白鷺だより

50年近く過ごした演劇界の思い出話をお聞かせします
     吉村正人

白鷺だより(368)「かあちゃん」解題

2020-02-19 10:19:45 | 日本香堂

         「かあちゃん」解題


 今年の日本香堂の観劇会は山本周五郎作「かあちゃん」を取り上げます
山本周五郎作品は2018年に著作権が切れました
名作が多いので今後舞台される作品が増えると思います
日本香堂では「ゆうれい長屋は大騒ぎ」以来の舞台化になります

この作品は昭和30年に雑誌「オール読物」7月号に発表されました
「小学生時代の級友の一家をそっくりモデルにした」と作者は書いてます
というよりこう書かなければならない事情があったのです
それは話があまりにも綺麗でその時代でさえも「ウソ」くさい話だったからです

長男市太以外誰もが知らない男がちょっとした過ちで捕まった
彼が市太を更生させた恩人であるという理由だけでこの一家はかあちゃんを中心に
彼が出所してきた後の生活の資本を作ってやる それも近所付き合いも欠き守銭奴と
悪口を叩かれながら 碌なものも食べず 寝る間も惜しんで働き続けるのである
そしてたまたま押し込んだ泥棒でさえもその一家に同化させてしまうのである
これが「ウソ」でなくてなんだろうか

それに泥棒の身の上を聞いたかあちゃんは「大嫌いだ、私は」と声を震わせます
そして静かに言う「子として親を悪く言う人間は大嫌いだ」
作者はいう「ただ一行のために私は一編の小説を構想した かあちゃんのこの言葉を書きたくて私はこの小説を書いた」

時代小説は過去の時代の人びとを描きながら現代の人びととの生き方を探る役割を担っている
いかに友達の家の実話にしても余りにもウソくさい
しかし このウソが人々に感動を与えるならば舞台に上げてもウソをつきとおさねばならない

今回の劇化は第一幕は原作通り 第二幕は一家の設定はそのままにオリジナルな内容です
頭の長屋表門は「ゆうれい長屋は大騒ぎ」の冒頭と全く同じで戦前の名作 山中貞雄監督の「人情紙風船」の冒頭部分をそっくりコピーしました こうなったら僕が長屋ものを演るときはずっとこれにしょうかな
ラストの長屋衆のバカ騒ぎは黒沢明監督の「どん底」のバカ騒ぎのパロディで監督は江戸落語から盗りました

以下この「かあちゃん」の舞台化作品、テレビドラマ化作品、映画化作品を紹介します

舞台化作品

昭和39年 南座 松竹家庭劇 お勝 十吾 市太 高田次郎 勇吉 石井均
昭和51年 名鉄ホール お勝 山岡久乃 おさん 音無美紀子 七之助 坂上忍
昭和55年 歌舞伎座 中村錦之助特別公演 お勝 淡島千景 勇吉 中村嘉葎雄
平成元年  明治座 石井ふく子演出 お勝 赤木春恵 おさん 大空真弓 勇吉 松山政治
平成3年 手織座 俳優座劇場 大西信行演出 お勝 宝生あや子
平成9年 前進座劇場 お勝 いまむらいずみ
平成28年 明治座 石井ふく子演出 お勝 藤山直美 中村雅俊 八千草薫
 (原作から離れ殆どオリジナル・鎌田敏夫脚本)

