神の島・久高島再訪
初めて沖縄を訪れたのは
昭和59年 アイエス制作(梅沢や舟木のずっと前で一番会社がどん底の頃だ)松本伊代主演「愛のシンフォニー」の地方公演の時だ
この作品はその前年人気絶頂の松本伊代を起用して梅コマで上演した作品を各地のオーケストラを使って芝居を見せる趣向 宝塚の岡田敬二演出 僕は演出補でついた 往年の名作「オーケストラの少女」の日本版・どこへ行っても思うように客が集まらずアイエスは悩んでいた・この作品の過程で出来たのが音楽の筒井高志の小説「オーマイパパ」である 彼は音楽と指揮を担当していた
そのころ付き合い始めた今の連れ合いに「親戚が返還後すぐから沖縄に住んでいるので見せてやってほしい」と言われ 那覇市民会館で親戚のAちゃん親子を来るのを待った 今も昔も「沖縄時間」というやつで親子は悪びれず開演ギリギリやって来た
こっちは慌てて南部沖縄観光から引き返して来たのに・・牛の大群に道を邪魔されて・・島全体がのんびりとしていた感じだ
その時まだ子供だった甥っ子は今やバツイチの看護士 姪っ子は祖母がいる広島に帰りアパレル業に成長していく過程を見るように それから毎年のように沖縄を訪ねた
そして殆どの観光地巡りの後 久高島へ行くことになった
前にこの久高島を訪れたのはAちゃんが広島に帰る前、僕が病気で左半身麻痺になる前だから十年以上になる その時は安座間の港から出た20分の高速船が着く港には古い民家が数件しか見えなかった 村落に入ったところの玉城さんでレンタサイクルを借り島の東橋の防風林が続く道をひっくり返りながら(まだ舗装はされてなかった)琉球の祖神アマミキヨが降り立ったといわれるカベール岬まで上がって 帰りには中央の道を村落まで帰って 当時新しく出来た村営のキャンプ場を見て その下の岩場にウミヘビが一杯泳いでいるのを見た
真夏の暑い日だった
その後沖縄に来るたびに斎場御嶽(せいふぁーうたき)の拝所から見ていた久高島だったが 今回12月5日看護師の仕事の休みを取ってくれた甥っ子の車で安座間港まで行った 久しぶりに高速船で行ってみる(一緒に乗っていくのも前回は殆ど郵便小包だったが今回はお歳暮シーズンとはいえ宅急便が多く中にはアマゾンの印が多く目立つ)と徳仁港には綺麗な切符売り場が出来ており そこには新しい自転車が並んでいる店ともう一軒自転車レンタル屋が見える そこから民家群に進んだところにあったかっての自転車貸し屋玉城さんはあるにはあったが古い民家は随分ハイカラな家となっていた しかもその向こうは真新しい小学校が出来ておりその一角に津波避難の高台が出来ていた 学童は二階に避難して残りの村人は全員270人避難できるのかしらとつまらぬ心配をする
丁度僕らが行ったころから観光客が増え始め島全体が皆裕福になったように見える
今回は僕が自転車に乗れない身体なのでゆっくり歩いてカベール岬までいくことにした
一周廻っても8キロくらい 3時間半くらいで回れるとパンフレットに書いてあった
ナビを見ると歩きは島の中央の道が一番最短だとわかる 幸い暖かい日差しの中 追い越していく自転車や前にはいなかったガイド付きの車を尻目にゆっくりと・・・ゆっくりとゆっくりと
島の南に固まった集落を抜けるとサトウキビ畑の間の一本道だけだ 集落にあれほどいた猫の姿は消え キビ畑でガサゴソ音がするのは小さなネズミだ
カベール岬への一本道は青い空と緑と白い道 昨日の雨の水たまりが多少残るでこぼこ道をゆっくりと歩く カーベル岬は相変わらず綺麗だった 昔よりもガイド付き車で来る人が増えたため多くの観光客で溢れていた 行が予定よりも早くⅠ時間弱だったので帰りは少々遠回りして島の東コースで港まで歩くコースとした 途中浜辺に抜ける道を何度も寄り道しながら綺麗に舗装された道をまたゆっくりゆっくり歩く 小さく貧弱な畑と大きなプラスチックの天水桶をながめながら歩いていたら娘が50円玉を拾った 神様からのご褒美と思って切符売り場でのコーラ代の足しにさせて貰った 船の出発時間まで少しあったので久高殿まで行ってきた これまた昔に比べて綺麗になっていた ここでもガイド付きの客で一杯だった 表札に屋号が書いてある家が幾つかあった おそらく同じ苗字の家が多いせいだろう
ちなみに携帯に入っている歩数計は行きが1時間10分 5590歩 帰り東側ロードは1時間9分6278歩
この島で歩いた歩数は全部で14130歩を超えた
次は勇気を出してウミヘビ料理に挑戦してみようかなあ
帰りは斎場御嶽の前を通って ちょっと遠回りして いつもの奥島に渡る手前の「もづくそば屋」で遅い昼食
