「洗濯屋ケンちゃん」について
松竹芸能の養成所で教えていた頃 男性の生徒に極めて優秀な子がいた 顔も二枚目でこれは捨てがたい逸材だと思った 一度何かの舞台で使おうと思いスケジュールを聞いたところ 驚いたことにやおら手帳を見てここ半年は空いていないといわれた よくよく聞いてみると彼は当時売れっ子のAV男優の一人だった さらに聞くところによると稼ぎは相当なもののようであった 安いギャラで仕出しの芝居をしている場合ではなかった 女房・子供を食わさなきゃいけませんので・・・
某劇団の某座長がいわゆるAVが好きでよく買いに行かさしてもらった ある時は国立文楽劇場の裏あたりのマンション またある時は今はなき大阪球場の横の通り 戎町の駅前のマンションと手入れの目をくぐって移動する販売所をウロウロした いつも大量に買うので好きなAVをおまけしますが どれがいいですかと販売人のおっちゃんに言われ大量のビデオの中で迷わず選んだのが往年の裏ビデオの名作といわれる「洗濯屋ケンちゃん」だった
いわゆる裏ビデオといわれるものは56年大阪で作られた(「ビニ本の女・秘奥覗き」)というのが定説で それからはあの手この手の工夫をこらした作品が続々制作され日本のビデオデッキの普及の原動力となったといわれる 当然当局の摘発も行われた(57年2990巻58年3700巻)が焼け石に水とはよく言ったもので その年までの全制作数はざっと2000本に及んだ
その中で「裏ビデオの傑作中の傑作」といわれたのが「洗濯屋ケンちゃん」である
裏ビデオ史を語る上で「洗ケン前 洗ケン後」といわれる程画期的な作品で57年8月の制作である この作品が画期的と言われるのは これまで暴力団がらみで内容も暗く(強姦系が多かった)行為も単調なパターンの繰り返しであるのに対して明るくストーリー性があり行為もバリエーションが豊富であり なにより役者もスタッフもプロだったことである これが人気を呼んで裏ビデオブームに火を点けた 当時ビデオデッキは一台20~30万したが街の電気屋がこのビデオをおまけにつけて売り上げをあげたと言われる しかしそれだけに当局の目が厳しくなり翌58年3月この作品のスタッフ一同が「わいせつ物頒布等の罪」で逮捕されてしまう
ケンちゃんを演じたのは小さなミュージカル劇団の役者北林けん(久野一之・当時28歳)
同じ劇団の役者藤井智憲に海外輸出用サンプルだから顔がささないと言われ出演した
藤井は題名の元ネタとなったTVドラマ「ケーキ屋ケンちゃん」に出ていた役者で「コメットさん」を撮った出口富雄とともに監督もした
北林は警察から戻ってみると裏ビデオのスターとして主演依頼がひっきりなしで「帰って来た洗濯屋ケンちゃん」や武智鉄二監督の本番映画「荒野聖」で破戒僧宋朝を演じた
結局総売り上げは最終的に十億円という驚異的なヒットであった
ただし北林けんが貰ったギャラは二日で9万円だったという
あらすじ というほどのものじゃないが
洗濯屋のケンちゃんが御用聞きに回るうちに知り合った二号さんと様々なセックスを演じるというもので 二号さんが「パパにここの毛を剃れというの」とシェービングを塗ってツルツルになるまで剃ったあと最近来ないパパを思い出しながら電動バイブでオナニーをする さらに二人で千葉浦安の埋め立て地(後のディズニーランドの場所と言われる)にハイキングに出かけ 放尿シーンのあと太陽の下で「青カン」色々な体位のプレーを見せる
その後友達の彼女を騙して新宿のラブホテルで強姦シーンもあり そのテクニックに参った女は恍惚としてシャワーを浴びる
松竹芸能の養成所で教えていた頃 男性の生徒に極めて優秀な子がいた 顔も二枚目でこれは捨てがたい逸材だと思った 一度何かの舞台で使おうと思いスケジュールを聞いたところ 驚いたことにやおら手帳を見てここ半年は空いていないといわれた よくよく聞いてみると彼は当時売れっ子のAV男優の一人だった さらに聞くところによると稼ぎは相当なもののようであった 安いギャラで仕出しの芝居をしている場合ではなかった 女房・子供を食わさなきゃいけませんので・・・
某劇団の某座長がいわゆるAVが好きでよく買いに行かさしてもらった ある時は国立文楽劇場の裏あたりのマンション またある時は今はなき大阪球場の横の通り 戎町の駅前のマンションと手入れの目をくぐって移動する販売所をウロウロした いつも大量に買うので好きなAVをおまけしますが どれがいいですかと販売人のおっちゃんに言われ大量のビデオの中で迷わず選んだのが往年の裏ビデオの名作といわれる「洗濯屋ケンちゃん」だった
いわゆる裏ビデオといわれるものは56年大阪で作られた(「ビニ本の女・秘奥覗き」)というのが定説で それからはあの手この手の工夫をこらした作品が続々制作され日本のビデオデッキの普及の原動力となったといわれる 当然当局の摘発も行われた(57年2990巻58年3700巻)が焼け石に水とはよく言ったもので その年までの全制作数はざっと2000本に及んだ
その中で「裏ビデオの傑作中の傑作」といわれたのが「洗濯屋ケンちゃん」である
裏ビデオ史を語る上で「洗ケン前 洗ケン後」といわれる程画期的な作品で57年8月の制作である この作品が画期的と言われるのは これまで暴力団がらみで内容も暗く(強姦系が多かった)行為も単調なパターンの繰り返しであるのに対して明るくストーリー性があり行為もバリエーションが豊富であり なにより役者もスタッフもプロだったことである これが人気を呼んで裏ビデオブームに火を点けた 当時ビデオデッキは一台20~30万したが街の電気屋がこのビデオをおまけにつけて売り上げをあげたと言われる しかしそれだけに当局の目が厳しくなり翌58年3月この作品のスタッフ一同が「わいせつ物頒布等の罪」で逮捕されてしまう
ケンちゃんを演じたのは小さなミュージカル劇団の役者北林けん(久野一之・当時28歳)
同じ劇団の役者藤井智憲に海外輸出用サンプルだから顔がささないと言われ出演した
藤井は題名の元ネタとなったTVドラマ「ケーキ屋ケンちゃん」に出ていた役者で「コメットさん」を撮った出口富雄とともに監督もした
北林は警察から戻ってみると裏ビデオのスターとして主演依頼がひっきりなしで「帰って来た洗濯屋ケンちゃん」や武智鉄二監督の本番映画「荒野聖」で破戒僧宋朝を演じた
結局総売り上げは最終的に十億円という驚異的なヒットであった
ただし北林けんが貰ったギャラは二日で9万円だったという
あらすじ というほどのものじゃないが
洗濯屋のケンちゃんが御用聞きに回るうちに知り合った二号さんと様々なセックスを演じるというもので 二号さんが「パパにここの毛を剃れというの」とシェービングを塗ってツルツルになるまで剃ったあと最近来ないパパを思い出しながら電動バイブでオナニーをする さらに二人で千葉浦安の埋め立て地(後のディズニーランドの場所と言われる)にハイキングに出かけ 放尿シーンのあと太陽の下で「青カン」色々な体位のプレーを見せる
その後友達の彼女を騙して新宿のラブホテルで強姦シーンもあり そのテクニックに参った女は恍惚としてシャワーを浴びる
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