テレビドラマ
昭和32年 山田五十鈴
昭和33年 夏川静江
昭和47年 三益愛子
昭和52年 森光子
昭和62年 市原悦子
平成12年 野川由美子

映画化
平成13年 市川崑監督
お勝 岸恵子 勇吉 原田龍二 おさん 勝野雅奈恵

いずれおとらず当代の「おかあさん」役者が演じてきました

なお武漢コロナの影響で2020年度公演、20:21年度公演は中止となりました


白鷺だより(350)熊谷真実一座旗揚げ公演

2019-06-05 11:53:56 | 日本香堂
 
今年の日本香堂観劇会も好評裏に無事千秋楽を迎えることが出来た
今回は多少冒険かと思われる「熊谷真実一座旗揚げ公演」と銘打った公演でいわゆる商業演劇では取り上げることのない座組である
 客を呼べる歌手でもなく、大劇場での座長公演も何度も演った経験もない熊谷を座長として公演するのは 以前にも左とん平さんがいた もちろんいい作品を持ってくれば「客」は心配しなくてもいい スポンサーである日本香堂さんにはそう言ってもらってはいる
もちろん それに甘えていてはダメだ 観に来てくれたお客様にそれなりに「満足感」というものを持って帰ってもらわねばならない
それはお弁当やお土産品にも もちろん内容にも言える

今回の出し物は日本香堂さんのご挨拶に続いて
第一部に正装した熊谷座長による「口上」
その後速水映人による「女形舞踊」続いて
小松政夫さんが挨拶代わりの「電線音頭」「しらけどり音頭」、
そのあと小松さん+かんからの入山君(何年かぶりの仕事)とニュースコント 
音無美紀子さんと川野太郎、あご勇さんの司会で「音無美紀子の歌謡喫茶」(音無さんが昔の「歌声喫茶」風に歌を持って東北の被災地を励まして回っているのを再現)
そのゲストに熊谷さんが華麗なるドレス姿で第二部のお芝居のテーマソング「煙が目に染みる」を歌う
そして日本香堂のキャラクター「かおるちゃん」と「定吉くん」が出て一緒に「青雲の歌」を歌おうと客席にお願いする
客席にいる残りの出演者たちと共に「青雲のうた」を歌い特売品の「お線香」を販売

ここに一年前のラインの記録がある 制作の岩崎と僕 それに当時の熊谷のマネージャーYさんの三人のグループラインだ
タイトルを「熊谷真実座長公演実行委員会」という
これを見ると昨年の4・5にグループを作り 
その間昨年の公演(明日の幸福)の稽古 本番があり 公演が落ち着いた5・12 僕は下北沢の劇場に加藤健一事務所の「煙が目に染みる」を熊谷さんとYさんとで見ている この公演は昔Yさんが初演をみて感動した芝居だ
今回は作者の堤さんが演出ということで 他の劇団の公演をいくつか見た僕にとっても興味ある公演であった
公演を見た後 四人で近所で食事をした 
このグループラインはポスター撮りのキャラクターや段取りを決めた頃 いつしか立ち消えになった
理由が良く判らないうちにYさんはマネージャーを辞め 個人事務所は解散となり 熊谷の新しい事務所が発表された
岩崎がラインから脱会したのが 6・15だ

さて今回稽古二日前に小松さんから提案があった 小松さんは前月博多座公演に一か月参加しており その疲れから台本を覚えられない、
もう少し軽い役にしてくれと言ってきた 幸い八十吉さんが役の変更を快く招致してくれ その役の代わりをあご勇さんにお願いし あごさんの役を小松さんにやってもらうことになった このメンバーで本読みをしたが全く問題なくむしろ最初からその配役だったようだった

正直言って今回の「煙が目にしみる」は僕がみたどの劇団(YouTubeを含む)の「煙~」より出来が良く涙も感動も笑いも大きかった
もともと声優たちの劇団の「あてがき」で始まったこの芝居は当然ながら余計な処も多く饒舌になりすぎていた 
それを二本立ての一本ということで短く収めなければと 多くの「刈り込み」や「カット」をした分 内容が纏まり より笑わせ より泣かせという結果になった 配役も皆適役で熊谷の桂おばあちゃんをはじめ 奥さんの音無さんはドンピシャ 川野太郎、八十吉の幽霊も良く、
高校生役のの梨澤さん(カゾクマンのイエロー)、大学生役の田村も年齢的には無理なハンデを克服した
北見の娘役の西浦八重子もプロフィールだけで選んだのに期待以上よくやってくれた

