白鷺だより

50年近く過ごした演劇界の思い出話をお聞かせします
     吉村正人

白鷺だより(446) 観劇記「帰ってきたマイ・ブラザー」

2023-06-30 10:01:34 | 観劇

「帰ってきたマイ・ブラザー」を観て

 老体に鞭打つて京都まで観劇に来ることになったのは 大阪、兵庫がいずれもソールドアウトになったためであった

  しかも其の京都の前の仙台公演が関係者の都合で中止となり公演が危ぶまれたが「堤真一休演」で代役に演出家の小林顕作と決まり強行することでこの公演の最終地公演を締めくくろうと計った

 水谷豊✕段田安則✕高橋克実✕堤真一+寺脇康文✕池谷のぶえ✕峯村リエといった凄いメンバーで4月世田谷パブリックシアターで1ヶ月公演そのあと2ヶ月かけての地方公演(大阪〜福岡〜新潟〜札幌〜仙台(中止)そしてラストの京都)は6月30日をもって完了する

会場は八割60〜70代のおば様方 付添の旦那 お昼休みを「相棒」の再放送で過ごす人達でキャパ2000は満員状態 シス・カンパニーも仙台2日間の休演は屁とも思わない大ヒット公演であろう

水谷豊は20年ぶりの舞台だそうで大人になってから二本目の作品らしい 周りをベテラン舞台人で固めた理由である

シス・カンパニー所属の俳優兼脚本家のマギーの脚本 俳優兼声優兼脚本家兼演出家兼ダンサーの小林顕作の演出(それに今回は堤真一の代役も)

あらすじ

かって大ヒット曲「マイ・ブラザー」を放ちながらあっと言う間に表舞台から姿を消した兄弟グループ「ブラザース4(フォー)」 今は別々の道を歩む若村家の兄弟(水谷、段田、高橋、堤)だったがひょんなことから令和の現代にその存在が再び脚光を浴びることに かってのファン(峯村、池谷) やかってのマネージャー(寺脇)も集まって、ついに再結成の日を迎えるのだが 果たして四兄弟は無事に歌声と絆を取り戻せるのか

兄弟の苗字は若村 若(じゃく) 村(そん) そうジャクソンブラザースを意識したネーミング

予定調和的に話は進み最後は客席を復帰公演会場に見立てた歌謡ショー かってのヒット曲「マイ・ブラザー」はよく歌い込まれていて「夕暮れまで遊んだ空き地、君の手を握った帰り道、僕らを映した影法師、どこまでも追いかけてきたよ」などのマギーの詩が見事にはまってなる程ヒットした曲の雰囲気がでている

さて演出家の小林顕作の堤真一の代役ぶりはよく演ってはいたが残念ながらこの宛書きだらけ作品には通用しなかった

3妹弟の長男である僕には身に包まれる話ではある どうしても長男である水谷豊の目で観てしまう

カーテンコールのお喋りで京都出身の段田が自分と京都会館との思い出を語ったが以外とこういう話が胸を打つ

今歌詞を見て気付いたが最後に歌う「ふりむかないで」の歌詞にでてくる土地で今回のツワーが決まったと思われる 「ふりむかないで〜 京都の人〜」ここまで書いてよく歌詞を見てみると京都だけがない 段田安則の故郷だからかもう一つ兵庫もない

 

6月29日昼の部 ロームシアター京都にて

 

 


白鷺だより(445) 新宿コマの福田善之

2023-06-22 16:55:39 | 演劇資料

新宿コマの福田善之

 昭和50年代から60年代後半の福田善之は演劇界の旗手であり当時の演劇青年の憧れの的だった 関西の某私大の演劇サークルにいた僕も同じだった 

ふじたあさやとの共作の「富士山麓」(1954)でデビューし、「長き墓標の列」(1957)「オッペケペ」(1958)「オッペケペー」(1961)「真田風雲録」(1962)「袴垂れはどこだ」(1964)と矢継ぎ早に発表しいずれも岸田国士賞の候補にノミネートされ 最後の「袴垂れはどこだ」が受賞したが審査員への不信を理由に辞退する……そんなかっこいい存在だった (辞退は師匠の一人木下順二氏がからんでいたと思われる )

