巡業ものがたり
久しぶりに九州地区だけでも一緒に回ったおかげで昔舞台監督時代巡業を廻った時のことを思い出した そのころ九州地区は山形屋などの百貨店のご招待が盛んで我々みたいな駆け出しでもミヤコ蝶々 藤田まこと かしまし娘など多く仕事が回って来ていくつかの思い出がある
鹿児島公演
そのころは夜行で西鹿児島駅まで行って早朝に着くのが大阪からのコースで一度何かは桜島の噴火の灰で一面が積もってまるで銀世界のようだった キュキュと踏みしめる灰の雪はまた違った趣があった
今回公演をやった市民文化ホールが出来たばかりで桜島を望む埋立地にポツンと立っていて近くにはホテルのほか何もないという有様だった パチンコに凝っていた中村玉緒はパチンコ屋のある天文館近くのホテルにサッサと引っ越す始末だった それ以前は看板さんは城山観光ホテルで下っ端とスタッフは古い大きな旅館で泊りだった ある日関西演劇界の大御所Nが山から下りてきて「あんな高い朝食はよう食べん」と我々の旅館に合流した 僕も女中さんに気に入って貰って苦手な納豆以外の一品をいつも貰っていた
鹿児島公演での思い出は台風が鹿児島沖で2日間ストップしたことがあった 前日の川内公演は仕込んでいる最中に避難民が押し寄せ(川の方が高い町でいつも水没していた)我々の仕込みを見ていた 川内は中止となったが翌日の鹿児島公演も仕込みだけやって台風が去るのを待ったがその日中にはビクとも動かず結局中止となった 会場から海をみるとはるかかなたに台風らしきものが渦まいているのが見えるようだった
最近も同じように鹿児島沖で台風が止まって何十年振りかの出来事だと言っていたがその時のことだ
台風
台風で思い出したが制作助手として金沢から高松に移動する旅の前乗りをしたとき 宇部で台風に会い急遽一行を大阪で降ろして泊まらせ翌日台風一過宇高連絡船に乗せたことがあった 今のように携帯もない時代によくやったものだ
東芝日曜劇場2000回記念公演の時である
唄啓劇団
僕が梅コマに入った頃は日本香堂唄啓劇団公演に梅コマのミュージカルチームが何人か連れて行ってもらっていた そして必ず「やられて」帰ってきた 一度は妊娠騒ぎにまでなってその相手の中堅男優はコマ差し止めを食らった そのころ鳳啓助のワンマンだった劇団は入れ食い状態で チーム一可愛かったAもその後の大物男優や有名演歌歌手の弟を手玉に取る片鱗を見せ座長の傍にべったりの状態だったらしい
幕を掛ける
前年度の公演費の回収旅をやったことがある 会場に着くと我々はまず仕込みに掛かりいつでも開演できる状態にしておく
やがて客が集まりだすとその売り上げを幾らか取り上げ客が騒ぎ出したら出し渋った昨年度の借金をもふんだくり おもむろに幕を開けるという離れ業を毎日繰り返した
九州ソープ制覇
現在みたいに一人一部屋なんて夢の又夢であった旅館の大部屋で全スタッフ雑魚寝という あの頃は「あっちの処理」にも苦労した 福岡 宮崎 鹿児島 大分 長崎 夕飯のあとは夜の街に繰り出してソープ通い 貰った祝儀は全てソープに使った 土地土地の方言が快く聞こえそれはそれで中々いいものである 結局九州全県制覇してしまった 現代の若い奴らはそんな「そぶり」も見せないがどうしているのだろう
おさせ
何の公演だったかいわゆる「おさせ」(公衆トイレ)が話題になり ある漫才師に「あれ、先生は知らなかったんですか? てっきり知ってて入れてくれてると思ってました」とこともげもなしに言われ ある男優に真偽を尋ねたところ「おれも聞いてびっくりして試してみたら本間に好きものやったで あんたやってまへんのか」という 某スター男優のお付きであった彼女はそんなそぶりも微塵とも見せず芝居に精出していると思ったが・・・「おさせ」の一人や二人入れ込むのが巡業の頭取の腕だという
