併説が正しいと思われる
隆盛期には100人もいた五郎劇団員は少なくなったとはいえ何人がいた
そのうち大磯、秀蝶、小次郎、明蝶、五郎八らが新劇団に参加した
五郎劇団には女優がいなかったが女形は大勢いた 新劇団が女優を大切にする方針なのでこの時役者を辞める人が多かった
なお五郎八さんの娘、西岡慶子さんが子役で出ていたことを補記する



ここに昭和24年5月に初めての南座公演の連名は次のようになっている

 渋谷天外
曽我迺家五郎八
曽我迺家明蝶
 ○
石河薫
九重京子
宇治川美智子
小百合京子
山本貞子
石島康代
湯川小夜子
曽我迺家鶴蝶
浪花千栄子
 ○
曽我迺家大磯
曽我迺家秀蝶
曽我迺家三郎
島田文雄
曽我迺家壽栄蝶
曽我迺家蝶次
曽我迺家福太郎
曽我迺家小次郎
平戸潤
山岡澄生
戸山楽男
長谷川実 
藤山寛美
田村楽太
高田 亘
 ○
曽我迺家十吾

これに倣って「おちょやん」のメンバーで連名を作ってみると
()にモデルと思われる名前をいれる

 鶴亀新喜劇

天海天海   (渋谷天外)
須我迺家万歳  (曽我迺家五郎八)
須我迺家千兵衛(曽我迺家明蝶)
 ○
高峰るり子(石河薫)
明日香灯子(九重京子)
石田香里
竹井千代(浪花千栄子)
 ○
須我迺家天晴
須我迺家徳利
漆原要二郎
松島寛治 (藤山寛美)
 ○
須賀迺家千之助(曽我迺家十吾)

となる

五郎八、明蝶役の二人は荷が重すぎる

因みに僕、吉村は昭和23年生まれである