今回の成功の要因は音楽だ 第一部で音無さんにたっぷり歌って貰ったので 劇中急に歌い出しても違和感がなく彼女が歌う古関裕而の
夏の高校野球選手権大会の歌、「栄冠は君に輝く」はお客の涙腺を緩めるのに十分だった
あとはいつも僕とコンビを組んでくれて音楽を担当してくれている小野尊由さんの阿吽の呼吸と言おうか素晴らしい「煙が目にしむる」のBGアレンジは見事な出来であった (今回は第一部の歌謡喫茶のカラオケまで担当してもらっての失礼かつ無茶なお願いも聞いてもらっての仕事だった)あと「ギターを持った渡り鳥」のウエスタンアレンジも往年の旭ファンも納得させる出来栄えだった

おばあちゃん役が成功すれば後はどんな役でも喜んでもらえる
第三部岡本さとる作・演出「おくまと鉄之助」はおきゃんな芸者役で鉄之助との恋物語や小林功さんとの父娘の情愛もたっぷり見せる好作品になった

第一部、第二部、第三部と居並びの挨拶まで熊谷真実のあらゆる「いいところ」を見せることが出来た

千秋楽には立ち上げメンバーでもある元マネージャーYさんんも駆け付けてくれ なみだなみだの千秋楽となった
大坂某所で行われた打ち上げには某有名歌手の飛び入り参加もあり 夜明け近くまで続いた

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白鷺だより(322)雑感「明日の幸福」

2018-05-30 21:55:48 | 日本香堂
 雑感「明日の幸福」

 僕が初めて北条秀司の「王将」をやった時 「天皇」の脚本は一字一句変えて演じてはいけないとの不文律があり 実際みんな「てにをは」も間違いなく喋っていた その北条天皇と一緒に昭和35年劇作家の地位向上を目指し「劇作家4人の会」を菊田一夫 川口松太郎らと結成したのがこの「明日の幸福」の作演出だった中野実だ 
 この頃の新派は新劇風に台本に忠実に 演出家に忠実にという姿勢であったので 役者が一番偉い歌舞伎系の劇団の作り方とは違い台本至上主義であった 実際この作品の初演の舞台中継を見たが「プロンプ」が入っているとはいえ皆悪戦苦闘台本通り喋っていた
 
資料によるとこの「明日の幸福」は昭和29年 明治座が初演で好評を博し 翌12月新橋演舞場で再演 翌年大阪歌舞伎座で公演(今回の美術を担当の竹内志朗先生はこの公演を見ている)さらにまた翌年名古屋御園座で公演 その後も昭和51年の明治座公演まで中野実は実に8本計12回も作演出を行った(昭和53年没)

ということはこの作品はこの22年間ほとんど手を入れることなく(この作品で親子三代全役出演した、いわばこの作品の生き字引 水谷八重子さんによると)変更は離婚慰謝料の額100万円と新幹線時代になって「特急つばめ」がカットされたくらいらしい 今回八重子さんの意見でその「つばめ」を復活したら一瞬にその時代が蘇った感じがした(といっても国鉄時代を知っている我々だけだが)

ということは歴代の新派の役者さんたちは色々疑問点があっても台本通り 演出家の言う通りに演じ続けて来たと言うことだ 
そしてそこから余計な芝居をせず台本通り演じていれば「笑い」は沸き起きる、「受ける」という伝説も生まれた

それに敢然とたちむかったのがあとを引き継いで演出を担当した石井ふく子だ 
極端な演出は裁判所が全くないバージョンもあったそうだ
彼女は初演の寿敏を演じた伊志井寛の娘だ
今回八重子さんは「監修」という意見を言える立場であったため演出家(成瀬芳一)によくここは「石井流」で行くの?「中野流」で行くの?と聞いていた 聞いていると石井演出は大げさな演技(余計な芝居)で笑いをとるというイメージが強い