初めて沖縄を訪れたのは
昭和59年 アイエス制作(梅沢や舟木のずっと前で一番会社がどん底の頃だ)松本伊代主演「愛のシンフォニー」の地方公演の時だ
この作品はその前年人気絶頂の松本伊代を起用して梅コマで上演した作品を各地のオーケストラを使って芝居を見せる趣向 宝塚の岡田敬二演出 僕は演出補でついた 往年の名作「オーケストラの少女」の日本版・どこへ行っても思うように客が集まらずアイエスは悩んでいた・この作品の過程で出来たのが音楽の筒井高志の小説「オーマイパパ」である 彼は音楽と指揮を担当していた
そのころ付き合い始めた今の連れ合いに「親戚が返還後すぐから沖縄に住んでいるので見せてやってほしい」と言われ 那覇市民会館で親戚のAちゃん親子を来るのを待った 今も昔も「沖縄時間」というやつで親子は悪びれず開演ギリギリやって来た
こっちは慌てて南部沖縄観光から引き返して来たのに・・牛の大群に道を邪魔されて・・島全体がのんびりとしていた感じだ
その時まだ子供だった甥っ子は今やバツイチの看護士 姪っ子は祖母がいる広島に帰りアパレル業に成長していく過程を見るように それから毎年のように沖縄を訪ねた
そして殆どの観光地巡りの後 久高島へ行くことになった
前にこの久高島を訪れたのはAちゃんが広島に帰る前、僕が病気で左半身麻痺になる前だから十年以上になる その時は安座間の港から出た20分の高速船が着く港には古い民家が数件しか見えなかった 村落に入ったところの玉城さんでレンタサイクルを借り島の東橋の防風林が続く道をひっくり返りながら(まだ舗装はされてなかった)琉球の祖神アマミキヨが降り立ったといわれるカベール岬まで上がって 帰りには中央の道を村落まで帰って 当時新しく出来た村営のキャンプ場を見て その下の岩場にウミヘビが一杯泳いでいるのを見た
真夏の暑い日だった
その後沖縄に来るたびに斎場御嶽(せいふぁーうたき)の拝所から見ていた久高島だったが 今回12月5日看護師の仕事の休みを取ってくれた甥っ子の車で安座間港まで行った 久しぶりに高速船で行ってみる(一緒に乗っていくのも前回は殆ど郵便小包だったが今回はお歳暮シーズンとはいえ宅急便が多く中にはアマゾンの印が多く目立つ)と徳仁港には綺麗な切符売り場が出来ており そこには新しい自転車が並んでいる店ともう一軒自転車レンタル屋が見える そこから民家群に進んだところにあったかっての自転車貸し屋玉城さんはあるにはあったが古い民家は随分ハイカラな家となっていた しかもその向こうは真新しい小学校が出来ておりその一角に津波避難の高台が出来ていた 学童は二階に避難して残りの村人は全員270人避難できるのかしらとつまらぬ心配をする
丁度僕らが行ったころから観光客が増え始め島全体が皆裕福になったように見える
今回は僕が自転車に乗れない身体なのでゆっくり歩いてカベール岬までいくことにした
一周廻っても8キロくらい 3時間半くらいで回れるとパンフレットに書いてあった
ナビを見ると歩きは島の中央の道が一番最短だとわかる 幸い暖かい日差しの中 追い越していく自転車や前にはいなかったガイド付きの車を尻目にゆっくりと・・・ゆっくりとゆっくりと
島の南に固まった集落を抜けるとサトウキビ畑の間の一本道だけだ 集落にあれほどいた猫の姿は消え キビ畑でガサゴソ音がするのは小さなネズミだ
カベール岬への一本道は青い空と緑と白い道 昨日の雨の水たまりが多少残るでこぼこ道をゆっくりと歩く カーベル岬は相変わらず綺麗だった 昔よりもガイド付き車で来る人が増えたため多くの観光客で溢れていた 行が予定よりも早くⅠ時間弱だったので帰りは少々遠回りして島の東コースで港まで歩くコースとした 途中浜辺に抜ける道を何度も寄り道しながら綺麗に舗装された道をまたゆっくりゆっくり歩く 小さく貧弱な畑と大きなプラスチックの天水桶をながめながら歩いていたら娘が50円玉を拾った 神様からのご褒美と思って切符売り場でのコーラ代の足しにさせて貰った 船の出発時間まで少しあったので久高殿まで行ってきた これまた昔に比べて綺麗になっていた ここでもガイド付きの客で一杯だった 表札に屋号が書いてある家が幾つかあった おそらく同じ苗字の家が多いせいだろう
ちなみに携帯に入っている歩数計は行きが1時間10分 5590歩 帰り東側ロードは1時間9分6278歩
この島で歩いた歩数は全部で14130歩を超えた
次は勇気を出してウミヘビ料理に挑戦してみようかなあ
帰りは斎場御嶽の前を通って ちょっと遠回りして いつもの奥島に渡る手前の「もづくそば屋」で遅い昼食