愛のシンフォニー
松本伊代のミュージカルで鹿児島が本州最後で次の沖縄公演の道具をフェリーで送り出したあと 飛行機での出発まで2日空いた時 制作に(アイエスにあらず)「吉村さん 大阪に(抜きに)帰ってきませんか」と飛行機の切符を渡された 今回参加してなかった小道具の人の名前の切符だった 「いや大丈夫ですよ」と言って夜部屋に帰ると若い女が居て○○さんに来いと言われましてという 電話が掛かり「例の切符キャンセルしたお金で呼びました 気にいらなかったらチェンジOKですんで」という 伊代サイドの人間たちが「アイエス」を食い物にしている まだ梅沢や舟木を扱う前のアイエスであった
次の日飛行機で僕は生まれて初めて沖縄に渡った
那覇市民会館では沖縄舞台さんが協力してくれてお礼に本土から持って行った道具類を全て差し上げた
不入り
巡業はどこへ行っても満員とは限らない 今は大女優となっている仮にSという女優が人気絶頂のころ 彼女の兄さんが一座を作り巡業に打ったことがある 人気の過信か宣伝不足かどこへ行っても入らない その移動中のバスの中はお通夜のよう そんな雰囲気を打ち崩すのが喜劇人の役目だと思うが大看板のOはこともあろうかそのSにギャラは貰えるのかと詰め寄り泣かせてしまった 僕はこの役者がどんないい芝居をしょうが許さない
吉村旅館
僕の実家がある三重県の名張市で梅沢公演を打った時 ホテルがないので僕の実家をスタッフの泊まる場所として解放した 夏だったので男性は居間で雑魚寝 照明の女の子は僕の母と寝た シャレで予定表に「吉村旅館」と書いてあったらしく とある興行社の人が問い合わせて来た その日は付き合ったが会場の近くはホタルで一杯飛んでいて綺麗だった
久しぶりに九州地区だけでも一緒に回ったおかげで昔舞台監督時代巡業を廻った時のことを思い出した そのころ九州地区は山形屋などの百貨店のご招待が盛んで我々みたいな駆け出しでもミヤコ蝶々 藤田まこと かしまし娘など多く仕事が回って来ていくつかの思い出がある
鹿児島公演
そのころは夜行で西鹿児島駅まで行って早朝に着くのが大阪からのコースで一度何かは桜島の噴火の灰で一面が積もってまるで銀世界のようだった キュキュと踏みしめる灰の雪はまた違った趣があった
今回公演をやった市民文化ホールが出来たばかりで桜島を望む埋立地にポツンと立っていて近くにはホテルのほか何もないという有様だった パチンコに凝っていた中村玉緒はパチンコ屋のある天文館近くのホテルにサッサと引っ越す始末だった それ以前は看板さんは城山観光ホテルで下っ端とスタッフは古い大きな旅館で泊りだった ある日関西演劇界の大御所Nが山から下りてきて「あんな高い朝食はよう食べん」と我々の旅館に合流した 僕も女中さんに気に入って貰って苦手な納豆以外の一品をいつも貰っていた
鹿児島公演での思い出は台風が鹿児島沖で2日間ストップしたことがあった 前日の川内公演は仕込んでいる最中に避難民が押し寄せ(川の方が高い町でいつも水没していた)我々の仕込みを見ていた 川内は中止となったが翌日の鹿児島公演も仕込みだけやって台風が去るのを待ったがその日中にはビクとも動かず結局中止となった 会場から海をみるとはるかかなたに台風らしきものが渦まいているのが見えるようだった
最近も同じように鹿児島沖で台風が止まって何十年振りかの出来事だと言っていたがその時のことだ
台風
台風で思い出したが制作助手として金沢から高松に移動する旅の前乗りをしたとき 宇部で台風に会い急遽一行を大阪で降ろして泊まらせ翌日台風一過宇高連絡船に乗せたことがあった 今のように携帯もない時代によくやったものだ