歌手加藤登紀子の書いたものによると1963年東大に入ってすぐ劇研に入部 「長き墓標の列」の主人公の妻役を演じたとある

そんな彼が「江利チエミが見出した演出家」として華々しく「大衆演劇の殿堂」新宿コマにデビュー(昭和46年)したので新劇評論家は驚きの声と批判的な批評をした( 何年か後の蜷川幸雄がそうだったように) この前年、福田は東横劇場で清川虹子主演の「女沢正 あほんだれ一代」の作・演出で上演し、評判をとっていた なかでも主役の女沢正を演った清川虹子に気に入られ彼女の推薦で江利チエミ公演を担当することになった 

(女沢正とは当時清川のヒモだった沢竜二の母、阪東政之助こと酒井マサ子の一代記) 

ちょうどチエミは高倉健と離婚のすぐ後で 沢竜二の思い出によるとチエミに相談されて母親の十八番「葛の葉」をアレンジした「白狐の恋」を提案したとある 原案沢竜二とクレジットされたらしい

昭和46 年11月 コマスタジアム開場15周年記念 江利チエミ新コマ10周年記念 昭和46 年芸術祭参加 チエミの「白狐の恋」作 谷口守男 演出 福田善之

江利チエミ、清川虹子、中村嘉葎雄、花柳喜章、田崎潤、茶川一郎

新劇の批評家は「カネに転んだ」「志をもって演劇を変えようとした人が何だ」と言ったが その演出料はわずか30万だったらしい これは何年かのち僕が松原のぶえのショウの構成・演出のギャラが50万だったことでわかる 

しかし この作品の成果で江利チエミは芸術祭優秀賞を受賞する

翌昭和47年4月も春の東西大喜劇と題して清川虹子主演「おんな赤帽物語」とお笑いバラエティ「花吹雪かしまし一座」の二本を作・演出する

清川虹子、かしまし娘、茶川一郎、石井均、曾我迺家五郎八

そしてその年の10月 山本周五郎「糸くるま」より 作・演出 福田善之      「恋ぐるま」を上演

江利チエミ 勝呂誉、清川虹子、井上孝雄、田崎潤

昭和52年8月 山城新伍芸能生活20周年記念 福田善之作・演出        「泣き笑いチャンバラ一代」

山城新伍、由利徹、西川峰子、東八郎、花園ひろみ

(山城新伍お気に入りの作品でその後何度も再演)     

昭和53年芸術祭参加 福田善之作・演出                  「今竹取物語」 石川さゆり、宝田明、佐山俊二、ジェリー藤尾

昭和54年7月  名作ミュージカル 小川未明原作 福田善之作・演出    「赤いろうそくと人魚」 石川さゆり、園佳世子、茶川一郎

昭和55年6月  福田善之作・演出 谷口守男演出                    江戸慕情 「江戸っ子嬢はん」 都はるみ 曾我迺家五郎八、沢本忠雄                

ギャラは上がったタメシがなかった そんなわけで福田は新コマに対してずいぶん奉じしたわけで昭和56年の「ピーターパン」はそれに対するボーナスみたいなものだった サンデーダンカン主演の舞台をブロードウェイまで観にいったがそのままの演出でやろうとすると色々と条件が煩いので自前の演出でやろうということになった だからブロードウェイミュージカル「ピーターパン」はメイドインジャパンの作品なのだ さて吉村はこの作品が梅田コマで再演するとき(昭和57年4月)初めて福田演出に出会うわけだが実際は演出補の新見正雄が仕切っており(フライングは同じく演出補の樫村君が仕切っていた)その片鱗にも触れることなく終わった この作品で彼のギャラは初めて大台に乗った

何年かのち新しく出来たシアタードラマシティの杮落し公演の野口五郎主演「ミスターアーサー」で親しくなった春風ひとみに一人ミュージカルの話があるのだが迷っていると相談を受けた 演出は誰かと聞いたら福田善之だというそれは是非演ったほうがいいと返事をした

平成6年春風ひとみ一人ミュージカル「壁の中の妖精」上演 

その成果により紀伊国屋演劇賞を受賞

 

( 近代演劇デジタルオーラルアーカイブ 福田善之を参考にした)

 

 

 


白鷺だより(443) 松竹新喜劇に明日はあるのか?