さて昭和29年当時超現代劇であったこの作品も時が経つにつれて「時代劇」になってきた 造船疑獄なんて言葉も聞いたこともない人たちにも時代を感じさせることがどうやって伝えるか 依田(吉田) 的山(鳩山) 二木(三木) モデルになった政治家の顔が誰も浮かばない 当時は笑いがきていた政治的会話も通じない スライドでもナレーションでもいい 時代(昭和29年)を表せればいいとは思う

倉の明かりが点いていれば倉に人がいることになり出て行くときには蔵の明かりが消える
この理屈を客が判るのは蔵の窓の位置的に難しく やっと二場の終わりに曰くありげに覗くシーンでやっと意味が判る もちろん最後まで判らぬ客も多い 

人の流れがジグソーパズルのように張り巡らされた構成は見事というしかないが色々疑問点もある

調停委員の二人がおのおの弁護士であり教育家であることは登場人物の紹介のところに書いてあるだけでそんなセリフもなく何者かよく判らない また書記の林は二幕になってやっと書記らしき仕事をするのは何故か?

第2幕2場で寿敏が蝙蝠傘を持って帰る動きをつけたから「名古屋に送る荷物に入っていて蝙蝠傘はないのではないか」と指摘したら認めて変更した どうやら一幕一場二場 一幕三場四場と同じように第二幕も同じ日だと勘違いしていたようだ(二幕一場で寿敏が初めて裁判所に蝙蝠傘を持ってくるシーンがある)

二幕二場で寿敏が長い間こたつの前に座っているとき 火が入っているかどうか気付かなかったのかとおもってしまう

競馬の3=2という表現はおそらく馬単(平成3年より)などない時代だから一着が寿一郎の馬タイセイで2着が本命馬という発想だろう 
作者が競馬などやったことのない人物で その表現の間違いを誰も指摘する人がいなかっただけで 別段目くじらを立てる問題ではない
それより自分の馬が落馬骨折した場合馬主としては殺処分をも考えなければならない
障害レースだから早い目のレースだ 首から望遠鏡をぶら下げている競馬見物している場合ではないとおもうが

人が来るおそれのある座敷の真ん中で埴輪の箱を風呂敷に包むシーンがおかしいとの意見も出た 
いくら蔵と言えどそんなに狭くもなかろう 蔵で包んでくればいいという
昔のビデオを見ると箱を持って出て 仏間にある小ダンスから風呂敷を出している
今回みたいに最初から風呂敷を持って出るからオカシク思うのだ

寿一郎の誕生日(年末)のフリがなく 第二幕が十一月だというフリもないので(因みにい一幕一場二場が九月 一幕三場四場が十月)
淑子の「あせり」がよく判らぬ

埴輪が象徴するものが古き日本の家庭に根付く因習といったものならばこのテーマが今日まで通じるとは思うが「かみなりおやじ」(今回若林豪さんが好演)が壊滅した現在ではどうか


この作品はそれまで新派の狂言が二枚看板花柳章太郎 水谷八重子でおのおの一本づつ主役狂言を並べて公演していたがどうにも客足が伸びず 苦肉の策で二人共演作品として出したらこれが大当たりしたという曰く付きの作品でそれ以後新派の時代時代の危機を支えてきた作品です

今年は新派が130年の記念の年にこの作品を上演出来たことをうれしく思います

(2018 5・7~5・29 日本香堂謝恩観劇会にて上演)

 

  