東芝日曜劇場2000回記念公演の時である
唄啓劇団
僕が梅コマに入った頃は日本香堂唄啓劇団公演に梅コマのミュージカルチームが何人か連れて行ってもらっていた そして必ず「やられて」帰ってきた 一度は妊娠騒ぎにまでなってその相手の中堅男優はコマ差し止めを食らった そのころ鳳啓助のワンマンだった劇団は入れ食い状態で チーム一可愛かったAもその後の大物男優や有名演歌歌手の弟を手玉に取る片鱗を見せ座長の傍にべったりの状態だったらしい
幕を掛ける
前年度の公演費の回収旅をやったことがある 会場に着くと我々はまず仕込みに掛かりいつでも開演できる状態にしておく
やがて客が集まりだすとその売り上げを幾らか取り上げ客が騒ぎ出したら出し渋った昨年度の借金をもふんだくり おもむろに幕を開けるという離れ業を毎日繰り返した
九州ソープ制覇
現在みたいに一人一部屋なんて夢の又夢であった旅館の大部屋で全スタッフ雑魚寝という あの頃は「あっちの処理」にも苦労した 福岡 宮崎 鹿児島 大分 長崎 夕飯のあとは夜の街に繰り出してソープ通い 貰った祝儀は全てソープに使った 土地土地の方言が快く聞こえそれはそれで中々いいものである 結局九州全県制覇してしまった 現代の若い奴らはそんな「そぶり」も見せないがどうしているのだろう
おさせ
何の公演だったかいわゆる「おさせ」(公衆トイレ)が話題になり ある漫才師に「あれ、先生は知らなかったんですか? てっきり知ってて入れてくれてると思ってました」とこともげもなしに言われ ある男優に真偽を尋ねたところ「おれも聞いてびっくりして試してみたら本間に好きものやったで あんたやってまへんのか」という 某スター男優のお付きであった彼女はそんなそぶりも微塵とも見せず芝居に精出していると思ったが・・・「おさせ」の一人や二人入れ込むのが巡業の頭取の腕だという
愛のシンフォニー
松本伊代のミュージカルで鹿児島が本州最後で次の沖縄公演の道具をフェリーで送り出したあと 飛行機での出発まで2日空いた時 制作に(アイエスにあらず)「吉村さん 大阪に(抜きに)帰ってきませんか」と飛行機の切符を渡された 今回参加してなかった小道具の人の名前の切符だった 「いや大丈夫ですよ」と言って夜部屋に帰ると若い女が居て○○さんに来いと言われましてという 電話が掛かり「例の切符キャンセルしたお金で呼びました 気にいらなかったらチェンジOKですんで」という 伊代サイドの人間たちが「アイエス」を食い物にしている まだ梅沢や舟木を扱う前のアイエスであった
次の日飛行機で僕は生まれて初めて沖縄に渡った
那覇市民会館では沖縄舞台さんが協力してくれてお礼に本土から持って行った道具類を全て差し上げた
不入り
巡業はどこへ行っても満員とは限らない 今は大女優となっている仮にSという女優が人気絶頂のころ 彼女の兄さんが一座を作り巡業に打ったことがある 人気の過信か宣伝不足かどこへ行っても入らない その移動中のバスの中はお通夜のよう そんな雰囲気を打ち崩すのが喜劇人の役目だと思うが大看板のOはこともあろうかそのSにギャラは貰えるのかと詰め寄り泣かせてしまった 僕はこの役者がどんないい芝居をしょうが許さない
吉村旅館
僕の実家がある三重県の名張市で梅沢公演を打った時 ホテルがないので僕の実家をスタッフの泊まる場所として解放した 夏だったので男性は居間で雑魚寝 照明の女の子は僕の母と寝た シャレで予定表に「吉村旅館」と書いてあったらしく とある興行社の人が問い合わせて来た その日は付き合ったが会場の近くはホタルで一杯飛んでいて綺麗だった