2023-06-12 19:24:22 | 松竹新喜劇

松竹新喜劇に明日はあるのか? 5月新緑公演を観て

 松竹新喜劇5月新緑公演を観た その名のように新しい若手看板を中心とした「新力公演」だ だが新しさは少しも感じられない 若手特有のエネルギーも感じられない これはひとえに五人の新戦力の中に扇治郎が入っているからだ 扇治郎の向こうに寛美の影が大きく見えるからだ あいもかわらす寛美のもの真似が目立つ 

その昔 「久しぶりの新喜劇に客席は三階まで埋まる大入り、顔見世を除いてついぞ最近感じることのない活気に溢れたこの客席を見ていると改めて新喜劇の人気というものを考えさせられる」(京都新聞 昭和39年9月)とか

「大阪道頓堀中座の前の通りは夜の部の開幕を待つ客でごった返す その人達を目当てに物売りまででてる有様だ 松竹新喜劇結成20周年記念興行か人気を呼んでいるのである」(京都新聞  昭和42年1月中座)  とか

「爆笑で二階がくずれ落ちそうになった」とか(爆笑で思い出したが平成15年日本香堂で初めて新喜劇をやったとき市民会館が爆笑で震えた 僕の演出の「裏町の友情」だった 翌年南座で同じメンバーでやったが客席は静まり返っていた(笑))

「テケツではダンボールを足元に置いて札を足で踏みつけて切符を売っていた」などと数々の伝説を産んだ松竹新喜劇はどこへ行ったのだ

それがいつしか社員に切符のノルマを付けさばかせるようになり やがてそれも付け焼き刃だと解り無くなった?

思えば寛美の死(1990)で新喜劇は無くすべきだった  翌年「新生松竹新喜劇」が誕生して以来 いい事が一度もなかった 扇治郎をいれたがなんの役にもたたなかった もはや寛美の孫では商売は無理だ たまたま新歌舞伎座の直美の「泣いたらあかん」をみたが役者の父親の借金の話がどうも客には寛美を思い出すとは行かず感動が薄かった 人気の叔母さんでもそうなんだから扇治郎には「もはや寛美を知ってる人達はいない」と思うところから再スタートだ 旧幹部俳優たちは若い五人に任せて大人しくしておくことだ

今回の「花ざくろ」も扇治郎のモノマネだけで終わった

もう一本の「三味線に惚れたはなし」は初見だがまあこんな話だろう タイトルでオチが解ってしまう 大工3人組は天笑の二枚目はいいとして後の役は一蝶と桃太郎にした方がいいと思う 若しくは寛太郎と桃太郎の役を入れ替えた方がいい 寛太郎がこの役なら余りにも目立ちすぎる 桃太郎は上手くいけば化けると思う

 

 

喜劇ニュース(2023 5月1日) 都筑謙次郎 退団 このニュースには驚いた

この度松竹新喜劇団員の都筑謙次郎が一身上の都合により退団することになりました 昭和58年の入団以来長きに渡り応援くださり誠にありがとうございました

彼には日本香堂公演では長らく「頭取」のような役目を担ってもらった

 新喜劇での彼の不幸は某劇団幹部俳優の娘に惚れられたことだった 周りの先輩たちからの仕打ち 中途半端なものではなかった その娘との仲が壊れ万事休す その時点で退団していれば良かったが彼は悲しいことに新喜劇が大好きだった 重圧に負けず40年間の新喜劇生活だった