白鷺だより(317)日本香堂謝恩観劇会のあゆみ

2018-05-16 11:27:02 | 日本香堂
日本香堂観劇会のあゆみ

それ以前の公演は詳しいことは資料に残っていないので判らない
吉本新喜劇が中心の公演だったらしい

井川企画の川井太一氏がプロデュース

昭和52年 唄啓劇団 「くちなしの花」「東京ロマンチカショー」
昭和53年 唄啓劇団 「親恋鴉」「高田浩吉ショー」
昭和54年 唄啓劇団 「唄啓旅日記 ぼんくら三度笠」「榎本美佐江ショー」
昭和55年 唄啓劇団「夏祭り住吉囃子」「和田弘とマヒナスターズショー」
昭和56年 唄啓劇団「母恋鴉流れ旅」「三田明ショー」
昭和57年 唄啓劇団「海鳴りの宿」「春日八郎ショー」
昭和58年 唄啓劇団 「五月晴れ喧嘩囃子」「東京ロマンチカショー」
昭和59年 唄啓劇団 「爆笑水戸黄門漫遊記」「田畑義夫ショー」
昭和60年 唄啓劇団 「舟唄恋唄梅の酒」「園まり菊池章子ショー」
昭和61年 唄啓劇団 「花吹雪めおと傘」
昭和62年 唄啓劇団 「花嫁衣裳」

 この旅で鳳啓助倒れる 代役は弟の志織満助

昭和63年 京唄子  「女座長の詩 雪之丞変化」「花村菊江ショー」
平成元年 未確認
平成2年 未確認
平成3年  京唄子  「なにわの花道」「お笑いショー」
平成4年 安井昌二  「無法松の一生」
平成5年  京唄子  「嫁と旅役者」
平成6年 安井昌二 池畑慎之介 「一本刀土俵入り」

 この作品より吉村スタッフに入る 以降殆どの作品の企画・演出を手掛ける
 鳳啓助長期入院の末死去

平成7年  京唄子 「赤い風車と花笠道中」「春に舞う」
平成8年 安井昌二、宮園純子「なにわ恋歌 夫婦三味線」
平成9年 長門勇、三浦布美子「城崎温泉繁盛記いろはにほへと」
平成10年 京唄子 「森の石松血笑旅」「舞踊ショウ」
平成11年 園佳也子 「お初天神」
平成12年 三浦布美子、宮園純子「浪花人情 花のぬくもり」
平成13年 山口崇 「日本香堂物語 夜明けの歌」
平成14年 園佳也子 「がめつい奴」
平成15年 松竹新喜劇「裏町の友情」「お種と仙太郎」
平成16年 松竹新喜劇「大人の童話」「お祭り提灯」
平成17年 松竹新喜劇「人生双六」「駕籠や捕り物帖」
平成18年 新派・松竹新喜劇「片恋」「銀のかんざし」
平成19年 林与一 沢田雅美「夫婦善哉」
平成20年 京唄子 「浪花のれん」
平成21年 新派・松竹新喜劇「じゅんさいはん」「お色気噺 お伊勢帰り」

 公演前の2月吉村大動脈解離で倒れる 幸い一命をとりとめる

平成22年 新派 「お江戸みやげ 狐狸狐狸ばなし」
平成23年 松竹新喜劇「鼓」「八人の幽霊」
平成24年 左とん平「月夜の一文銭」
平成25年 加藤茶「江戸みやげ 名代夫婦餅ものがたり」
平成26年 新派・新喜劇「大当たり 高津の富くじ」「文の助茶屋」
平成27年 左とん平「ゆうれい長屋は大騒ぎ」
平成28年 新派水谷八重子「愛のお荷物」
平成29年 左とん平「味の家の人びと」

 公演後すぐ左とん平倒れる 翌2月死去
 この年京唄子死去

平成30年 水谷八重子「明日の幸福」
令和元年  熊谷真実一座旗揚げ公演 「煙が目にしみる」「おくまと鉄之助」
令和2年  山本陽子「かあちゃん」 コロナのため中止
令和3年   コロナのため中止





白鷺だより(316)「煙が目にしみる」解題

2018-05-14 11:18:02 | 日本香堂
「煙が目にしみる」解題



この作品は1997年 当時声優として人気を誇っていた薔薇座出身の鈴置洋孝さん(トムクルーズの吹き替えなど)が声優仲間を集った演劇チーム、「鈴置洋孝プロデュース」のためにプラチナペーパーズの堤泰之が書き下ろした作品です

その時のことを堤さんは次のように書いている
「原案&プロデューサーの鈴置さんからお話をいただいた時は丁度私の祖父が亡くなった直後で お葬式を題材にした話を書きたいと思っていたのでまさに渡りに船でした
普段は筆の遅い私ですが何かに取り憑かれたように尋常じゃない速さで書き上げたことを覚えています」

初演は1997年9・11~15 7回公演 シアター・サンモールでした
配役は 内海賢二(北見)麻生美代子(桂)鈴置洋孝(野々村浩介)

内海賢二さんはステイーブ・マックイーンの吹き替えで有名で「北斗の拳」のラオウで人気だった 台本通り立派なアゴヒゲを蓄えていたしヘビースモーカーだった
麻生美代子さんはサザエさんのフネ役を「卒業」するまで続けていた方
鈴置洋孝 前述通りトム・クルーズの吹き替えで有名だが当時は「るろうに剣心」の斎藤一で人気だった 同じくヘビースモーカーだった

あらすじ
桜咲く季節 とある田舎の斎場 その待合室で白装束を着た二人の男(内海賢二、鈴置洋孝)が煙草を吸っていた 
彼らはこれから火葬される幽霊たちだが この世に未練があるらしくあの世に行くことを躊躇っていた 
しかしただ一人ボケ始めてきたおばあちゃん(麻生美代子)にはどういうわけか死んだ二人の姿や声がわかるらしい 彼らはおばあちゃんを通じて遺した人々に何かを伝えようとする・・・・・
いつか、あなたが死んじゃったときのためのおとぎ話・・・


初演が好評であったため 翌1998年11月 第二回公演を同じくサンモールで上演
そして2000年 札幌や旭川の市民劇場をはじめ各地で初の地方公演
東京では紀伊国屋サザンシアターにて再再演(8・24~27)

そのキャッチフレーズは
「テレビで演じるときの声だけ知っている声優さんたちですが 舞台でも素晴らしく熱気あふれた演技を披露して下さいます 地方の方も この機会にぜひ生の演技に触れてくださいね」とある

この2000年はこの作品にとって大きな転換期を迎える 加藤健一事務所がこの作品をはじめて取り上げたのだ 3月 久世龍之介演出
そして理論社から戯曲が出版され(9月)全国の書店に並ぶことになった それを機に地方の劇団から上演許可の申し込みが届き始めた それから18年 作者の元に届いた上演許可願いは200を超える劇団から申請があった これはほぼ毎月一回はどこかで上演されていたことになる数字だ 

やがて原案・プロデュースの鈴置が2006年 56歳の若さで肺癌で死去
その時追悼公演でこの作品を上演

彼が鈴置洋孝プロデュース公演と銘打って上演した作品
煙が目にしみる(1997、1998,2000、2003)
スターダスト(1999) 見果てぬ夢(2000、2001)
誰かが誰かを愛している(2001)思い出のサンフランシスコ(2002)
恋の片道切符(2004)ムーンリバー(2005)
愛さずにはいられない(2006)素晴らしいこの世界(2007)

内海賢二も2013年死去
フネさんこと麻生美代子は2015年46年間続けて来たフネ役を卒業
(今年8月老衰で92歳で亡くなった)

加藤健一事務所公演はその後2002年 2005年と再演したが(いづれも久世龍之介演出 加藤健一の桂)
このたび作者の堤泰之の演出で本多劇場にて公演した

(2018年5月12日本多劇場にて観劇)


(追記)
来年の日本香堂観劇会は「熊谷真実一座公演」と銘打っての公演と決まった

お芝居二本立てで出し物の一本は売れっ子作家の岡本さとる氏が書き下ろす「明朗時代劇」で
もう一本は堤泰之さんの原作で「煙が目にしみる」(演出は僕)に決まった